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【小説】惑星間移民船コロナ号

1メール


 「○○ファンクラブ、ご担当様 
いつも○○さんの情報をありがとうございます。先日はサマーカードについてお問い合わせをしてしまってごめんなさい。今日、東京劇場公演のお礼状と一緒に届きました。
 もう少し待てば良かったですね。毎日『そろそろかな?』とソワソワしていたので、ついメールしてしまいました。 お礼状のお写真も、サマーカードもとても素敵です。
 ところでお礼状の舞台写真は、もしかして大劇場公演の時のでしょうか?私が東京宝塚劇場で観劇した時とお衣装の飾りが少し違うような気がして…。でもあの時は二階席でオペラグラスも忘れてしまったので細かい飾りは記憶違いかもしれません。ともかく○○さんの黒燕尾姿を見れてとても嬉しいです。
  サマーカードのオフショットもとてもお綺麗ですけど、なんだか印象が以前と少し違うような気がします。特に目元のあたりとかが…。
コロナ禍でお茶会などもなくなってしまって、素化粧の○○さんと直接お会いする機会もなくなってかなり経つので、少しずつ雰囲気が変わっていくのは仕方のないことですよね。
 早くコロナが収まって、入り出待ちやお茶会が再開して欲しいです。 次の公演も楽しみにしています。チケットご案内もお待ちしています。 
Aより」

2 カスタマーセンター

 俺はコンピューターの画面に表示された「カスタマー」からの電子メールを見つめて、どうしたものかと考えあぐねていた。 これは単に写真の感想を述べたものなのだろうか?それとも自分の「ファン活動」について何らかの疑念を抱き始めた兆候だろうか? 

 このAという「カスタマー」のステータスは最高位のダイヤモンドだから、もしもAがこの移民船の中での「観劇」に疑念を抱き始めたのだとしたら、これは上席に報告が必須の重大案件である。場合によっては、記憶の操作をもっと強力に行わなければならなくなり、そうなるとAと誓約を交わした記憶にも影響する可能性がある。 
 メールからその辺りのニュアンスを読み取るために、このほとんど全てのオペレーションをAIが行う中で「カルタマーセンター」にはまだ俺のような人間が配置されているのだ。

 俺はこの「カスタマー」宛の「お礼状」と「サマーカード」に使用された写真を画面に呼び出した。 黒い衣装(黒燕尾というらしい)でポーズを取る舞台写真と、背後に花が咲き乱れる公園らしき場所で、カメラに向かって微笑む短髪の女性の写真だ。
 そもそも俺にはこの2枚の写真に写っているのが同一人物なのかも判別できない。参考映像を見たことがあるので、宝塚という劇団の男役と言われる役者だという事は知っているし、Aが移民船に乗船するきっかけになったのが、この宝塚のスターが「舞台上で輝いている姿を永久に見ていたい」という理由からだということも知ってはいる。

  最近送ったことになっている数回分の写真も画面に呼び出してみる。何がおかしいというのだ。俺はAIが行ったこの写真の作成履歴を追って問題点を洗い出した。
  年に数回、Aに届けることになっているポストカードに使用する写真は、コロナ号が地球を出航する際に持ち出した映像や画像と、出航後に地球から船に送信したものを合わせて、船のAIが季節やその時々の「公演」に合わせて選定している。
 しかしコロナ号が地球を離れてから30年近くの年月が経過し、使える映像も限られてきているため、複数の写真を合成したり加工したりして新しい写真を作成している。それにも限界が出てきたので、今回のサマーカードは船が持っている地球のアーカイブ映像から○○と背格好の似た宝塚スターの写真を流用し加工して作ったらしい。お礼状の方は、公演の映像から切り取ったが、二列目で踊っている映像しかなかったので衣装の細部が分からず、最前列のスターの衣装をそのままコピーして画像を加工したようだ。
 そのために「印象が違う」「飾りが違う」という感想になったのだろう。

  俺は船のカスタマー管理システムにログインして、Aに定期的に送る写真の作成プログラムに修正を加えた。どんなに古くても不鮮明でも、○○本人の写真のみ使う事、以前と同じ写真になることを防ぐためには他人の顔や衣装との合成ではなくて、本人の写真を元に修正を加える事などの設定にした。
 これで多分写真に対する違和感は払拭される だろう。 他に何か修正が必要なプログラムはないかと、システムのメニューを端から確認している俺に 
「何やってるんすか?」と同僚のタカオが声をかけてきた。

