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写真におけるレタッチ・AI介入の加減や尺度の考え方

 いよいよ私の名前らしい季節になってきました。いつもご覧いただきましてありがとうございます。もみじ卍ゅうです🍁

 今回の記事とは関係ないのですが、先日私のYouTubeチャンネルの登録者数が遂に1000名を達成いたしました。 

 皆さま、いつもご覧いただきましてありがとうございます。今後もぜひよろしくお願い致します🙇🏻‍♂️

 話は戻りまして、11月に入りまして本格的な紅葉シーズンに入りましたね。今年の秋は雨が多く、一応順調に(?)秋の気候へと進行しているようです。

 私がカメラを始めたのが2021年8月から昨シーズンまで、毎年紅葉の名所と呼ばれる所にも足を運びましたが、タイミング的なものもありますがあまり色付きの綺麗な紅葉に恵まれておりません。温暖化の影響なのか、全国的にも紅葉する前に枯れて落葉するといった場所も少なくないようで、今シーズンは綺麗な色付きを見せて欲しいと期待しているところです。

色の修正・補完

 で、今回の主題です。色付きが物足りないとは言え、せっかく撮影てしてきた写真を無駄にしたくないという思いから、色付きの足りない紅葉や枯れてしまった葉に色を乗せる"レタッチ"をすることがあります。

やり過ぎ例 加工前
やり過ぎ例 加工後

 要は簡単に言えば、スマホやPCなどのソフトを使用して、色付きの悪い葉や枯れてしまって白っぽくなったモミジを「赤く」したり、イチョウなどの葉を「より濃く」などしたりする処理を施すということです。

 他人の撮影した作品ではなく、自分で撮影してきた写真をどのように修正したり補完したりしてもそれは撮影者の自由です。撮影者の視る世界や感性を表現できるのも写真の楽しいところだと思いますので、私はいわゆる「レタッチ」に関しては肯定派です。

 写真を撮る人の中にはこの「レタッチ」を好まない方もいるとは思いますが、今回の記事は撮って出しや写実を否定するものではない事を先ず持って言っておきます。

レタッチは自由

 レタッチは感性による自由であるからこそ「こうあるべきだ」というものは存在しません。モノクロに加工したりヴィンテージ風に加工したり、色温度を変えたりコントラストを強めたりなど、シーンや好みによりスマホやPCで簡単にレタッチできる時代です。
 事実を伝えなければいけないカタログ写真や報道写真や記録写真などと違い、写真を"芸術"として見る場合、必ずしもマジョリティが正解では無いはずですし、その表現は無数にあります。言い方を変えれば「事実を変えても良い」ということです。

事実を変える尺度

 暗い箇所を明るくしたり、明るすぎる所を暗くしたり、赤いものをより赤く、または薄くしたり逆に色を抜いたり、時には色相を変えたりなど、赤いものを緑にも黒にもできるのがレタッチです。このレタッチをどこまで施すか、そしてその作品を観る人がどこまで芸術作品として許容できるかの差異が生じます。作品を観る人にとって、その差が大きくなるにつれて違和感へと発展します。
 しかし、芸術は一種の自己表現であり、マジョリティに迎合するものではありません。マイノリティに良さを理解してもらえればそれで良いと感じる方や、自己満足でやっているから人の目は気にしないという方も多いとは思います。
 SNSや写真投稿サイトが増えてくるにつれて「まるで絵画のような」、現実離れとはまた違う、現実に見る光景とは"乖離した"レタッチを施した人の目を惹く作品も多く見られるようになりました。
 レタッチは自由であるが故に、自分が思ってる尺度に収まらないのが現状だと感じます。むしろ現代的な考えではこちらが主流なのかも知れません。

AI技術

 昨今のAI技術の進化により、写り込んだゴミや電線などを簡単に消すことができるどころか、その場になかったものを後から生成することまでできてしまいます。撮影者本人が申告しなければAIで消したかどうか全く分からないレベルなので言わぬが花か、知らぬが仏か。
 さらにはChatGPTなどでは、生成条件を打ち込めば、元となる写真が無いゼロからでもそれっぽい写真(?)ができてしまう。そうやって完成されたモノを果たして「写真」「作品」と呼べるのか。
 レタッチは許せるけどAIでモノを消すのはダメ、レタッチはダメだけど写り込んだ人やゴミを消す程度なら許せる、などその基準は人それぞれなので、私としては話題にしにくく、どこかフワッとしてモヤモヤする部分だと感じています。


AI生成作品がコンテスト優勝

 2022年9月には、AI生成した絵画がコンテストで優勝したという海外のニュースが話題を呼び、AIによる芸術の倫理問題についても議論が交わされています。
 AI生成による物議は写真コンテストにも見られます。2023年4月には、Sony World Photography AwardsにおいてAI生成による作品が最優秀賞を獲得しました。しかし作者は「AIは写真ではない」と受賞を辞退。精巧なフェイク写真なども大量に作成できるAI技術の写真業界における今後のあり方について非常に考えさせられるものとなりました。


最終的に本人の判断に任される

 近年の世界的に有名なフォトコンテストの受賞作品の中には、元の色とは全然違う強めのレタッチを掛けたり、AIによる余分なもの(人や電線など)を除去した物も少なくないとされています。どこまで手を加えるかの基準はフォトコンテスト毎にも違いますし、申し出なければAIを使用したことすら分からない現実です。
 先程述べた優勝者はちゃんと事前にAI生成された作品ということを明記して応募しており、これからのAIの在り方を投げかける意味も含め、その受賞を辞退しています。しかし後者のフォトコンに於いては主催側がAI生成作品と分かった上で受賞を決めたそうなので、作品を受け入れる主催側もAI生成を認める時代もやって来ております。

 どんな加工やAI生成で小手先の技を施そうが、コンテストでは結局「作品自体」が良くなければ箸にも棒にもかからない世界です。自己満足で自己完結する人は別として、人に見てもらう、人に評価してもらうという場ではその加減や尺度をどこまでするか。写真を撮影している時間よりもPCに向かってレタッチしている時間が長くなっている人もいれば、角度の補正やちょっとだけトリミングで済ませる人、全く何もしない人など、それら含めて撮影者の個性だと思います。しかし、やりすぎると"一言物申すマン"が現れるのも事実。コンテストなどに応募する場合は応募要項をよく確認して、どれくらいのレタッチまでなら許容されやすいかの傾向は調べておいたほうが良いかもしれませんね。


それでは、今回はこの辺で。


(。・ω・)ノ゙


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