記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ドラえもんオマージュとしての『デデデデ』後章感想&その他アニメとか漫画とか。

前回の記事:映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』感想。

観てきましたよ『デデデデ』後章

いや、おもしろかった。

どれくらい面白かったというと、基本的に私はいわゆる「セカイ系」のお話好きじゃないんですが、この作品はカテゴリーとしては「セカイ系」に入るとも言えるのに、

「これはこれであり」


って思えたとこなんですよね。

 なんというか、ここまでやられちゃしょうがない。俺の負けだ。いいぞもっとやれ。

 まあ、そのくらい徹底して世界を描き込んでることもあって、そこまで突き詰めた結果の結論がこれならもう飲み込むしかないって言いますか。
 
 私はいわゆるありがちな「セカイ系」だと、もう二人で勝手に幸せになってくれだけどこっちを巻き込むな、って感じで「すん…」ってなっちゃうんですが、小学校低学年くらいのまだ自分の「社会」をコントロールどころか把握すらできないような状態で、いじめなどの要因で孤立していた二人にとって、お互いが唯一の「世界のすべて」だったんだから、それはもう絶対。間違いない。(特に門出は両親にも問題ありだったし、自宅にも逃げ場がなかったよな…)


 それと、まあご存じの方も多いでしょうが、この作品かなり徹底した『ドラえもん』のオマージュ作品なんですよね。劇中劇ならぬ劇中国民的漫画『イソベやん』がモロにそれな上に、敵性宇宙人の進んだ道具がドラえもんの秘密道具になぞらえてたり、宇宙人の母艦の動力がF(ファンタジウム)元素から作られるFエネルギーだったり。

 今までもちょっとテイストお借りする程度のオマージュやパロディ作品は数あれど、ここまで徹底して踏み込んだものはそうはなかったはずです。そういう意味で、藤子F先生ファンとしても印象深い作品です。(逆に怒っちゃう人もいるかも)

 ひみつ道具(ないしょ道具)と言えば、これは前章の時に書きそびれてたんですが、イソベやん(異星人)の道具もそうなんですが、門出がそれらの道具をつかって行った「正義」の暴走自体が、ひみつ道具の中でもインパクトという意味ではピカイチの「独裁スイッチ」にかぶるんですよね。
 もちろん門出は「人殺し」を是とはしていないけど、自分の正義(という名のえり好み)で悪人を決め打ちして処分し続ける辺りは独裁スイッチにとりつかれたのび太そのものですし、結果、守りたかったもの(のび太の場合は正義と平和な世界・門出の場合はおんたんという絶対的な存在)から孤立してしまうという最悪なラストを迎えるが、ドラえもんのように「もう懲りただろうから許してあげる」という優しい「オチ」は来ない。残念ながらイソベやんはタイムマシンは持っていなかったし。

 そこで現実は変えられない代わりに、門出の暴走自体をなかったことにするというダイナミックな解決法がなされるけど、これもドラえもん脳で見ると「もしもボックス」~かなと思いつつもここはやっぱり「人生やり直し機」なんですよね。
 わりとマイナーなひみつ道具なんで解説すると、名前のまんまで人生のある時期に戻ってやり直せるって道具なんですが、おんたんの場合との違いは「道具を使用してる時点の記憶や知力・体力を保持したまま戻れる」という点と、別の時間軸ではなくそのまま過去の自分に上書きされるという点。
 ギャグ漫画であるドラえもんはおもしろさ重視で細かい矛盾は流す場合があるので(当然F先生はわかっててやってるものだと思われる)、元の経験と上書きされた経験が二重になってるとかはまあご愛敬。

図① 二つの時間軸(パンフレットより引用)

 ただ『デデデデ』の場合はその辺シビアなので、上書きされた時点で別の時間軸に分岐する感じらしい。その場合、図①(パンフレットより引用)の時間軸β(門出が自殺する時間軸)におけるおんたんの存在はどうなるんだろう、やっぱりいなくなっちゃうのかな?とか思いましたが、そもそもおんたんは門出のいない世界が耐えられなくて決断したのでこの辺は本ストーリー的には気にしてもしょうがないのだろう。それよりも問題は、上書きされた時間軸αにもともといたおんたんの人格はどうなってしまうのだろうって部分。ここもまあ、本人自ら乗っ取るわけなので問題ないんだろうとも思えるけど、何か引っかからんでもないなぁ。まあそれはともかく。
(この手のSF事象はどうしてもタイムパラドックス的な矛盾がはらみがちなので)

