わたしは哲学対話をしたいんだ


私は哲学対話をしたい。
突然どうしたの?て感じですが、永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』を読んでそう思ってしまったのであります。
ちなみに哲学対話とは、哲学の専門的な知識は不要で、生きるとは何か、自由とは何か、など日常にある素朴な問題に対して、皆で問いを立て、考えを深めていく活動のことだそうです。

そういえば、東京にある書店SNOW SHOVELINGの中村さんと京都にあるMEMEME COFFEE HOUSEの晴さんが開催していたHRも今思えば哲学対話だったのか。楽しかったな。

私には物事の真理を掴みたいという強い渇望のようなものはないけれど、どうして?とかどういうことなの?と思ったことについて、ああでもない、こうでもない、いや、そうなのか?と考えてしまう。
ひとりで考えても同じところをぐるぐるぐるぐる。
何ひとつまとまらない。真理なんて程遠い。
こどもの頃からずっとそうだった。

悶々と考えていることを誰かに問うてみたいけど、何となく煙たがられそうだし、結論が出るわけでもないものに付き合わせるのも申し訳ない。
たまに意図せず対話モードに入ることもあるけれど、それを前提に対面していないわけだから、相手がそれを望んでいるか分からないし、どこまで踏み込んでいいのかも分からない。
結局中途半端な会話にとどまってしまう。

だったら対話をしたい人がそれを目的に集まればいい。
実際HRにもひとつのテーマに対して話したい人たちが自分の意思で集ったわけだし、色々な場所で哲学対話が行われているらしいし、これはやってみてもいいんじゃないかしら、というわけです。

とはいえ、哲学対話と銘打った会に参加したこともなく、ましてや昨日今日哲学対話の存在を知っただけの思いつき。
それに加え、普段から人に伝えるためのアウトプットが苦手で、話し始めると思考が四方八方散らばって、結局何が言いたかったのか迷子になってしまうので、とりあえずお題を決めて、それについて考えたこと、思ったことを表に出す練習をこのnoteを使ってやってみたいと思います。

読書室の木犀とは直接関係のないことではありますが、実際の哲学対話をスタートさせる時までしばしお付き合いください。
ただ、やりたいことの根っこのところは同じようなつもりでいますので、それが伝わっていたら嬉しいです。それではまた。


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