スマホを触らない人に憧れる
私はこの夏、noteの更新をサボった。
2ヶ月くらいサボった。
それでも、たま〜に気が向いたとき、
スマホでnoteは開いていた。
通知設定はオフにしていたので、溜まっている通知の内容を確認すると、この記事へのスキが圧倒的に多かった。更新が止まっていたのに、この記事だけは、コンスタントにスキがついていた。
SNSから抜け出したい人がそれだけ多い証拠なのか、本当のところはよく分からないが、たぶんそうなんだろうと思う。
結果論に過ぎないが、私はこの夏、SNS全般から離れられていたように思う。
Xやインスタはもちろん、あれだけ一時期ハマっていたnoteですらも、全然見ていなかった。
見るのを意識的にやめたとかそれらしい理由ではなく、単純に夏バテや疲れでなんだかあらゆることが面倒に思えてしまい、活字を読む気になれなくなっただけなのだけれど。
「SNSをしない人に憧れる」といつか思っていた私だが、今はもう憧れていない。
だって、私自身がついに、あの、憧れだった「SNSをしない人」になれたからだ。
憧れは、遠くから見ているうちはキラキラと輝いて見えるが、どんどん近づいて、その憧れの地に到着した時には、輝きなんて見えなくなっている。
そもそも、加工フィルターで輝いているように見えただけで、本当は最初から輝いてなどいなかったのかもしれない。
憧れは、手に入らない場所から見るからこその、憧れなのだ。手に入れてしまえば、もう憧れる発想さえない。
そして今になって思うのは、私は明らかにSNSに依存していたし、同時に支配されていた、ということだ。
依存と支配の関係だ。
依存しているだけなように見えて、実は狙い通りに支配されていた。
計算の上で支配されていることに気が付かず、いつのまにか依存していた。
依存していることにさえ気が付かず、それが日常化していた。恐ろしいことだ。
よく、「SNSはコミュニケーションツール」と言うが、結局はしょせんビジネスの道具だ。
必ず企業が関わって、お金が動いている。
経済が動いている。
このnoteだって同じはず。
ボランティアではないのだから。
どんなサービスだって、有料ユーザーだろうと無料ユーザーだろうと、そこにあるのが善意だろうと悪意だろうと、どこかの誰かの何かの目的のために(表現は悪いかもしれないが)利用されている。
それは悪いことでもなんでもなく、仕方がないことだと思う。詳しいことは分からんが、それが資本主義社会の仕組みなのだと思う。その世界に生きている以上、仕方がないのだと思う。
でも、SNSの向こうにいる頭の良い人たちは、アホな私を上手に支配するため、できるだけ長く依存してもらうため、意図的に、狙いを定めて、楽しい場所にしている。
私は自分の意思によって依存していたわけではなく、その罠に引っかかってただ支配されていただけなのかもしれない。
そう考えたら、なんだか冷めてきて、SNSに一生懸命になるのはバカバカしく思えた。
もうおそらく会うことのない同級生や知り合いの近況とか、別に必死になって知らなくてもいいや、と。
そうして、SNS依存から抜け出した私は、SNS支配からも抜け出すことができた。
できたのだけど…
スマホ依存・スマホ支配の構造からは、おそらくもう、抜け出せない。社会の構造やトレンドが変わらない限り、抜け出せない。
なので、結局は、無事SNSをしなくなったとしても、さらに大きな「依存と支配の関係」からは抜け出せない。
極論スマホを捨てられたって、今の私じゃこの日本という国からは抜け出せないし、もっと言えばこの地球からは抜け出せないのだ。
地球という環境に依存している以上、私は宇宙に支配され続けるのだ。
とはいえ、そんなスケールのでかい話までいかなくても
たとえスマホを捨てられなくたって
せめて「スマホを全然触らない人」にはなれるだろう。
そうなる努力くらいは、できるだろう。
私の次の目標はそれ。
スマホを触らない人。
スマホを落としても、半日くらい気づかないくらいの人。(それもある意味やばいけど)
スマホなんかなくても生きていける人。
スマホに依存していなくて
スマホに支配されていない人。
そういう者に、ワタシハナリタイ。
(スマホより投稿)
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