  同僚と言っても二交代のシフト制勤務なので同じ時間に働くわけではない。かつては100人規模で船のカスタマー対応をしていたものだが、もはや地球にアクセスしようとするのは「カスタマーA」一人だけとなり、その対応以外はほとんど仕事はない。出航後30年を過ぎればコロナ号は地球との通信を切り単独で移民先の惑星へと向かうことになっている。
 そのため、カスタマーセンターは今はほとんど残務処理の状態であり、勤務の交代時にも特に確認するほどのことはない。ほんの数分もあれば事足りるのにタカオはいつも30分以上早く来て引き継ぎという名の雑談をしている。
 マスクも酸素ボンベも必要のない場所で、生身の人間と直接会話を交わせる機会はまれだから、その気持ちはよく分かるが、問題は20歳も歳下の「アフター・コロナ世代」のタカオとは共通の話題が何もない事だ。代わり映えのしない天気や選択肢がほとんどない食べ物の話を、ほぼタカオが一方的にして俺はただ聞いているだけだ。

3 コロナ号計画

2020年、世界的なパンデミックを引き起こしたコロナウイルス感染拡大は、その後の数年間でワクチン接種が進み一時的に封じ込めに成功したかに見えた。
しかし、変異株がデルタ株、オミクロン株に留まらず、イプシロン、ジータ、イータ株と続き、最終的にオメガ株が発見された時点で、日本政府はコロナウイルスとの戦いに事実上の白旗を挙げた。 

 いくらワクチンを打っても感染者数が減る効果は一時的でしかない。何度も何度も繰り返す新しく強力で多様な変異株の出現に対抗するすべはなく、感染者や死亡者が完全に収まる事はなかった。
 感染を防ぐには、人々の接触機会を減らすことしか策はなかった。学校も仕事もオンラインが通常になり、人々が家族以外と直接会話をする機会は失われていった。
 結果、婚姻率や出生率は破滅的な低下をたどった。 死亡率が増え、出生率が下がる。このままでは国が滅びてしまう。

 そんな危機感のなか政府が打ち出した日本国民の救済政策は、「太陽系外の惑星への移民計画」であった。
 ひとつの政令市に該当する規模の国民を移民船に乗せて宇宙に送り出し、人類が生息できる惑星を探しそこで日本国民を生きながらせよう、というものだった。
 当初この計画は、コロナ対策のすべてが後手にまわり、もはやどんな施策を講じてい良いのか混乱を極めた政府の、国民の不信感をそらせるための奇策として失笑と共に受け止められた。
 いったい誰が、宇宙に移民するというのだ。移民船が目的地の星にたどりつまではゆうに何世代かはかかる。地球から「船」に乗船した世代は船の中で結婚し子を産み、次世代に未来を託してその生涯を終える。いわば捨て駒だ。自ら望んで乗船する国民などいない。
 政府は労働人口の激減による税収の減少を補うために、行政サービスの対象となる特定の人たちを「移民」という名のもとに「棄民」しようとしているのではないのか、そんな愚策を許していいのか、そう思われていたのだが… 

4 パーソナル・メモリー・コントロール・システム(PMCS)

「ねー、この人って自分の好きなように記憶をカスタマイズしたってホントすか?」 
俺が操作している「カスタマーA」に関する画面を覗き込みながらタカオが言った。

 タカオは敬語というものを知らない。学校の授業も部活もオンラインで行われるのが通常の現在では、家族以外と直接言葉を交わす機会はほとんどない。場や相手に応じた言葉遣いなど理解できるわけがない。
 彼もこの「カスタマーセンター」で仕事をすることになった時に、文部科学厚生労働経済産業合同省が作成した「守りたい美しい日本の敬語」 という15分間の就活生用の動画で学習したはずだが、もちろん何も身に付いてはいない。
 といって、同僚として何か困るということもないので俺はまったく気にしてはいない。 

 ただ「ホントすか」と聞かれた時にどういう答え方をしたらいいのか分からなかったので、返事の代わりにモニターの、俺が確認していた箇所を指さした(「ウソす」と答えればいいのか?「ホントちがうす」か?) 。

