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別れてもいい / よしもとばなな『なんくるない』

また、よしもとばななの小説『なんくるない』について書く。好きだからしょうがない。でもあまり何度も書きすぎると引用だらけになってしまうからほどほどにする。

離婚して1年くらいが経ち、穏やかな日々が戻ってきた頃の主人公。でも離婚前にはなかった「空っぽな部分」ができていることに気づく。

自分がこの世にいることがすばらしい、そしてそれを、あたりまえだと思う……その部分に小さくあいた穴だった。

よしもとばなな『なんくるない』(p.82)

離婚でできた傷がなかなか癒えないでいる。

 なにがあっても私を好きで許しているはずの、家族だった人が、私と別れてもいいと思ったのだ……そういう気持ちが消えないままで、ぐずぐずと心の中に、くすぶっていた。
 そして、私は「自分はこの世の中に全く必要がない、居場所がない」という思いを振り切ることがどうしてもできなかった。ちっぽけな傷だけれど、じくじくしてなかなか治りきらない。

同著より引用(p.82)

「家族だった人が、私と別れてもいいと思ったのだ」という言葉が、なんだかすごく印象に残った。確かにそれってすごく傷つくな、と思って。

「別れてもいい」という言葉には、「こちらとしてはあなたとの関係を捨てても別に構わない」というニュアンスを感じた。

「別れたい」ではなくて「別れてもいい」
わずかな違いなのに、けっこう意味が違う気がする。

もちろんこの主人公は、「別れてもいい」と夫に直接言われたわけではない。本人が勝手に「彼はきっとそう思ったのだ…」と想像して傷ついているだけ。

本当は彼はそうは思わなかったかもしれないし、思ったかもしれない。でも、それはどうでもいいこと。想像であれ、本人が傷ついたことが事実。(それに実際別れているし)

そして、主人公曰く「離婚は、相手が言い出してくれなかったら自分が言い出したはずだった」(p.82)

だから別れたこと自体に傷ついているわけではない。

同じことを単に先に言われたからってこんなに悲しくて、しこりが残ったままになるなんて……と人の心のしくみを不思議に思った。
 でもよかった。私が先に言わなかったことで、あれ以上に彼を悲しくさせなくてすんだ。

(p.97)

自分も同じように別れてもいいと思っていたくせに、それを先に言われたことに傷ついた。
(彼を悲しくさせなくてすんだ、と思えるなんて優しすぎると思ったけど)

先に言われたことで、自分よりも相手の方が別れたがってる感じがするから、なのか…?
うまく言語化はできないけど、「先に言われると悔しい」という気持ちは分かる。

「別れてもいい」を他の言い方にしてみる。

・別れても構わない
・別れても問題ない
・別れても後悔しない
・もう別れてもいい
・もうあなたと一緒にいる意味がないから、別れてもいい

人以外の別れだったら?

人間関係だとすごくキツイ感じに見えるけど、「もう〜してもいい」という言葉自体は日常でもよく使っている気がする。

・この服はもう着ないから捨ててもいい
・この本はもう読み返さないからメルカリに出品してもいい
・この録画はもう見たから消してもいい 
・このお菓子あんまり美味しくなかったからもう買ってこなくていいよ

何かと関係を断ち切るときに使う。
もう持ってる必要性を感じないとか、別になくなっても困らないとか。

でも、なんだかその「捨てる対象」に対して上から目線に感じるのはなぜだろう?

一方的というか、相手のことは無視して、自分的にはもういらないから捨てる、みたいな。なんだろう…所有者感?決めるのは俺だぞ的な?モラハラ臭?(大袈裟か)

ものを手放す理由は、物理的に使えない状態は別として、例えば服であれば、単に飽きたのか、それとも自分の好みが変わったかのどちらかだ。本であれば、また読みたいとは思わないから。

経年劣化はあるものの、服自体は変わっていないし、本の中身も変わっていない。

変わったのは自分の気持ち。好きだったら手元に置いておくし、もう持っている必要性を感じないなら手放す。

ただ、モノと違って、人間は変わる。
自分だけじゃなくて相手も変わる。それは当然のこと。ずっと同じ人間なんていない。身体的にも、精神的にも。

だから関係性も変わるし、相手から「もういらない」と言われてしまうこともありうる。

でも、「もういらない」と思ったのはその人の心であって、自分にはどうしようもないこと。相手に「もういらない」と言われたからといって、自分の価値がなくなったわけじゃない。

そんなのは頭ではわかってるんだけど、それを感覚的に本気でそう思えるようになるのはなかなか難しい。他人がいくら言っても、いくら自分に言い聞かせても、なかなか心は追いついてくれない。

私のどこか深いところで、まだ、私自身が私をとことん責めているのだ。それが世界に映し出されているに違いない。そう思ったらとても淋しくなった。無意識のうちにではあるけれど、今や自分さえも自分を見捨てようとしている。

(p.114-115)

他人がいくら「そんなことないよ、あなたは生きてるだけで価値があるんだよ」と慰めても、自分が自分を責め続ける限り、傷は癒えない。

そのあと沖縄で素敵なことがいろいろあって(割愛)、ようやく心のほうも追いつく主人公。

結婚したことも、失敗したことも、お母さんが死んでも悲しくなかったことも、みんな間違ってないんだ、私はこのままでいいんだ、だってそんなことはどうでもいいことなんだもの……そういうふうに、どんどん心の中がほどけていった。

(p.206)

傷が癒えてありのままの自分を受け入れるってこういうことなんだろうな、と思った。

どうしたって時間がかかる。最初からいきなり受け入れるなんて無理。

いったんは思いっきり傷ついて、自分を責めて責めて、もがいて、場所を変えたりして、そうしていたらなにかのタイミングで目線とか捉え方が変わって、突然「あ、私はこのままでいいんだ」と腑に落ちる。前向きになる。

でもその状態をずっと維持は難しくて、また何かに傷ついて、同じことの繰り返し。人生は続く。Life goes on.



なんだか着地点がわからなくなってしまったけど、芋づる式に色々と考えているだけなのでしかたがない。

なんくるない。何も間違ってない、このままでいい。

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