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甘じょっぱい、夏の日のこと。
近頃、車に乗ることは少なくなった。一人、一台車がないと暮らせないような土地にいて、わたしの足は、異音を伴う黒の軽バンだった。山道、畦道、海の上、唯一の個室。
「あ、この曲好き!」
およそ子ども好みとは程遠い、大人なフレーズのJ-pop。数枚しか持ち合わせていないCDを繰り返しかけているうち、そんなことを言い出すようになった。
ひととき、島で暮らしていた。
夫婦を解体し、家族の再構築方法を手探っていた思い出の大半を、この島に撒いた。自分とおおよそ同じ境遇の女が、人目を忍んで島に辿り着くという映画や小説になぜかよく出会った。歴史上の人物も、島に「流されて」いた。描かれ方を通じて、世間における自分の配置を捉え、ふうんと思った。
車から降りて、浜辺にスイカを置いた。
小さな手で転がっていた流木を握り、えいやと振り下ろす。何度か繰り返すと、弾ける笑顔と共に、赤い実が飛び散った。島に少しだけ存在する商店で調達した食塩を少し振った。むかしむかし、ばあちゃんところで食べたスイカに振ったのと同じ食塩。潮風よ、スイカの甘さに記憶を乗せて、数年先に届けてください。うっすらとで、いいから。
あの曲のこと、もう覚えてないよね。
繰り返し、繰り返し、「この曲好き!」を重ねる道はあったのでしょうか。黒い軽バンも、もうありません。