エッセイ「時間稼ぎ文書」
2024年4月21日、昼
どうにも気が滅入る。これといった理由はないが生きることにうんざりしている。初夏と初秋は苦手だ。子供の頃からそうだった。体調も崩しやすいし、メンタルもやられる。一応誰かに話してみても「五月病かな」「季節の変わり目だもんね」で終わり。人に打ち明けてもしょうがない。そもそもこれは遺伝的なものだろう(と個人的には睨んでいる)。環境を変えたり休みをたくさん取ったところで憂鬱なものは憂鬱なのだ。結局そんな気持ちを誤魔化しながら時間が過ぎるのを耐え忍ぶしかない。この文章は時間稼ぎのために書いている。
今週も土日はあっという間に溶けていく。二日しか休んでいないのになぜまた明日の朝には労働に向かわなければならないのだろう。「月曜日を休みのシフトにすれば良い」?そんなことは言っていない。働きたくないわけではないが、生きる時間の大半が仕事に費やされることには疑問を抱く。人生百年時代、寝る時間を除いたほとんどをお金を稼ぐために使っている。本当に人々はこんな生活をしたいのだろうか。一日の営みが生きることに直結しない今の人類はとても奇妙な生物に見える。「愛」だの「仕事のやりがい」だのと考えてどうなる。生物が考えるべきは食べて増えることで共通しているはずだ。「多様性」「個性」そんな言葉、わざわざ作らなくても放っておけばそこにある。おまけに勝手に変化までしてくれるというのに。
土日の昼食は冷凍パスタで済ませがちだ。今日は初めて食べるメーカーのボロネーゼにした。本格的なソースは私受けが良くなかった。「こういうので良いんだよ」と言わせてくれるパスタを食べたい。ある程度の雑さに安心したい。初めてに挑戦する時はもっと慎重であるべきだった。ただでさえ今は何をやってもうんざりするのだから。うんざりという感覚を認識することにすらうんざりしている。
段々と眠たくなってきた。昼寝はある種の「逃げ」である。寝ている間は何も考えなくて済む。ただし上手く眠れた場合に限るが。上手く眠るとは、悪夢を見たり体が緊張することなく意識を手放すこと。昔から寝ることが下手な私は簡単にこの逃げ道を選択することができない。大抵、嫌な気分で目覚めることになるからだ。それでも睡魔は容赦なくやってくる。どんよりと曇った日の昼食後──今日は奴らが最も活発になる条件を満たしてしまった。この文章を書き終えるとそのまま敗北を喫することになるだろう。寝たくないのに眠ってしまう。自分自身さえ思い通りにはならない。うんざり。この四文字の使い回しにも、いい加減うんざりしてきた。