別れの感度が鈍いのか
別れは訪れるものだろう。早かれ、遅かれ。そう思うようになった。
桜が咲きだすと散りゆく日を想像して寂しくなり、金木犀が香り出すと一年のクライマックスを感知して胸が締め付けられる。そういう敏感さが、なくなった。
記憶している中で一番鮮明な、苦しい、別れにまつわるエピソード。自分が産んだ子らと、名字も住所も異なる選択をしたのはどういうことなのかと気づいた時。
夫婦関係のピリオドを打った時は、特異な環境で、家が宿だった。しかも、山と島と2箇所あり、子どもたちはまだ就学前で、どこに居てもあまり関係なかったので、両親どちらかのその時々の仕事場に連れて行って過ごした。宿が家だと生活がほとんどオープンで、子どもたちがどう過ごしているかも誰かしらから窺い知ることが出来たし、知らせることが出来た。子どもにとってもほとんど何も環境は変わってないように受け止めていたと思う。だけど、子どもは成長するし、学校へ通うようになるし、大人にも選択の自由があるし、家族の形態、ライフスタイルは変わっていく。スケルトンの家が珍しかっただけで、高低、差はあれど囲いがあるのが家の常。
囲いの外で、約束して会うしかないのか。
そんな当たり前のことにようやく気づいて、当時暮らし始めた一人では有り余る一軒家で、何度も何度も大泣きした。もしかしたら、と大きい家に、もしかしたら、と小学校が近くにある家を夢みがちに選んだ空虚さ。この時が悲しみの底だった気がする。これが悲しみの底の基準値になったのか、出会いに伴う様々な別れを「しょうがない」と思うようになった気がする。別れを寂しいと思うことは、執着なのか愛なのか。その後必死に、娘と暮らす選択をしたのは、ただの執着だったのでは。未だに選択の正解が分からない。
寂しいと思うあなたの気持ちを大事にすることの何が悪なの?という、自分の母親の言葉が、あの日の救い。