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時が重なり、呼応した。

ちょっとしたデジャヴュだった。

デジカメを手に、京都の商店街の今を切り取り、古い記憶を乗せた写真とコラージュする子ども向けのワークショップへ娘と参加。しばらく会えてない友人が企画を手伝っていると知り、詳細を確認もせずにやって来た。

出会った当時、友人は東京、私は岡山県の棚田のある集落で生活をしていた。私は2歳の息子の母であり、2人目をお腹に宿している時で、ひょんなことから「マザーアートフェスティバル」という集落を舞台にしたアート展を実施することになった。いわゆる「母」の意味と共に、母なる大地の意味を持たせていた。その一部の企画のパートナーとして出会ったのが、彼女だった。

一度荒廃し、いろんな人の力で再び美しい風景が戻りゆく集落の、その昔。各家庭のアルバムには、プライベートな記憶として、集落の風景が静かに残されている。それらアルバムを一軒一軒、大きなお腹で、やんちゃな息子と手を繋いで集めていって、パブリックな場所に取り出し、小さな写真展とワークショップを行った。この企画を「記憶の再生」と名付けた。

あの時、私がワークショップの参加者に対して集落の記憶を語っていたように、今、京都の商店街の記憶を友人が語っている。あの時、お腹にの中にいた娘が、今、京都の記憶を画用紙の上でコラージュしている。あの時、別のエリアで生活していた私たちは、今、同じ京都の街で暮らしている。

このワークショップは国際写真祭の一環で、今年のテーマが「ECHO(呼応)」。”世界史も日本史も自分史もお互いに響き合って現在、そして未来に繋がっていく”という説明文が、この日の私たちのようだった。

場所を移し、鴨川に腰を下ろした。エネルギッシュに飛び石を往復する娘に2人で手を振り、気にかけていることを表現しながらおしゃべりした。東京での仕事メインの生き方から、ここ数年、大学での研究にシフトした彼女は、今まで一番自由で軽やかだった。娘がお腹にいる時に、集落にある温泉に浸かって、「心の解放」について語り合っていたのが懐かしい。少し年上の彼女と過ごすと、いつも、この先、時を重ねることに胸が躍る。

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