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海へ、漕ぎ出せていたみたい。

これは昔話。

2017年。瀬戸内海の離島と、岡山の山村の半分半分くらいで暮らしていた時期。気持ちの切り替えのために、離島の方に住所を移し、大きな一軒家を借りた。落ち着いた気持ちと、どうしようもない孤独と同居した。

離島は面白い。その日最後の船が出てしまったら、もうここにいるしかないんだなと諦めと覚悟みたいな感情を味わった。

その時、2人の子どもたちは、離島と山村を行き来していた。戸籍の上では私の方には一人もいなかった。そんな時に3人のミュージシャンが島にライブへ訪れた。いくつか奏でてくれた曲の一つに、外国のカバー曲に日本語の歌詞をのせたものがあった。

時計の針は今を刻むけど
あなたがそばにいると
時が経つのも忘れるくらい
でもいつか旅立つの

行きたいところへ行きましょう
邪魔なのは何もないから
私は船にのり川下り
海へと漕ぎ出すの
海へと漕ぎ出そう

幸せにできない私をあなたは
忘れてしまうだろう
別れの言葉も言えなくて
胸の奥にしまっておく

見えなくなるまで手を振っている
まるでそう永遠に
あなたを連れてはいけないから
私は望むだけ 

子どもたちがパパと共に山村の方に帰る時、これからどうなっていくのか、これでよかったのか分からなくて、浜辺で船が見えなくなるまでぼうっとしていたことと、歌詞が重なり、大いに泣いた。

ー幸せにできない私をあなたは
忘れてしまうだろうー

離れていても忘れられないように気持ちを届けるにはどうしたらいいのだろう、どういう風に自分の歩みを進めればいいのだろうか。漕ぎ出し方が分からない、苦しい時間だった。いずれにせよ、例え親子であろうとも、人生に連れて行けるのは自分一人しかいないのだけど。

その時のミュージシャンが、今は同じ京都を拠点にしていて、秋の公園でライブをやっていた。私はビールを片手に陽気に体を揺らし、すぐそばには娘がいた。4年の月日、重ねれば今日。

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