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ウズベキスタンで学んだ「心」

 久しぶりにきちんと文章を書かねばならない機会があり、先日行ったウズベキスタンについての学びについて記した。学びと言えるほど勉学勉学した訳でもなく、体感的にはツアーか旅行に近い、ただただ充実した楽しい渡航だった。折角なのでここにも残しておこう。渡航記はまたそのうち書けたらいいなぁ。

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 ウズベキスタンで出会った方々は、学生、役人、労働者など立場を問わず、みな他者に対して友好的でありながら、謙虚さを持つ、温かい人たちばかりであった。ウズベキスタンの伝統として、古くからおもてなしの心が大切にされているのだという。

 私達学生はウズベク語を学び、現地では毎日ウズベキスタンの人々に話しかけ、積極的に交流をした。「Assalamu alaykum」は、いつでも使うことができる基本の挨拶であり、相手の平安を願う意味を持つ。日本と異なり、ウズベキスタンでは挨拶をする際に、胸に手を当て、礼をするのが特徴だ。毎日誰かに出会い、この挨拶をする度に、相手に対する思いやりと敬意こそが、人と関わる上で最も大切なものであると強く感じられた。

 ウズベキスタンの方々は、会ったばかりの見知らぬ外国人である私達に対して、当然のように歓迎し、大いにもてなしてくれ、常に関心と礼節を持って接してくださった。困り事があれば、多くの人が親身になって助けてくれた。

 こうしたウズベキスタンの人々の温かさに触れ、他者に対して自分がどう在りたいかを見つめ直すことができた。態度や行動は、自分の心の在り方と強く結びついているのだと感じた。

 ウズベキスタンではイスラム教を信仰する人が多く居た。イスラム教には、やってはいけないことが多く、ムスリムの方々は、そのルールに従って行動しているのだと思っていたが、実際はそうではなかった。衣装、食事、礼拝など、イスラム教で定められている事柄は、生活の中で大きな位置を占めているが、その選択は個人の自由であり、信仰心を持ちながらも、自身の意思で選び、行動しているのだと分かった。

 信仰には、その人が大切にしたいことが詰まっている。同じムスリムであっても、一人一人大切にしたいものや、その程度は異なる。多文化共生が叫ばれる現代社会であるが、相手の大切にしたいことを知ること、そして尊重しようとする心は、文化や宗教の違いに限らず、誰に対しても重要なことであり、他者と生きる上での基本であると実感した。

 私は教員を目指しており、様々な境遇の子どもを理解する為に、多くの人と出会い、交流し、他者を知りたいと思っている。他者を知るために、自分とは異なる文化や歴史を知ることはその一歩である。

 今後は、私自身が学ぶだけでなく、子どもたち自身が、実際に経験し、心を動かされるような大切な学びを得るためにはどうしたら良いかを探求していきたい。子どもたちが様々な経験をする中で、出会う人々、自分を含めた「ひと」を大切にする心を持てるような支援ができたらいいなと思う。