  モニターにはカスタマーAの「カルテ」が表示されている。
左上に名前が、その右側に「出航後経過時間」である「29y11m5d23h50m15s」が表示され、秒の数字はめまぐるしく点滅し刻々と増えて分へ時間へと移って行き、もうすぐ出航から30年が経過することを示している。
 その下にカスタマーAの情報が可能な限り数値化されて詳細に記載されているが、俺がタカオに指し示したのは「地球に関わる記憶」欄だ。 
「人間関係」「仕事」「味覚」などの項目が軒並み0に近い数値なのに、「趣味」の項目だけは不自然に高い数値を示している。 

 タカオはカスタマイズと言ったが、本人のものではない記憶を人に植え付けることはできない。出来るのは、個々の記憶の「濃度」をコントロールすることと、記憶を「保管」しておいて必要な時に「再生」することだけだ。 

 コロナ号が出航する数年前には、すでに記憶のコントロール法(パーソナル・メモリー・コントロール・システム:PMCS)は実用化されていたが、その用途は「個人の記憶の保管および操作等に関する法律(個人記憶法)」により、医療用のみに厳しく限定されていた。
 特に終末医療の場面で、どうしても拭えない恨みや後悔の念が安らかな死を迎える妨げになるような場合に、それらの感情にまつわる記憶の「濃度」をほんの少しだけ薄める事は、痛みを緩和させるための措置と同等の扱いで承認されていた。
 難病の患者に苦痛を伴う治療を行う際に、その苦痛を感じた記憶を薄めることで治療に対する恐怖感を取り去り、治療効果を高める事も確認されている。
 まれに重度の依存症に適用することもあった。アルコールやギャンブルなどの依存症の原因となる出来事が特定された場合にだけ適用されるのだが、その出来事の記憶濃度を少し薄めるだけでも、依存症改善にかなりの効果があるのだ。
 PMCSではすべての記憶をざっくりと消し去ることはできないが、例えば眠れないと訴える人に、睡眠薬の代わりに軽い抗不安薬を処方することで、気持ちが楽になって不眠が解消されるのと同じように、他の記憶に影響しない程度に、特定の記憶を薄めるという手法が効果をあげていたのだ。

 原則は医療用にしか使用が認められなかったPMCSだが、コロナ号の計画が持ち上がった時に、政府は特措法を成立させて、乗船客に限り本人の希望に応じて記憶の保管や再生、濃度調整を可能とした。
 地球への望郷の念が船の中での生活に悪影響を及ぼさないように、すべての乗船客の地球に対する記憶濃度を少しずつ薄める必要があったし、一生を船の中で終える人たちへの特例措置でもあった。
乗船する人たちは、PMCSを個々の希望に応じて活用する権利を与えられたのだ。

 移民船計画と共に、このことが世間に知られるようになると、PMCSを使えるのであれば船に乗りたいという志願者が殺到した。
 これほど多くの人たちが、過去の消すことのできない記憶に苦しめられているものなのかと驚くほどだった。
 大概の人が特定の辛い経験の記憶や悲しい思い出を薄めて欲しいという要望を口にする中、カスタマーAの希望は一風変わっていた。

「愛する人の記憶を10年ごとにすべて消してください」

5 カウンセラー

「ご存じだとは思いますが」
カウンセラーは手元のタブレットに表示された質問項目のチェックマークを確認しながら、目の前の「志願者A」に答えた。
「PMCSは特定の記憶をすべてを消去することはできません。特定の記憶の『濃度』を限りなく0に近くするだけです」
「それで結構です」カウンセラーの語尾にほとんどかぶせるようにAは答えた。

 何しろ、まったく同じ内容の面接は3回目なので質問するほうも答えるほうも慣れ切ってしまっているのだ。カウンセラーは事前に前回と前々回の記録を読み込んですっかり頭に入っているので、実際に志願者Aと対面してもまるで映像をリピートしているかのような気になっていた。うっかりすると質問項目を飛ばしたり、答えを聞く前に次の質問をしてしまいそうだ。

 「移民船」に乗り込む志願者は乗船申請書類に、精神科医、政府の担当者、カウンセラーがそれぞれが同じ質問票に沿って面接をした記録を添付することが必須となっている。これは、ありていに言えば犯罪が発覚する事や借金から逃げるためや、何らかの原因で自暴自棄になり、一時的に精神状態が不安定な時に乗船を希望したのではないのかを確認するためだ。
 同じ質問をしているのに、その都度あまりに違う回答をする場合は何かを隠している可能性がある。それに本当に「船」に乗ることの意味を理解しているのかを複数人の視点で確認する必要がある。自分の一生を移民船の中で終える覚悟があるのかを確認できないままに乗船させるわけにはいかない。

