「で、それを通してあなたは何をあらわしたいの?」
テクノロジーが発達して、人間の知性も進化して、
豊かになればなるほど、問われていく。
「あなたは何をあらわしたいの?」って。
スキルはやれば身につくだろうし、
人間は恐ろしいことに、慣れという習性もあるから
やる気なくたって、気がついたら身についてることもある。
今の子なんて、10年前の子よりうんと賢い。
人類の全体的な意識自体も進化しているから、みんな何かしら上手い。
ダンスなんて今じゃ誰でもできる。
まぁいろいろあげたらキリないんだけど、
とにかく。
周りはどこもかしこも上手いし、
自分も中途半端だけどスキルは持っている。
そんな時やっぱり要になるのは
「で、わたしは何をあらわしたいの?」
という問いだ。
自分の内面は何を表したくて、
それをどのようにして表現するのかなんて
学校で聞かれたことなんてあったかな?
生徒ひとりひとりの内面にある、その人があらわしたい「何か」に耳を傾ける時間なんて
ほぼ皆無だったはず。
まず、先生は常に忙しそうでそんな余裕なさそうだったし、
かっちりとした社会に沿わせようとすることだけで
あまり抽象的なことに対する興味がなさそうだった。
なんかちょっと話逸れちゃったけど、
現代はもう、スキルやスペックは各々が何かしら持っている上で
その人が持つ「ビジョン」にフォーカスを当てていくんだろうなと感じる。
そこには上下の優劣がない。
ただただそれを好む人たちと繋がって、クリエイトしていく。
今まであったジャッジもあまり参考にならなくなってきたりするのかもねー。
まぁ、完全にはなくなりはしないと思うけど、良い悪いという判断にそこまでの重要性がなくなってくるのかな。
なんてね。
だからもうさダンスでジャッジするとかなんて正直意味が分からなすぎて笑
ダンスなんてどちらかと言えば芸術の部類だと思っているから、評価したところで「で?」
「それあなたの感想ですよね?」みたいなひろゆきになっちゃう。
それがあってダンススクールが嫌いってのもあるんですけど(あ言っちゃった)
なんかいろいろねじれて膨れ上がってる感じがするんだよね。
違うパターンでも、
他のと同じのじゃつまらないからオリジナルの振り付けにする。
↑ここまではまぁ理解できる。
で、勝負します。
↑はぁ?って感じなのよ私は。笑
ちょいちょいちょーい!と。笑
せっかくオリジナルなものをなんでわざわざ戦って優劣つけるんだい!と。笑
しかも勝ったとしても、その「場」ではたまたまその人が注目されただけで、
他行ったらまた全然違う視点があるし、
強さとスキルだけのゴリゴリ基準で
弱肉強食みたいな、
ほんと狭いなーって思っちゃう。
なんかねー、なんて言ったらいいかよく分かんないけど、
矛盾をすごく感じるのよねー。ダンス界に。
今のダンスの世界を見れば見るほど、「ダンスって何なんだっけ?」ってなってくる。
まさに飽和状態。
だからもう、
・シンプルにやりたいからやる。
・表現したいことを表現する
そして
・自分の中に譲れない「何か」を持っている。
以上。
現代はこれに尽きるんだと思う。
なんだか後半ずっとダンス界に対する愚痴みたいになってしまったが
きっと、思ってる以上に「抽象的なもの」を情熱にすることは
すごく大事なんだと思うという話。
あ、あと上の箇条書き3つを共有できる「人とのつながり」もすごく大事だと思う。
1人じゃ成すことができない方が多いから。
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