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自分の心配性について深堀してみたら「noteは公衆トイレ」という結論に至った
私はもともと心配性なほうだが
年々、心配性が加速している気がする。
昔、ある方から
上手くいかなかったらどうしよう?じゃなくて
上手くいったらどうしよう!って考えたらどう?
とアドバイスを頂いたことがある。
素敵な考え方だな〜と思ったし、忘れっぽい私がずっと忘れないくらい、印象に残った。
だから、不安になったときは心の中で「上手くいったらどうしよう!」とその呪文を唱えるようにはしている。
できる限り、上手くいくイメージもするが、それでも「心配性」という闇の魔術は手強い。この歳になってもなかなか防衛できない。
心配の裏に隠れているのはたぶん、自分を信じる勇気なのだと思う。
私は、自分のあまりの勇気のなさに、時々失望する。
「こうなったらどうしよう」
「同じ失敗だけはしないように」
「上手くいかなかったら私の責任」
気を抜いたデフォルト状態の私は、そんな情けない言葉がすぐ頭に浮かぶ。
よく言えば「リスク管理、予測が上手くなった」と言えるかもしれないが、たぶんちょっと違う。
結局私は、小心者で、責任に怯えているだけだ。リスクを背負う勇気・覚悟が足りないだけなのだ。
そんな自分が、すごく嫌いだ。
先日、ちょっとしたイベントの主催をした。
主催者側の立場にいるからには、来てくださる方に不快・不便な思いをさせたくない。準備は念入りに、起き得る事態はなるべく予測して対策しておきたいと思う。そこは特に大事。わりと基本テキトーだけど、そういうところだけは常にクソまじめ。
当日は、始まってしまえば、もう流れに身を任せるだけだ。やれることなんて少ない。たいていのことは始まってしまえば平気、なんとかなる。
これまでの人生で何もかもなんとかならなかった日なんてなかったのだから、よほどのことが起きない限りは、基本的には大丈夫なのだ。
私がなにより嫌なのは、前日までの準備。もっと具体的に言えば、当日を迎えるまでの「己のメンタル面の扱い」だ。
「もし私の準備不足で迷惑がかかったらどうしよう」
「何か大事なことをし忘れているような気がしてならない」
そんな風に、事態を悪いほう悪いほうにイメージしてしまう癖がある。
リスク(可能性)が現実にならないように阻止するための危機管理能力の一つなので大事なことでもあるのだとは思うが、必要以上に不安な気持ちになるので心が疲れる。
「やるべきことはやったし、きっと大丈夫」
「何か起きても私ならうまく対処できる」
それくらいの心持ちで自信を持って当日を迎えられたら、同じ準備期間・作業でもストレス度合いが全然違うのに。
私は悲観的なタイプなので、まだ現実に起きていないことを楽観的に考えるのが苦手だ。
すでに悪いことが起きて、「だけどこれも良い学びになった」と過去を肯定することは得意なのだけど、まだ何も起きていない状態(しかも根拠もなし)で「悪いことなんて起こらない」と未来を楽観するのが苦手、怖い。
調子に乗って上手くいった試しなんて、ない。
たいてい予想外の(それも悪いこと)が起きる。
楽観して何もしないよりも、「悪いことが起こったときのために、備えておこう」と何かしておくほうが後悔もダメージも少ない。
あぁ、今書きながら気づいた。
私は、心配性というよりも「後悔するのが嫌」なだけなのかもしれない。
何かを後悔するたびに、選択ミスをした自分を嫌いになっていくから。
過去、何度後悔をして、その度に何度自分を責めてきただろう?
「なんでいつも私はこうなの!」と自分を責めて。
「なんでうまくできないの」と自分を責めて。
自分を傷つける加害者になって、
同時に自分に傷つけられる被害者にもなって。
それが何になった?
何か良いことが起きた?
そこからどんな大事なことを学んだ?
冷静な反省から教訓を学ぶことはあったが、自分を責める行為はただ自尊心がえぐられるだけで、何かを得られることは少なかったように思う。自分が嫌いになっていくだけで良いことは少ない。
そう考えると、私は自分自身を嫌いにならないために(嫌いになるきっかけの発生をできるだけ防ぐために)、無意識的・戦略的に心配性になっているのかもしれない。
そうなれば、心配性のままでもいいのかもしれない。
大局的に見れば、むしろこのままのほうがいいのかもしれない。
勇気のないダサい自分も嫌いだけど、後悔して過去の自分を責める自分のほうがもっと嫌いだ。
心配しつつ不安も抱えつつも、「上手くいったらどうしよう」と楽観もしながら、半分半分の割合(現実は不安の方が8割だろうけど)でいるくらいがちょうどいいのかもしれない。
何事もバランスと言うし。
私にとっては「悲観:楽観=8:2」が一番良いバランスなのかもしれないし。
最近書きたいことが特に浮かばなくてnoteをサボってたが、心のモヤモヤを書いて整理したらなんかスッキリした。
心配性の自分でもいいじゃん?とちょっと思えた。
やっぱり不安やモヤモヤは頭の中で抱えるだけじゃなくて、アウトプットして定期的に排泄したほうがいい。誰にとっても、便秘は身体に良くない。
結論:noteは現代社会の公衆トイレ
(ちょっと下品な例えですみません)