 それは分かるんだけどね…カウンセラーはAへの質問項目を確認しながらこっそりため息をついた。毎回、3回目の面接を担当する心理士の心理も考えて欲しいのよね。こういうものって数をこなすごとに形骸化していくもので、この間の志願者なんか3回目の私のところに来るまで、医者も役人もろくに申請書類を確認してなかったらしい。志願者が受けることになっている、ごく簡単な精神状態の検査で明らかに危険な点数を示しているのに、その事について何の確認もされないまま最終面接に回ってきたのだ。
 直前の面接をした政府担当者に「CES-D検査って60点満点で13点以上は抑うつ状態と判断される検査なんですよ、47点なんて充分に重度の抑うつ状態ですけど?」と聞くと
「検査済なことは確認したし、満点に近いほうがいいのかと思っていた」としゃあしゃあと言われて、愕然としたものだ。
 これだからエリートは嫌だ。高い点数を見ると理屈抜きに安心してしまうらしい。
 結局、この志願者は数回のカウンセリングと医師の処方薬とでうつ状態が改善し、宇宙船への乗船を取りやめたのだ。このまま乗船させなくて本当によかった。出航してから船の中で、やはり地球に帰りたいと騒ぎだされては大変なことになる。

 あの時の志願者に比べたら、今回は何の問題もないわね、とカウンセラーは顔を上げることもなく淡々と定型の質問をし、その答えが手元のタブレットに表示させている前回の面接のテキストデータ通りなのを確認していった。

「いいえ、家族はいません。両親は亡くなっていますし、兄妹もいませんし」
「恋人はいたことはありましたが別れてかなり経ちますからもう顔も覚えてないかも。未練とかは全くないですね」
「『船』の中で良い出会いがあれば結婚して子供を持つこともいいなと思っています」
「『船』の中では働く必要はないと聞いていますが、出来れば仕事はしたいですね」
 「特に財産というものはないです。親と祖父母の位牌くらいかな。もちろん借金もないですよ」
 「友人と会えないのはちょっと寂しいかな。でもしばらくは地球とも通信できると聞いています。ずっとコロナ禍で人と会って食事をしたりもできないのであんまり変わらないような気がします。オンラインの飲み会もすっかり慣れましたしね…」

 Aの受け答えがそれまでと急に変わったのは、質問が「乗船動機」に移った時だった。
正確には、発する言葉自体は前回までの記録と変わらないのだが、今までは表示されたテキストデータをなぞるように聞こえていた声が、いきなり熱を持ち、表示された文字が明るい色彩を帯びてモニターから飛び出してきたように感じて、カウンセラーは思わずタブレットから目を離してAに目をやった。

「愛する人をずっと見ていたいんです」

 記録を文字で読んでいた時にはさらっと読み流したが、日常では使わない「愛」という言葉を、照れもなく口にするAはとても楽しそうに見えた。

「宝塚の○○さんという男役さんのファンなんです。好きになって10年近くになります。この数年でようやく劇場の壁に写真が飾られるようになりポスターに名前が載って、毎公演セリフがあって、舞台上でも真ん中近くで踊っていたり映像にも良く映り込んでいたりしてすごく嬉しいんです。
でも宝塚の生徒はいつか退団してしまうもの。退団する時は大劇場の大階段をひとりで降りて挨拶をするんです。私はそれをどうしても見たくないのです。
幸せそうにファンや劇場に別れを告げる姿を見たら、彼女を好きな自分は置き去りにされるような気がして。その後、どうやって生きていったらいいの…と」

「つまり、いつまでも退団しないでいて欲しいのですか?」 カウンセラーは思わず質問票にない問いを発した。

「いいえ、そうではないんです。時期が来たら新しい人生を歩み始めて欲しいと思っています。彼女が青春の全てを捧げて過ごした宝塚での生活が、足枷になることなくその後の人生を輝かせる力になって欲しい。宝塚の男役として幸せな夢をたくさん見せてくれた人だから、誰よりも幸せになる資格があると思うのです。
 でも、彼女が男役としてではなくて、本来の自分として生きていくその時間軸に、私は存在したくないんです」

「で、でも!宝塚の人って退団した後でも舞台とかテレビとかによく出てるじゃないですか?お店をやったりヨガの先生になったり、政治家になった方もいるし、確か学校に入り直してお医者さんになった方もいたと思いますよ!退団した後でも会えるかもしれないし、応援も出来るんじゃないですか?」
つい、むきになってしまうのはなぜなんだろう、ますます質問票の項目から遠ざかっていくことに焦りを感じながら、カウンセラーは言った。
だって、なんだかあんまりじゃない?何年も応援してきたと言いながら、辞めたらもう興味はないって、ひどくない?

