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ままにあいたかった、と言われた


先日、美容院に行くため、3歳の娘と夫を家に残して出かけた。帰りにカフェに寄り、ゆっくり読書をした。


カフェで時間も気にせず読書だなんていつぶりだろう!と、最後に行った日を思い出せないほど久々で、私の心は生き返った。

あったかいコーヒーを好きなタイミングで飲める幸せ。
誰にも邪魔されることなくページをめくれる喜び。

楽しかった。すごく。


店内に1人で座り、傍から見ればきっと真顔でつまらなさそうに見えただろうが、心の中ではめちゃくちゃエンジョイしていた。

数時間、束の間のリフレッシュ休暇だった。



家に帰り、ご飯を作ってみんなで食べた。
娘と夫は公園に行ってたくさん遊んできたらしい。

みんな良い休日を過ごせてよかったね。
三方良し。


そう思った。



寝る前、娘に「大好きだよ」と言った。最近は娘も「ままだいすき」と返事をしてくれるようになった。


そして、「ままにあいたかった」とぽつりと言った。


「いや、毎日会ってるじゃん!」と思ったが「あ、そうか、今日の話か」とすぐに理解した。



きっと、公園でパパと楽しく遊びながらも「でも、ままがいない」と心のどこかで思っていたのだろう。

その気持ちをふと、寝る前に思い出したのだろう。

まだまだボキャブラリーが少ない3歳児なりに「ままがいなくて寂しかったよ」という感情を「ままにあいたかった」と言葉にして伝えてくれた。


涙は出なかったが、予想外の言葉でちょっと胸にグサっときた。

ちなみに、私と2人きりの休日はよくあるが、その夜に「ぱぱにあいたかった」は聞いたことがない。笑




私が時々のんびりリフレッシュする代償として、幼い子供に寂しい想いをさせてしまうことは、罪悪感を抱くべきことなのだろうか。

それとも、それくらいは仕方がないことなのだろうか。寂しい想いを一切することなく大人になるのは、誰でもきっと相当難しいのだから、それもまた経験のうちと割り切るしかないのだろうか。


今の時代、母親の多くが同じ意見だと思うが、私は「母親は自分のことは二の次で、365日24時間、子ども第一優先で生活しないといけない」とは全く思わない。

時々こうして、自分を甘やかしてもいいし、自分自身が元気でいるためにそういう時間が絶対に必要だと思う。

子育てをしている時点で、どんな人も圧倒的に、自由な時間が足りていないのだから。


私がリフレッシュの時間を取るのは家族にとっても大事なことだし、今後もやめる気はない。娘には悪いけれど、時々でいいから、自由に一人で出かけさせて欲しい。多少の罪悪感はあるが、別に罪でも悪いことでもない、と言い聞かせて。




だけど、3歳の子が「ままにあいたかった」と言った。
「ままもいっしょに、こうえんでかくれんぼしようね」と言った。


そういうことがあったということを、記録しておきたいと思った。

大きな出来事でもなんでもないからこそ、忘れたくないと思った。


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