 その後の展開はまあいろいろ驚くこともあったけど、でも多分見た目のインパクトほどの意味は持たないんだろうと思う。重要なのは、おんたんが門出がいる世界を選んで、それがなされたという部分(選択)であり、その後のことは見もふたもない言い方をすればその「結果」でしかない。
 いやもちろんおかげで世界中酷いことになってますが、二人の「絶対」に比べれば些細なこと(変なこと書いてる自覚はありますよ?w)
 そして悪夢のようなハッピーエンドが訪れるわけです。

 この作品は、前章の感想でも書きましたが明らかに東日本大震災後の社会の雰囲気を下敷きに描かれた世界であり、政府や企業・マスコミやSNSに踊らされる一般市民などをかなりシビアな視線で描いてるのでそっち系のメッセージの濃い作品なのかとも思いました(と言っても前章の半分くらいまででした)が、最後まで見た印象としてはそういう社会批判的な部分はないというか、左だ右だ、保守だリベラルだと何れかに肩入れするような主張よりも、とにかく俯瞰で冷めた目で現実をスケッチしてるって感じでしたね。この辺はかなり好みでした。むしろそういった主人公たちを取り巻く「世界」を念入りに書くことで、それすら犠牲にしてでも勝ち取りたい二人の「絶対」が浮かび上がってくる感じでしょうか。

 ちょっと気になってるのが、他の方の感想で「時間軸αは漫画的世界・βはリアル世界なので、漫画っぽい犬などはαにしか出てこない」って言うのがあって、あれ?そうだたっけ?って。
 この辺はちょっと気にして観てなかったので、次に見るときなその辺も注目して見てみようかなぁと

 本編以外でいいなと思ったのは、キャラクターのファッションがおしゃれというか奇抜というか、わざわざ衣装にファッションブランドの方を呼んでたりと、そういう部分も楽しい。

 主人公の一人”おんたん”が着ているTシャツが「銀杏BOYZ」のだったり。いや、私が「銀杏BOYZ」のファンという訳じゃないんですが、長年みうらじゅんさんのファンをやってると自然と目に入ってくるバンドなんですよ銀杏BOYZというか峯田くん。




「銀杏BOYZ」で思い出しましたけど、最近SNSでちょくちょく名前を見るようになった漫画『ふつうの軽音部』がおもしろいですね。Xッターであきまんさんが褒めてたりしたんで気になってましたが、最近無料で読める分(8+2話)まで読みましたが、タイトルの様に「普通」なのがかえってすごい。

 『けいおん!』のように普通の女子高生という体(てい)なのにどう見ても特別な存在だったり(好きですけどね)、『ぼっち・ざ・ろっく』(これも大好き)のようにYoutubeで何万ビュー稼ぐような、コミュ障だけが弱点(でも致命的)のギタリストがいたりもせず、ほんと人数だけは多いけどわりと有象無象で大半の部員がそれほどやる気がなくて、些細なことで人間関係ギスギスしたりここぞという時にカッコいいこと言えなかったりって感じを見てると、そういや『けいおん!』とか『ぼっち・ざ・ろっく』とかってなんだかんだ言ってたまたま集まった才能ある特別な人間が団結して活躍するという、特別な物語だったんだなぁって。


 そうそう、『ぼっち・ざ・ろっく』といえば、『デデデデ』を観に行ったTOHOシネマズ新宿で、ゴジラと承認欲求モンスターが夢のコラボしてたのがステキでした。

キングオブモンスターVS,承認欲求モンスター

今月は『デデデデ』と『ウマ娘』を観に行ったし、『ぼっち』は総集編だから劇場版はいいかな~と思ってましたが、最近TVシリーズ見返してぼろ泣きしたりしてる程度には好きな作品なので、うっかり観にいっちゃうかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?