「彼女なら何でもできると思いますよ。色々な才能もあるし努力もできる人だから、やりたい事があれば何でもできるだろうし、結婚して子供を産んでもいいし、今までの経験を活かして新しいことにチャレンジしてもいいし、舞台にまた立つ機会もあるかもしれないし…。
 でもそれは私が好きな男役さんとは別の人だと思うんです。私は、彼女が作り上げた『宝塚の男役』という存在を愛しているのです。それは彼女そのものではなくて、彼女の美学と努力が創り上げた幻です。私はその架空の存在が舞台上で輝き続けている姿をずっと見ていたいのです」

でも同一人物でしょう?とつぶやくカウンセラーに、Aはじれったそうに説明した。
「例えば、グルーズの絵画を愛している人が、ジャン=バティスト・グルーズ本人に恋心を抱いているわけではないでしょう?」

グルーズ?誰それ?ますます訝しげになるカウンセラーを見てAは言い直した。

「モーツァルトの音楽の美しさと、アマデウス・モーツァルトの人格とは別ものでしょう?
もちろん美しいものを生み出した人が、どのような人なのかはとても興味があります。その才能も尊敬するし制作過程を知りたいと思うけれど、それは彼らが作り出したものに心打たれたから、その制作者に興味を持つのだと思うのです。

 私は川の向こう岸にいる彼女をずっと見つめてきたような気がします。流れが穏やかで川面に反射した陽の光が彼女の姿をきらめかせている時も、台風のあとのような濁流が向こう岸の彼女の姿を霞ませてしまう時も、ずっと眼をこらして見つめてきました。でも自分が向こう岸に渡りたいとは思わないし、こちらの川辺を歩く彼女の姿を見たいとも思わないのです。

 私がもし退団後の彼女に会うことがあったとしたら、亡くなった恋人の双子の兄弟に会ったような気がするのでしょうね。別人だと分かった上でもう一度好きになるかもしれないし、外見は見慣れた姿なのに好きだった人とは違う人なのだと思い知らされて、もう二度と会いたくないと思うのかもしれません。多分、後者だと思います。
 だから私は『男役〇〇』が生き続けている世界を作って、その中で生きていきたい、それができる場所として『船』の乗船を選んだのです。  
『船』にはバーチャルルームがあると聞いています。今は映像も見たいところだけをズームしたり3Dで見れたりするから、観劇をした時の自分の記憶を「再生」すれば、劇場で実際に観劇したような状態で見れるはずです。
彼女はたぶんあと1、2作で退団してしまうと思います。最後の数作を劇場で見れないのは残念だけれど、退団を知らないままで一生を過ごしたいんです。
 この10年間に彼女が出演した映像をすべて持って乗船して、10年分の「公演」を見終わったら彼女の記憶を消して欲しいのです。そしてもう一度初めて見た作品から「観劇」しなおして次の10年間を過ごしたい。それをずっと繰り返して人生を送りたいのです。
 私は、あの美しい人が作り上げた男役の姿が、ずっと現実のものとして生き続けていると信じていたいんです。
 この広い宇宙空間で私ひとりくらいは、そんなふうに思い続けている人がいてもいいでしょう?」

ちょっと待って!大事なことを忘れてない?
カウンセラーは質問票をすっかり放棄して言った。
「でも、このスターさんの記憶を消してしまった後で公演の映像を見て、そこに映っている誰か別の人を好きになったらどうするんですか?」

Aは驚いたように眼を見開いてカウンセラーを見て、それから声をあげて笑った。なんておかしなことを言うのだろうこの人は、と言うような少し蔑みすら浮かべた眼つきでカウンセラーを見て答えた。

「何度記憶を消して、何度同じ公演を見ても私は必ず彼女を見つけて恋をします。そしてずっと好きでいます。それは絶対に間違いないです。
だから私を『船』に乗せてください、彼女が退団を発表する前に。少しも早く!」 

