033 取り残される親世代
私立大学の観光学部が、千葉県鴨川市から撤退します。
撤退あとは、どうなるんだろうか。
そこに、地域活性化に貢献する、こんな学校ができたらいいのにという妄想です。
引き続き、地域活性化を学ぶためのテーマを考えていきます。
地域の人口構成
地域が持続可能であるためには、地域の人口構成が重要になってきます。
昭和40年代から50年代にかけて、都市の周辺ではニュータウンなど郊外の住宅地として同時期に大規模な開発が進みました。
昭和一桁生まれから、戦後すぐに生まれた団塊世代まで、日本の高度成長を支えた人々の住まいを供給するために、こうした大規模な開発が行われたのです。
都心まで一時間以上の時間をかけて通勤する必要がありましたが、当時は都心での住居を確保することなど夢のまた夢だったので、こうした郊外の住宅地へ入居していきました。
しかし一斉に、同一世代が入居したことによって、人口の年齢構成、いわゆる人口ピラミッドに大きな偏りが生じてしまいました。
以前から続く街でも、日本全体の人口構成と同じように団塊の世代が膨らむ人口ピラミッドにはなっています。
ただ、団塊世代の前後の世代の人々もいるため、比較的なだらかな人口分布になっていました。
それがニュータウンなどの住宅地では、ある世代だけに極端に分布した人口ピラミッドになってしまったのです。
ニュータウンへの同一世代集中は、入居当時は、通勤列車のひどい混み具合や、学校の教室不足などの問題を引き起こしたものの、ある意味で活気のある「問題」でした。
しかし同一世代集中がいま、高齢化が急速に進行するという問題に直面しています。
ニュータウンのオールドタウン化という問題です。
同一世代の親とその子どもたちに集中した人口ピラミッドだった街が、子どもたちの成長とともに就職や結婚を機に街を離れていくことにより、親世代だけが残されていってしまったのです。
そのことを端的に示している内閣府の資料があります。
https://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr11/chr11040202.html
2000年と2010年で、同じ世代の人口を比較したピラミッドになっています。
出典: 内閣府『地域の経済2011』https://www5.cao.go.jp/j-j/cr/cr11/chr11040202.html
2000年に40代から50代だった親世代は、50代から60代になった2010年にも、そのまま住み続けています。
しかし2000年に10代から20代だった子ども世代は、20代から30代になった2010年には多くがニュータウンの外へと出ていってしまっています。
もう一つ分かることは、その間の世代、2000年に30代だった世代が、その後増えるということがまったくなかったということです。
時の流れとともに、世代が引き継がれ、さまざまな年代の人々の出入りがあることで、街は常に新たな活気を保って持続していくものです。
しかしニュータウンで起きていることは、これとは真逆のことなのです。
世代に引き継がれることがなく、親世代だけが残っていく。
さまざまな年代の人々の出入りがなく、ある世代だけで固定化されてしまっている。
このことが教えてくれているのは、地域が持続的であるためには、「一気に大量に」ではなく「少しずつ継続的に」ということが、とても大切だということです。
目指す人口構成
では目指す人口構成とはどのようなものでしょうか。
長野県の軽井沢町と南箕輪村の人口ピラミッドを比較してみます。
年齢によって分布が大きく変化している軽井沢町と、分布がほぼ同じになっている南箕輪村。
どちらが持続可能な人口構成かと言えば、後者の南箕輪村です。
人口の絶対数における多寡の問題よりも、年齢に関係なく人口構成が同じぐらいになっていることが重要なのです。
南箕輪村には信州大学の農学部があり、大学生も多くいます。
また村内での雇用だけでなく伊那市など近隣への通勤も可能であるという地の利もあります。
あわせて子育て支援を充実させるなど、子育て世代の移住を増やしてきている経緯があります。
南箕輪村も長年にわたって施策を展開してきているように、こうした人口構成を実現するためには長期にわたる取り組みが必要となってきます。