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なにがあっても大丈夫!①

はじめまして。

私の経験が少しでも誰かの心に届いて、気持ちが軽くなってくれたらという思いで書きました。
もっともっと辛い経験をしてきた人や、現在進行形で辛い現実と闘っている人がいると思います。
それでも「生きる」という選択をしている自分を褒めてあげて欲しいです。
あなたはいるだけで素晴らしい存在であると自信を持って欲しいです。

私は普通の家に生まれて、どこにでもいる普通の人間です。
両親がいて、姉と兄、妹の4人兄弟です。

春は家族でお花見をしたり、夏は毎年家族でキャンプ、冬は家族でスキーを楽しんだり、どこにでもいる家族の中で育ちました。

一見、普通の家族ですが、私が今で言うHSPやエンパス気質のため、とても生きづらかったということもあり、自分の居場所をずっと求めてきました。

何のために生まれたのか・・・
どうしてこの家族に生まれたのか・・・
私はどこにいけば安心できるのか・・・

そんなことをずっと考えてきて、やっと今が幸せだと思えるようになったからこそ、同じように悩んでいる人のために何かできることがあるのではないか思っています。

心理セラピストや心理カウンセラーなどの心理学を学び、私はたくさんの人の心へ癒しを届けたいと思っています。

最後まで読んでくれたらとても嬉しいです。

人生ではじめての決意

私は子供の頃から「生きる」ことの意味について考えていた。

家族といても一人ぼっち。
友達といても楽しくない。
私のこと、誰もわかってくれない。
私が言うこと聞かないと、家族みんなが
「お前は橋の下から拾ってきた子だからね!」
と言う。

子供の頃はわからなかったけど、あれは昔ながらの冗談みたいなもの。
けど、子供にそんなこと言ったって冗談だって気づけるはずない。

私には本当のお父さんとお母さんがいるんだ!
本当の家族に会いたい・・・

そう思った私は、4歳の時に大きな決断をした。

もうこんなとこにいたくない!
みんな私のことバカにして大嫌い!
どうせ私がいなくなっても気づかないよね・・・
どうせ私なんかどうなってもいいよね・・・
どうせ私なんていない方がいいよね・・・
私は本当のお父さんとお母さんに会いにいく!

家を出て歩き始めた。
4歳にして家出・・・人生初めての大きな大きな決意でした。

歩いているうちに、どこへ行けばいいのかわからなくなって悲しくなった。
おばちゃんのおうちに行こうかな・・・
でも、すぐにお母さんに電話されちゃう!また怒られるのはイヤ!

4歳の私は行くあてもなくて友達もいなくて知り合いもいない。

暗くなってきちゃった、怖いよ~
何もできないんだ、私。一人じゃなんにもできない・・・
家に帰るしかないのかぁ。

そんなことを思いながら、泣きながら来た道を歩いて家に帰った。

家族は私がいなかったことにも気付いていなかった。
いつもの日常を見て私は、やっぱりいてもいなくてもどっちでもいいんだって思った。
大きくなったら絶対にここから出て行く!
新たな決意をして、私も何もなかったかのように日常に戻った。

それでも毎日のように、兄と喧嘩をしたり家族にバカにされたりしていた。
でも一つだけ変わったのは、私は何を言われてももう何も言ってはいけないというパラダイムができたこと。
家出をする前の私は、耐えられなくて反発して怒ったり泣いたりしていた。
でもあの日以来、私はどんな時も怒ったり、人前で泣いたり、言いたいことを言ったりすることはいけないことだと思い、どんな時も我慢をするようになった。

そんな私にも一人だけ、涙を見せられて甘えられる人がいた。
母の父親(おじいちゃん)のお母さん・・・私にとっての曾祖母(おばあさん)。
戦争時代に旦那さんを亡くし、再婚したのが曾祖父。なので、おじいちゃんの本当の母親じゃなかったので子供たちにもお嫁さんにも厳しく接していたため嫌われていた。

そのおばあさんだけは、いつも私を大きな愛で包み込んでくれた。
どんなときも私の味方でいてくれた。
おばあさんは母の両親と一緒に暮らしていたので母が週末には連れて行ってくれたので、私はその日がいつも待ち遠しかった。
家で我慢している私をおばあさんが何も聞かずにいつも抱きしめてくれるので、溜まっていた感情を安心して出すことができた。
帰りたくないときはおばあさんのところに泊まって、二人で夜遅くまでおままごとをしたりテレビを見たりしていた。そして布団に一緒に寝てくれて子守唄を歌ってくれた。
私はおばあさんが私の本当のお母さんなんじゃないかといつも思っていた。
このままずっと一緒にいたいって思っていた。

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