6 カスタマーセンター2

  「わっかんねー!」
 俺の頭の後ろから、モニターに表示させた30年前のカウンセリング記録を読んでいたタカオが言った。
いつの間にか俺の右肩にアゴを載せているので、モニターには下唇を突き出して口をへの字に曲げたひどく子供っぽい顔が映り込んでいる。

「推しが消えたら、新しい推しを作ればいいだけじゃん!」 

お前ならそうだろうな…と俺は思った。

 アフター・コロナ世代のタカオたちは、目の前の出来事を楽しみつくすすべには長けている。日常の中から小さな幸せを見つけ出すのが天才的にうまい。
しかし、彼らは自分の未来に楽しみを設定するという習慣がない。数日先の予定すら「コロナ感染」「濃厚接触者」の一言で中止され、その悲しさや悔しさを「仕方ない」の一言で飲み込まざるを得ない。
生まれてからずっと、そんな経験をしてきた彼らは、未来に夢を見ないし運命にあらがうことはしない。一か八かの賭けに「運命を変えよう」と挑むことなど決してしないのだ。

だから、10年先の自分の感情に確信を持っていたり、現実から自分を切り離してまで大切にしたいものを持つAの言葉は理解不能なのだろう。

「…でもこの人、本当にもう一度同じ人を好きになったんすね」不気味なものを語るようにタカオはつぶやいた。

「もう一度」ではない、もうすでに2回目の10年間の終わり近くなのだ。

 Aがファンだといったタカラジェンヌは、確かコロナ号が出航して2年目くらいに退団したはずだ。出航後に行われた公演は、Aの望むとおりに「シアターステージ」と呼ばれるバーチャルスペースを劇場仕様にして、本人には地球にいたときに宝塚劇場で観劇した時の記憶を再生し「観劇」したはずだ。退団公演も「観劇」したが、退団にまつわる情報はすべて削除してある。
 そしてそのあとしばらく時間をおいて、これまでの観劇の記憶を0近くに薄めてから、初観劇した作品の映像を「観劇」し、言葉通りに同じ人のファンになった。

「初めてお手紙を書きます」から始まるAの初めての(そして2回目の、いや地球にいたときから数えて3回目の「初めての」)手紙は、興奮と愛と幸せの感情であふれているものだった。

 その後もAは「観劇」を重ね、その都度手紙を書きポストに投函している。でもその手紙は地球に届くことはない。「船」のポストに投函された手紙は電子分解されて宇宙に霧散される。数か月に一度はサンプルとして手紙をスキャンしてデータが地球に送信されるが、一定期間保管された後で破棄される。

俺はスキャンされた手紙を何通か読んだことがあるが、
「〇〇さんの舞台を見るたびに幸せな気持ちになります」
「こんなに素敵な人のファンになれて幸せです」
「今日もとても素敵でした。あのシーンのあの振りが特に…」

観劇をした時の感動や、いかに彼女が好きなのか大切な存在なのかを、言葉を尽くして伝えようとする内容が便箋何枚にもわたってつづられている。
同じ公演の映像をみて、よく何通も書くことがあるものだと感心するほどだ。

でも、この手紙は決して相手に届くことはないのだ。
「船」のAIは、「観劇」のための「シアターステージ」の使用履歴と、ポストに「宝塚歌劇団〇〇様」の手紙が投函された記録を読み取って、定期的に「お礼状」と季節のカード類を作成して、A 宛に送付することがプログラミングされている。

Aのカルテの「地球に関わる記憶」欄の「趣味」の記憶数値が異様に高いままなのは、「観劇」に関することだけは、地球にいるときの記憶を「再生」し続けて欲しいと希望し誓約を交わしたからだ。
観劇以外の地球の記憶は、他のカスタマー同様、ほとんど残っていないはずだ。だから船のAIは何度となく、「お礼状」の発送を遅らせたり、次の「公演案内」の送付を遅らせたりして、少しずつ記憶をフェードアウトさせるように仕向けていたのだが、その度に、「お礼状はまだですか?」「次の公演の発表が遅れているのはコロナのせいでしょうか?〇〇さんはお元気なのですか?それだけでも教えてください」と何度も「ファンクラブ」あてにメールが来るのだ。
たぶんこの「ファン活動」はAが生涯をコロナ号のなかで終えるときまで、ずっと続くのだろう。

