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名前を呼ばれて泣いた日

モトさんは、もっと信じてみてください。
モトさんは、感じたままに出していいと思いますよ。
モトさんは、そんな姿のままじゃつまらない。

たくさん名前を呼ばれて、フィードバックを受けて、涙が目に浮かんできた。
そして泣いた日の話。

ZaPASS Advance編

5/29~30で、ZaPASSの提供するコーチ養成講座の最後のフェーズ、Advanceの開催がありました。

場所は神奈川県伊勢原市の大山を舞台に、OS、Beliefを扱い、己を見つめていく時間。

大まかなタイムラインはあるけれど、決められたカリキュラムはなく、全ては参加者が場に出すものに即興的にスポットライトを当てて、コーチ兼人生の案内人の小寺さんのファシリテートで進んでいきました。

今回は、Basic編、そしてStep up編まで修了した4期、5期の11名が共に探求する仲間として集まりました。

今、ココを感じること

合宿の詳細は、あの2日間をつくった仲間たちの中だけで味わえるものとして、あえて言葉にはしないでおきますw
というよりも、もはや今となっては言語化できない、その場で感じたことがたくさんありました。
ナマモノなので、その場はもう二度と味わえません。
ただ、テーマとして扱ったことは、「今、ココを感じること」でした。

過去に囚われていると、今に意識を向けられていない。
未来を想像し過ぎると、今を生きられていない。

今、ココから湧き上がる気持ちは何か。
思考は感じたことを考える補助輪である。

その今の気持ちを起点に、今ココに乗って、どんな純粋な未来を描けるか。
今、湧き上がる泉を流して、循環させていく、そして、人生は進んでいく

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少しずつ、心が動いて…

合宿参加にあたり、この5月の一か月間、比較的順調に、心身のエネルギーは流れていたと思います。
直近2〜4月の間は、かなり悩みながら、葛藤しながら、何が自分の信じる答えなのか、自分は何を成し遂げたいのか、これらを模索しながらじっくり考えつつ、手を動かすような、変容の期間となっていました。

急かされたり、あれじゃだめだ、これじゃない、もっとやるべき、そんな声やフィードバックを受けて、なんか違うな、気持ちが乗らないな、本当にそうなのかな、こっちもあるんじゃないかな、そんな思いを巡らせながら、それでもじっくり、ゆっくり、時間をかけて一生懸命やっていました。

そうすると、5月に入ったくらいから、スッと動けるようになった感覚があり、一つ一つ、取り組んでいるうちに、徐々に葛藤は小さくなり、純粋な気持ちで動けるようになってきていました。

何かがむしゃらにやってきた期間が一度終焉し、変容のためのニュートラルな期間を置いて、また始動していく。
ひとつ成長するためのストレッチ時によく起こる、トランジションというものじゃないかなと思います。
(積読になっている”トランジション”を読めば何か分かる気がしますw)

そんな状態で参加できたことから、今の自分は穏やかだなぁと感じていました。
大山の自然や空気をしっかり味わうことができていましたし、仲間の場に出すシェアに対しても純粋な心で聴くことができ、味わえていました。
本当に曇りなく、その場を感じていました。

仲間のシェアには、自分の心にも触れる、刺さるものがあり、時には涙が浮かんだり、微笑んだり、大きく頷いたり、唸ったり。
個人個人で人生の旅路は違うから、使う言葉が同じでも表している感情は違ったり、同じ出来事に対しても感じ方が違ったり。
既にZaPASS講座を受けてきて、感情を味わう感覚を、身体で心で捉えられている仲間たちのストーリーには味わい深いものがありました。

11人いれば11人の人生が。今ココが。感情が。
それをじっくりと時間をかけて、体験として理解できた合宿は、とても価値のある時間だったなぁ。
そう合宿の総括を自分の中で感じていた2日目の午後でした。

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自分の願いとはなんぞや

命それぞれに躍動があり、願いをもって生きている。
あなたの願いは何ですか

一度そう問われた時、笑顔でいること、笑っていられること。
その笑顔が周りにもよい循環を生み出していること。
それが自分の願いですと、場に出していました。

今は心穏やかで、じっくりエネルギーを使って、力強く生きることができている。
その延長には、幸せで満たされた笑顔の世界がある。
純粋に、違和感なく、そう感じていました。

