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「勝手に頭おかしくなくなったら許さない」

昼に更新するタイトルじゃねえな。野花紅葉です。

変であることなんていくらでも愛せるが、大事にしてくれないことをどう愛せばいいのか」と書いたことがあるが、2年近く経った今でもマジでそれなんだが!?と思うことがある。あるってか、多い。大いにある。

頭がおかしいことって別にどうでもいいんだよな。メンヘラが嫌いなわけじゃないのと似ている。ていうかわたしも頭おかしいところはあるし人類はみなメンヘラだしさ。そんなことは本当に、愛をもってすれば本当にどうでもいい。

どうでもいい、のだが、「普通」であれば円滑にいくところが「変」ゆえになされない、ということは残念ながらある。多い。大いにある。ので、変であること自体はどうでもいいけど、変であることによって生まれる過不足や負荷は生じるのだし、生じること含め愛する必要が生まれる。それがすなわち愛であるかは議論の余地があるけども

で、その「頭のおかしさ」とそれゆえに生じた諸々をなんとか抱き止めようとしたのち、しかしうまくいかず関係が破綻したとき、わたしはマジでこう思う。

「勝手に頭おかしくなくなったら許さない」

円滑にいかないことをわかっていてもそのままでいたんだから一生わたしの知らないところでもそのまま生きてけやと思うし、直す/直るなら共にいるときであれやと思うから。これは「変であること愛せてないじゃん結局😅」ってことじゃねえから。わたしが許せないのは決して頭がおかしいことではなく可能性を見なかったり見せなかったりしたことだから。そしてわたしが愛せないのは、つまり「大事にしてくれなかったこと」だから。よろしくな。

そしてこれ、実は「すでに台本にした言葉」でした。3年半経っても同じ怒りを持っているな、わたし。

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