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桜が散る夜に思うこと
ご無沙汰しています。キキです。
つい先日、やっとコートを手放せると思っていたのも束の間、もう半袖じゃないといられないくらい暑い。とにもかくにも暑い。もう常夏なわけです。
4月からこんな調子じゃ、今年の8月はいったいどうなってしまうのかと、今から危機感を覚えてガクガクしてきますが、実は心配するだけムダだってことくらい学習済みです。
こんなことを毎年言ってるけど、なんだかんだ毎年乗り越えてきたじゃないか、今生きているじゃないかと、自分を励ますのに必死になる、今日この頃。
さてさて。今回は桜について、友人が素敵なエッセイを書いていたので、便乗して私も。乗らせてください。
葉桜の魅力
私の住んでいる地域では、先週、桜の見頃を迎えました。とは言いつつ、肝心な時に帰省と丸かぶりしてしまったので、完全に満開な姿を拝むことはできませんでした。無念。
でも、花びらが少し散って葉が顔を出している桜も、なんだか風情があっていいものです。
ひょっとしたら、満開よりも葉桜の方が好きかもしれない。そう思うのは自分だけでしょうか。もし共感してくださったならあなたはもう仲間です。
「風情がある」という日本語に意味を丸投げしてしまったような気がして悔しいので、自分なりに言語化すると、
完璧な姿(=満開の桜)もたしかに華があって美しいけれど、咲き切って役目を終えた桜はどこか哀愁が漂っていて、せつない。
その陰と陽で言えば陰の部分に共感し、安心感を覚え、無性に心惹かれるのではないでしょうか。
なんだか、人間も同じような気がする。完璧な姿ではなく、どこか欠けた姿に惹かれてしまうのは、「人間味がある」という言葉にもあるように、欠けたものを愛でる日本人特有の感性が出ているのかなと。
昔の人も、葉桜に共感しながら桜を見上げていたのでしょうか。そう思うと、昔の人と繋がったような、自分が今ここにいることが不思議でたまらないような感覚になりました。時代は巡り、自分もその中に組み込まれているのだと知らされ、ハッとさせられるような。
うん、これはきっと考えすぎだ。
花より?
先日、複数人でお花見をする機会がありました。
久しぶりのお花見だったので、桜や、立ち並ぶ屋台や、ウキウキした様子の人を眺めて、気分は高揚。
花を見ながら楽しいおしゃべりをしたり、屋台で買ったご飯を食べたり。
花見は、文字通り「花を見る」ことが目的なのではなく、大好きな人たちといっしょに、美味しいものを食べ、楽しい会話をしながら、またとないかけがえのない時間を過ごすことに、価値があるのだと感じました。
なので、まさに花より団子。いや、花より唐揚げ、花よりはしまき、花よりクリームパンだったのだけれど、それは置いといて。
今週から雨が続き、また気温もグッと冷え込むようで、きっと残っている桜も散ってしまうでしょう。
寒さに震える冬からあたたかさが戻ってきた証として。悲しい別れから新たな出会いへと巡る希望の象徴として。ずっと見守り続けてくれた桜は、やっと役目を終えるようです。
また来年、その姿を見せてくれる時まで、ずっと幸せに過ごせますように。そしてまた、すこし成長した自分と大好きな人たちとで花見をしながら、大好きなクリームパンを頬張れますように。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。不定期ではありますが、今後も気ままにエッセイを続けていく予定です。また覗いてみてください。