ふいに、人生の案内人の小寺さんより、

モトさん、カタくないですか

そう声をかけられて、ちょっと感じたものを出してみましょうという探求の場をつくっていただきました。

今、目の前にいる仲間たちの目を見て、感じることは何ですか。
そう問いかけられて、う~ん、これは苦手なやつだなと感じたことが記憶にあります。

自分の心の中を、今の状況を、感じて場に出すことは、自分の話なので、捉えられる心境や状況であれば、難しくはありません。
そこに正解はないし、感じたままに出せばよい。

一方で、誰かを見て何かを感じ取って、それを言葉にして出していく、それは相手があることだから、変なことは言えない。
よーく観察して、感じ取って、どんな言葉で場に出せば伝わるか、伝えられるか、しっかり思考してから場に出す。
これは一気にハードルがあがります。

まず観察して、思考する。
アウトプットする前に必ず入る観察と思考、これ自分のパターンなんですよね。
その場で思ったことが正しい感覚とは限らないし、相手に違和感のないように伝えたいし、可能な限り変なことにならないように思考する。

こんなパターンがあるから、相手の目を見て何を感じますか、そんな問いかけをもらうと、まず目が大きく開いているか、細くなっているか、表情は固いか、柔らかいか、そんな思考が一瞬で駆け巡りました。
そして、出てきた言葉は、まずは状況説明。
身体の向きが、手の位置が、動きが。

それって今ココを感じてますか、感じたことを場に出していますかというと、そうじゃないよねと。

なんだよ感じたことって。うまく出せないなぁ~、感じて観察しているんですよ~そんな風に感じていると(これがまさにその時、今感じていたことw)、もう少し探求してみましょうとアクティビティを組んでいただき、アクティビティ後に仲間から私に対してフィードバックをもらえる、そんな時間になりました。

ぐっと湧いてきたもの

フィードバックもナマモノですので、もはや正確には表現できないのですが、多分に解釈も含めて。

「モトさんは思考ではなく表現してみたらどうですか、アートのような表現。でもこの言葉でまた表現をどうやってやるかを考えてしまいますよね。そして、自分を手段ではなく、目的として使ってみる。手段にしておくのはもったいないですよ。」
「もっと周りを信じてみてください。モトさんが何を感じて、どう思っているか、それを聴きたいです。上手く伝えようとしなくても、周りは感じてくれます。」

こういうフィードバックを、私という個の存在に向けて出してもらえること、別に言わなくても誰も何も言わないし、そもそも何も思わないことだって普通だし、そんな中で、私を見て、感じたことがあって、場に出してくれること、伝えてくれること、その行動と選択にとても嬉しいなと感じました。

純粋に嬉しい。ここでじんわり涙が浮かんだのですが。
なぜ涙を浮かべたのか、そんな問いをさらに投げられた時に、背景を話したいなという気持ちが湧き上がってきて、長くなっても場に出しておきたい、自分が時間を使っていいのかな、そんな気持ちも芽生えたけれど、この場を使って伝えたいという想いが大きくなり、涙で潤んだ理由を話しました。

社会人になって11年、1日9時間近く、会社で働く中で、もらうフィードバックのほとんどは、仕事の成果や作った資料やペーパー、仕事としてそこに存在しているコトに対してや、その行動について。
良い、悪い、もっとこうすべき、こっちのほうがよい、資料良かったね、おつかれさま、よくやった、説明が上手くいった、次に向けてやらないと。
そして、そもそも無関心だったり…。

経営の世界での正解は、誰がやっても同じことができるように仕組み化することだし、そこに感情や個性は、エラーの原因になるし、測れない不要なもの。

でも、誰かが自分の人生の時間を使いながら達成したそのアウトプットに対して、そのコトや行動だけにフィードバックをする世界って、寂しくないですか。
自分はそう思うタイプの人間でした。

