「よかった」と思いたい病

 今日は欠員が出たとのことで、バイトの終わりに飲み会に誘われ、その場の流れで参加することになった。またも断れない自分よ……

 皆のお母さん的存在の面倒見の良いパートさん、その子どもたち、2〜3回会話したくらいの素性をよく知らない女の子、というコミュ障の自分にはまあ無理だろうという謎メンバーだったが、実際行ってみると、同じ職場という共通の話題のおかげで案外無理することもなく普通に過ごせた。初めに身構えてしまわなければ、自分って案外コミュ障でもないのか?と思いつつ、まあでも、勝手に話す人が居れば聞いているだけでその場に参加するのは大して難しいことでもないし、約1年共に働いていた人相手に会話ができないのもそれはそれで問題だろうとも思うので、安易に思い上がらないようにしたい。

 誘われて参加するのはいいが、奢ってくれるわけでもない飲み会は、普段自炊で節約している私にとって、突然の割とデカめな出費。今回その対価として得るものがあったのか?と言うとすぐには思いつかないのが正直な気持ちではある。だが、声を掛けてもらい(他人の)家族や仕事仲間と共に卓を囲めた今日の機会は、家に帰っても1人、バイト先でも仕事以上の関係性を築いてこなかった私にとって、なんとなく胸を温かくするイベントだったのは間違いない。

 このバイトも働き始めてもう1年になるが、仕事さえできたら良いと割り切り、仕事中も他の人と積極的に関わってこなかった。そんな中でも親身になって声を掛けてくれたパートさんたちには、仕事上の関係とは言え感謝の思いがあるし、辛い境遇でも共に頑張っていた仲間には戦友のようななんとも言えない親しみを感じている。

 だからと言って、これまでの働いてきた日々を思い返しても、ここで働いて良かったとも思わないし、今後も続けたいという強い気持ちもない。ある程度仕事にも人にも慣れた頃、辞めようと決めた今になって、職場環境も改善され始め、周りの人とも親しく話せるようになってきて……未練たらしい気持ちで働いているこの頃。きっぱり辞めて環境を変えるべきだと分かっているんだけどな……

 しかし、今日の飲み会の件も、先日の在籍延長の件も、はっきりと断れない自分の性質をいい加減変えないといけないな。加えて、良くないことがあっても、何かしら「良かった」と思うことを探して自分を正当化しようとする節がある。何につけても「まあでもよかったじゃん」と曖昧に終わらせてしまわないで、自分に不必要なことはきっぱり捨てる、良くないことは良くないと言い切れる潔さを持ちたい。

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 先日始めたこのnote、なんやかんやで今日も無事に続けられているな。こうして書き付けていると、普段ならいつの間にか体内に消えていってしまう、言葉未満のぼんやりした感情にも向き合えているような気がする。これまでだったら他者を通じてでしか消化できなかったこの感情を、他者に頼らず自分一人で完結させられるのもいい。一方で、言語化することで、実際抱いていた感情に比べてやけに大袈裟になったり、その方向が固定化されたり、答えをただ一つに決められてしまったりといった良くない点もあるが……
 
 一歩一歩立ち止まって考え込まないで、たまにはその時の気分に身を任せてしまいたい……ま、今日は疲れたから、一旦手を止めてゆっくり寝よう。