俺はAへのお礼状にまつわるプログラム設定の修正点をタカオに示した。
タカオはこう見えても優秀なシステムエンジニアだ。俺がさっき施した修正箇所を検証してさらに完全なシステムにしてくれるだろう。  

7 定例会見

タカオがさっそくプログラムの検証にとりかかろうとした時に、正午の時報が鳴り公共Wi-Fiに接続しているスマホやタブレットなどに自動的に「シュショー・ロボット」の定例会見の様子が映し出された。
タカオは、仕事はそっちのけで「シュショーだ!シュショーだ!」と手をたたいてはしゃぎだした(まったく、子供っぽい)。

 毎日、この時間に10分間の会見が生中継される。「会見」と言ってもシュショーが10分間話をするだけだ。以前は質疑応答があったが、質問に対してかみ合わない返事をするバグが修復できないまま、質疑応答は行われなくなった。
数10秒間のスクショタイムの後「お待たせいたしました。ただいまからシュショーの会見を始めさせていただきます」とのアナウンスで定例会見が始まった。

「国民の皆様の安心・安全を守るために、私は新しい標語『stay home,love,famly』を提唱したいと思います。これは、在宅で家族を愛するという意味で…」

 定例会見の内容は国民の最近のSNSの分析や過去の政策などからアトランダムに抽出された文言を使うので、あまり内容に意味はないのだが、冒頭とその後きっかり3分ごとに「国民の安心・安全を守る」というフレーズを発するようにプログラミングされている。
これは便利なシステムで、初めの「安心安全」でカップラーメンにお湯を入れれば2度目の「安心安全」で食べごろになりタイマーいらずなのだ。しかも一度目の「安心安全」でお湯を入れ忘れても2度目で入れれば3度目に間に合うのだ。本当に国民の生活を考えた思いやりのあるシステムだと思う。
 こういったきめ細やかなところが「シュショー・ロボット」が国民に愛される所以である。

8 シュショー・ロボット

 コロナによる人口の急激な減少により、様々な業種の仕事がロボットに移行されていった。政治家をロボット化するのはかなり早い時期に行われたが、特に何の問題も生じなかった。
 定期的に「ソーセンキョ」で「首(ヘッド)」が新しくなる。髪型や頭部の形や目鼻口耳のパーツなどを国民全員の投票で決めるのだ(以前は「ソーサイセン」のあとに「ソーセンキョ」を行っていたのだが、「なんで同じことを2回やるの?」という疑問に誰も答えられなくなり「ソーセンキョ」だけとなった)。

 一度はなぜかアフロヘアが選ばれたことがあり、あの時は新しい「首」が公開された途端に国中が沸き立つものすごい騒ぎとなった。今でもあの日のことは「アフロ祭り」として語り継がれている。別の「ソーセンキョ」では目元のパーツで黒いサングラスが選ばれたこともある。あの時の「首」は国民全体から「BADDY君」と呼ばれて親しまれたものだ。

 だが最近は割とオーソドックスな首が選ばれている。数年前から「ソーセンキョ・ロト」が始まり、選ばれた首の全てのパーツと同じものを投票した国民のうち10名に「一年分の酸素ボンベ」がプレゼントされる事になったからだ。酸素ボンベさえあればコロナにかかっても入院させてもらえるし、金に変えることもできる。「ソーセンキョ」は今では自分たちの生命をかけた真剣な投票なのだ。

 現在の「首」は横分けにした薄い髪を頭皮にぺったりと撫で付けた丸顔の70代くらいの風貌のおじさんである。オドオドと視線をさまよわせながら、怪しいろれつでモゴモゴと話す様子を「庇護欲をそそる」「キュート」だとして歴代でも割と人気のある「首」であるが、まもなく行われる「ソーセンキョ」で新しいものにすげ変わるだろう。

 ちなみにタカオの「推し」は、今のシュショー・ロボットの「首」である。毎日会見前のスクショタイムで撮影した写真でアルバムを作ったり、SNS上で「同担」と情報の交換をして楽しんでいる。
 「首」が新しくなったらタカオは一瞬は悲しむだろうが、すぐに新しい「首」の写真のコレクションを始めるのだろう。

 引き継ぎを終わり、じゃあな、と俺はタカオに手を挙げてあいさつしたが、彼は撮影したばかりの「首」の写真の確認に余念がない。
 俺はカスタマーセンターの二重扉を開けて外へ出た。俺が昨日、出勤したときは、傘も役に立たないような豪雨だったが、今は厚く重苦しい灰色の雲に空一面が覆われている。 

