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カンジャンケジャンが食べたい。

一日の終いのささやかな楽しみは、Netflixで映画やドラマを見て感動し、Tverでバラエティ番組を見て爆笑すること。賢い今どきのカタカナな話題が飛び交う職場な分、就寝前は俗っぽいもんでスイッチ切り替え。体の方も、メンテしなくても毎日元気…とはいかなくなったから、youtubeでリンパマッサージの動画を見ながら、手のひらにオイルを染み込ませ、肩と足の疲れを癒す。時折、近所のもみほぐしに駆け込む。お酒を飲む前には、奈良の漢方、陀羅尼助が欠かせない。

短・中期間で、稼働のピークとオフを織り交ぜないと気合いだけではやってられない年齢になった。

興味のツボが全然違う彼は、私のスマホから漏れ聞こえるNetflixの韓国語に、何がそんなに面白いんだという顔をしているが、梨泰院クラスにハマっていた頃の「豆腐チゲが食べたい」というわたしの独り言をきちんと拾い、わざわざチゲ用の器を購入して晩御飯に出してくれた。

仁川空港経由でアフリカのタンザニアという遠く離れた国から帰ってきた彼が「年末、韓国に行けたら嬉しい?」と聞いてきた。それはもちろん嬉しいに決まっている。百を越える国の旅を繰り返していて、北朝鮮にも行ってる彼にとって韓国は「ちょっとそこまで」の気軽さである。一度「喜ばす」と目標を決めたら、徹底して達成していく。当然、「喜ぶ」わたしの反応も含めてである。

彼はわたしの7歳年下で、単純に年齢が若いだけでなく、体力と好奇心が異常にあり、物事に向き合う姿が「ブルドーザー」のようだ…と、いつも思う。身体を張って真正面から、ガガガガと走り倒す。受け取る方も本気じゃないとつぶれてしまう。愛とは生優しい、ゆるふわなものではないのだ。

わたしを喜ばすと決めた彼は、チケットや宿を全て手配し、わたしが考えなしに「カンジャンケジャン食べたいなあ」「参鶏湯食べたいなあ」「海が見たいなあ」とつぶやいたら、全部拾ってプランに組み込む。スマホの万歩計を見ると、一日二万歩はすっかり超えていて、わたしの体力も胃袋も限界も超えていた。


思えば、わたしがはじめて一人で海外に旅をしたのも彼の半ば強引な提案だった。わたしは海外へ行きたい欲は強くないし、慣れ親しんだところに通うことが好きだ。好きだというより、冒険する勇気や体力がないから、安心できるところにいるというのが正しい。


体力や胃袋が限界を超えて本当にその時は苦しくても、振り返って見ると、あの時歩みを止めていたら見れなかった世界、味わえなかったものがたくさんあることに気づく。波乱はたくさん経験し、もういい加減安住したいはずのわたしが、冒険と刺激と隣り合わせの彼といる理由はなんなんだろうと折に触れて思うが、まだまだ今世で一人では見るはずもない新世界を味わいたいからなんだろう。


彼が私の荷物も入れて20kg近くあるバックパックを前後に背負いながら、年始会う人たちとの新年会のための食材をガンガン購入し歩き続けている横で、わたしは年始のマッサージの予約を探す。

身体を張って誰かのために世界中を走り倒す彼の足元に、来年は小さくとも花が咲きますように。わたしはきっと足元を耕し水をやる役割だろう。

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