原体験として、これまで高校や大学の部活でチームで同じ方向に向かって進む、その一体感、当然バラバラになる時もあるし、代が変わればチームの雰囲気も変わったり、上手く行ったことばかりではないけれど、チームで高め合う、関わり合っていく、一人ひとりの個性をみて、コミュニケーションをとっていく、なんか励まし合ったり、あれ良かったですよ、うまくいきましたね、そんなプロセスには人間らしさがあって好きでした。

ところが、会社に入ったら、組織の運営体制、いわゆるマネジメントの仕組みの中に個性は埋もれ、人の人生への関心は少なくなり、個性よりもその仕事がきちんとできるかどうか、人の価値やモノサシは、仕事のアウトプットで測られていたことが多くありました。
そんな測り方で、心を込めて良い仕事ができるのか、私はずっと疑問でした。

最近でこそ、感情をビジネスの場に融合させて、関わり合って心理的安全性を確保してチームで生産性を高めていくことは市民権を得ている流れを感じますが、別に心を込めなくても仕事はまわるし、できなければ誰かがやるし、現場レベルに落とし込めば、正直なんとかなるんだと思います。
なので、ここでは単純に、好み、志向として、個性が見えた方が良い仕事ができる、面白くなる、そう考えている人間であるということです。

こんな価値観がありつつも、個としての存在、モトとしての個性へのフィードバックがほぼほぼない中で、いつの間にか、感情を込めずに働くことに慣れてしまいました。
人間ってすごいなと思います。
簡単に馴染んでしまいました。

でも、どこかで欲していたんですよね。
成果や行動の評価ではなく、一人の個として名前を呼んで、感じてくれたこと、思ってくれたことを出して向けてくれる、時には優しく温かく、時には真剣に考えてくれるからこそ厳しい、それを心込めて、感情を交えて出してくれる、そんなフィードバックを。

だから、どう感じているか聴きたいです、感じたことに興味があります、そういう目を向けてくれること自体に、私の個としての存在を感じることができて、ああ、嬉しいなぁと純粋に感じると、ふと涙が湧き上がって、こぼれました。

他の仲間からも、

「感情を出せないシーンは私も知っていて、よく分かります。でも、ここにいる仲間のように受け止めてくれる人はいますよ。モトさんは、もっと感情を出してみて良いと思います。きっと誰かが分かってくれます。」
「モトさんは、プライベートではよくしゃべるのに学びの場になると言葉を置きにいってつまんない人になる。完璧な人なんて求めていないんですよ。整理された言葉じゃなくて、気持ちのこもった言葉を聴きたいし、そこに興味があるんです。あと、周りを待たなくていいです、いつも誰かのシェアを聴いてから場に出しているけど、そんなのもいらないです。感じたままに出す、そういうのを聴きたいんですよ。」

めっちゃ嬉しかったです。
わざわざ、このフィードバックを、私のために、時間をつかって、言ってくれる。
こんなの仕事の場では絶対ないし、みんな本当に心から湧き上がったことを伝えてくれている、それを感じることができる瞬間。

自分はこれが欲しかったんだな、幸せだな、嬉しいな、と心から感じて、涙がでたし、本当にありがとう、その感情だけが湧いてきて。

もっとこういう感情が行き来する、受けて、誰かに贈る、それを循環させていく、そんなことができれば、より良い時間が増える、より良い世界が生まれていくんじゃないかな、自然とそう思えました。

願いは何ですか。
改めて、その問いをもらって出た言葉たち。

今、自分の背景や痛みや価値観を話したように、本来の自分を場に出してみる。思考して整理した言葉ではなくて、感じたままに、ありのままの自分をさらけ出してみる

そして、そんな状態の自分が笑えていること、笑顔で居れていることで、同じように感情に蓋をしてしまっている人たちに、自分も出していいんだ、もっと気持ちや感情に素直になっていいんだ、と思ってもらえる
その状態でいることで、今ココを存分に味わうことができる、湧き上がる感情を循環させて、人生がより良く進んでいく。

過去の経験から感情を出すことを躊躇していたけれど、ただ自分を解放し、そのエネルギーを誰かに繋ぎ、また循環させていく
関わった、繋がったみんなが、笑顔になっていく
そして、より良い人生を歩んでいく