9虹

「雨が降らなければ虹は出ない」

昔、そんな歌を聞いた事がある。
今は雨が降っても虹が出ることはない。コロナの感染予防が何よりも優先された結果、人々は個々で過ごすことが増え、コロナ以前とは比べようがないほどの電気消費量になった。かつての「省エネ」という言葉が死語になり、人々の意識から離れて行った途端に、あっという間に気候変動が激しくなった。
オゾン層はもはやズタズタなのだろう、時折、土砂降りの雨の後に一瞬にしてすべてを干上がらせるような殺人的な日差しが交互に襲う以外は、ほとんどは空はどんよりと曇っている。青空を見ることはないし虹など出る暇もない。

アフター・コロナ世代の若者たちは、刻々と悪化する環境の変化を、まるでジェットコースターのスリルを楽しむように受け止めているようだ。
目の前の出来事を楽しむ事には長けているが、未来に夢を設定する習慣を奪われて育った彼らに、数10年後、数100年後の地球環境のために尽力するという発想を求める事は不可能だろう。

タカオは虹を見た事がない。だからどんなに言葉を尽くして説明しても「雨上がりの空に七色の橋が現れる」という風景を想像することはできないだろう。
知らない事は思い描けないし、それを見れない事に喪失感を感じる事もない。

コロナ禍以前の世界を知らないタカオを、気の毒だと思いながらも、時々うらやましさを感じてしまう事がある。
鉛色の空を見上げる度に、いつかあの重苦しい空が割れて懐かしい紺碧の空が現れるのではないかとつい期待してしまうからだ。
時折襲いかかる、鉄をえぐるような暴力的な雨の代わりに、絹糸のようなしめやかな雨が空気を洗い流し、雨上がりの雲の間から差す太陽の光が大気中の粒子に反射して、空に虹の橋を架けるのではないか、と。
期待は虚しさしかもたらさず、その度に心にさざ波が立つ。

 でも、俺はかつて空に虹がかかる風景を確かに見たことがある。その記憶は決して消えない。その風景を思い返すたびに胸の内に込み上げてくる感動も消えることはない。
その記憶は時には現実の苦しさを増幅させるだけのように思えることもある。あんなに美しいものを見た記憶がなければ、今の灰色の世界をこれほどまでに苦しいと思うこともないのではないか、と。
 それでも、俺は感動を知らないままの人生よりは、どんなに苦しくても美しいものを見た記憶を大切にしていたい。

 人は今を生きるものだ。未来への夢や希望が生きる糧になる時には、足元の「今」に注意を払わないかもしれない。手を伸ばした先にあるものだけを見つめて歩を進めていけるからだ。
でも輝く星を見上げて歩ける時ばかりではない。暗闇の中で立ちすくまずに進むための、足元を照らす明かりとなるのは、自分の中にある美しい思い出なのではないか。美しいものを見て、それを心から愛した記憶を自分の中に確かに持っている事が、今を生きていく力になるのだと俺は思っている。

 さて、家に帰って休む前に、政府の映像センターに寄って、過去の宝塚の映像をもう一度集めよう。30年前より画像加工技術は格段に進歩している。Aがファンだと言っているタカラジェンヌが、ちらっとでも映っている映像があれば、それを元に映っていない部分を補ったり、別角度からの画像に編集し直したりできる。出演していた映像全てを、そのタカラジェンヌを中心としたものに編集し直して圧縮データにして船に送ってやろう。

 Aが「ファン活動」をする10年間を、あと何回繰り返すのかは分からない。でも、Aが愛したものを否定する権利は誰にもない。現実ですらAが大切にしているものを奪うことはできない。架空のものを愛しているのだとしても、それがAにとっての「真実の愛」なのだろうから。

 もうすぐ、船と地球との通信は途絶える。カスタマーセンターの仕事も役目を終える。
いつかコロナ号がたどり着く惑星は、これから青春期を迎える若々しい星であってほしい。
そこに降り立つ人々は、どんなに記憶を薄めた後ですら遺伝子に刻み込まれた祖父母からの地球の記憶を持ち続けるのだろう。彼らがその記憶を希望に変えて作り上げる新しい世界は、きっとかつての地球よりも美しい星になる事だろう。

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