これが、自分の願いなんだなと、スッと入ってきました。
感情がこもるので、泣きながら話しているわけですが、笑顔でいたい背景には、こういう感情があったんだなということが、仲間のフィードバックとそこからの探求で捉えることができました。

ここまで書いて、寝落ちした合宿帰宅後の夜w
ここからは翌日になりました。
ちゃんと昨日のうちに書いててよかったです。
やっぱりナマモノでした、上で書いた言葉は昨日感じたままに。

そして実験へとつづく

泣いて感情を場に出した後も、仲間たちが寄り添ってくれて、また声をかけてくれて、話すたびに泣けました。
人間らしいその感情のこもった言葉のやり取りに。
説明をするんじゃない、感じたことをやり取りするその会話が嬉しくて。
エモいです。

帰宅後、振り返る機会としてコーチングを受ける時間がありました。
その中で、感情を場に出す、今ココを味わうということを、早速振り返り、改めて自分で腹落ちさせたいなと時間をつかっていました。(その日にセッション受けてよかった、咀嚼できたよ、ナマモノを。まなとさん、ありがとう。)

考えて場に出すことと、感じて場に出すことと、どう違いを感じて、それぞれどんな思考回路、体の反応になってるんだ、とちょっと捉えてみたのですが。(あえて考えたとは言わないw)

自分なりに解釈すると、Zoomのマイクオンとチャットなんですよね。
私はテキスト好きで、テキストメッセージとかめちゃ書くタイプ。
だから分かり易く書きたいし、曖昧な部分は残したくないし、書きすぎて分かりにくいもあるのかもしれないけれどw、とにかく書く方が好きです。

だから、考えて場に出すんだなぁと思いました。
チャットで送信するかのように、話しているんでよね。
一旦、頭で整理して、順番を組立て、校正して、分かり易い言葉に置き換えて、そしてチャットとして場に出した後は、それを全部言えたかどうか、一部言い忘れたなとか、考えているんですよ。
面白いw

でも、感じたことを場に出すって、違うんですよね。
いきなりマイクオンなんですよ。
そこから言葉を紡げばいい、感じたままに、ひとつひとつ、じっくり、ゆっくりでいい。
テキストでなくていいし、分かり易くなくていい。
それが、心が感じていることだし、命の躍動だし、分かち合うってことなんだろうなって。

あー、養成講座でたくさん、何回も聞いたことなのに、学んだことなのに。
見てきたことだし、場を味わってきたことなのに。

でも、気づきました。
実体験として、味わいました。
今、ココを感じるということを。
涙がでるくらい、自分の心に触れるということを。


この体験を、この味わいを、この感情を、この感覚を。
自分を出せなかった場所でも味わっていく、感じていく。
そのためにどう自分があるのか、何をするのか、ここからが人生に向き合うということなんだろうなと思います。

実験をして、そこからまた何かを感じて、湧き上がって、循環させていく。
そして人生は進んでいく。

この合宿で、いや、合宿だけではなく、昨年8月からのZaPASSを通じたあらゆる出会いや経験を通じて、自分の感情が徐々に戻ってきていることを感じます。
一緒に学んだ、過ごした仲間たちから、たくさんの言葉や感情を贈ってもらって、自分の感情も動き始めました。
喜怒哀楽、いろいろな感情が。

そして、人にやさしくだけではなく、自分にもやさしくいることを。

今回のAdvanceで、ひとつ、養成講座としての旅は終了となります。
けれど、自分の人生を感情と共に存分に味わって生きる、そんな新しい、そして壮大な人生の旅が始まったんだな、そう感じます。

穏やかに、力強く。

湧き出た感情を味わって。

自分と、そして関わる人たちが、心から笑顔でいれるように。

たけさん、ぐっちさん、あいきさん、ふみちゃん、たかさん、ふくちゃん、あやさん、しんごくん、べべさん、ろこちゃん、しげさん、ゆーまくん、つーしゃん、そしてBasic、Stepupで一緒だった皆さん、道場で一緒の皆さん、メンテナンスでお会いする皆さん、大好きです。

これからも、こんな私と関わっていただけたら嬉しいです。
そして、まだ見ぬこれから出会う皆さん、よろしくお願いします。

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※前列左端の目がはれている人が私ですw

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