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できて当たり前のことができたら、褒められるべき

大人になるにつれて、私自身、褒められるということに対する意識が鈍化していた。できてうれしい、はあるけれど、できて当たり前のことができても、それを褒められたことに対する価値は自分の中で高くなくなっていた。
いつしか私は、当たり前のことを褒められること自体に随分鈍感になっていて、当然ながら部下を褒めることも稀だった。
最初は私もできていなかったこと当たり前のことであるはずなのに。
随分と「できて当たり前のことはできて普通」の雰囲気に染まって、鈍感になってしまったものだと思う。

そんなことで褒められていいのか??

思い起こせば新卒2年目の春。社会人になって最初の人事考課で、私は上司に対して自分がこの1年で何ができるようになったか、はっきり言えなかった。
何ができるようになったか、と問われても、自分がとりとめもないことばかりやっていて、取り立ててできるようになったことがあるとは感じていなかったからだ。

そんな私に上司が言ったのは、意外なことだった。
「この1年間で、どんな仕事でも、誰がキーパーソンで、誰にどういう順番で確認、または根回しすればよいか、自分で判断できるようになったよね。社会人の第一歩として、大事なことだと思う」。

心底びっくりした。そんなことが褒められる対象になると思っていなかったからだ。それができても、わざわざ褒められるべきことではないと。

当たり前のことを褒められる大切さ

よく考えたらほかに褒めることがなかったからかもしれないが・・・、自分では意外だったから嬉しかった。16年経った今でも覚えている。

その後年々、仕事の難易度は上がっていくし、達成感も大きくなっていった。ただし、それらは目標管理という名の会社との約束であり、自分でも認識していて、達成したか否かも評価対象だから(この辺りについては別の記事参照)、褒められるという観点からサプライズはない。

しかし、「当たり前のことを当たり前にできている」という基本的な部分、そして「自分でも気づいていなかった成長」を褒められる、という体験は、その後の仕事人生においての礎になった。

できて当たり前のことを褒めるなんて甘すぎる、と思われるかもしれないが、意外と上司と部下の間の信頼を重ねるうえで、「あなたのやっていること、努力を見ている」というメッセージは、長い間覚えているものだ。

「当たり前」は全員に平等

当たり前のことができて褒める、というのは、何がいいのか。
それは、いつどんな場合でも、全員に機会平等であるということだ。

例えば、ハードルが高い仕事に挑戦できるかどうかのタイミングは、その人の状況によって違う。何かのプロジェクトが、さあ始まるぞというその時、任せたい人全員が受け入れ万全の体制にあるわけではない。
ある人は、家庭の事情で今は仕事にアクセルを踏めないかもしれない。
ある人は、何かの病気で少し仕事をセーブしなければいけないときかもしれない。
もちろん、その時につかんだ運で認められて、勝ち進んでいく人はそれでいい。けれど、大きな仕事でしか褒められることが紐づかないとしたら、タイミングやそのときのライフスタイルによって、不平等が生じてしまう。

いつどんな時だって、当たり前のことを当たり前にできて、褒められる。
それこそが誰もがあらゆる場面で実行できて、誰もが日々の満足感とつながりを感じられるようになるのではないだろうか。

当たり前のことにすごいねと言ってみる

毎日規則正しい食事をする、早寝早起きをする、運動をする、など健康にいいことはみんな知っている。でもすべてを実践できている人は果たしてどれくらいいるだろうか。
同じように、褒めることは大事だとみんなが知っているが、日々実践できている人は少ないだろう。継続し、その数を増やすことそのものが、効果につながるものは、えてして実践のハードルが高い。

何を褒めればいいのか、いつ褒めるのがいいのか。
この時点で戸惑ってしまう人もいるのではないだろうか。
だから、「当たり前のことができている、と気づいたときに褒める」ことをやってみるのがいいのでは、と思っている。
もしかしたら、その本人は自分では当たり前だと思っているから、褒められるべきことと気づいていないかもしれない。
褒めることが相互理解のきっかけとなり、そこから褒められた人自身は自己理解にもつながっていく。

またそういう組織は、骨密度が高く丈夫な組織になっていくと思う。
その人がやっていること、当たり前にできていることを、本人に「気づいているよ、すごいね」と伝えること、つまりは褒めることで、「褒め数」を増やせば、よりよく強いコミュニケーションが発達していくのではないだろうか。

#COMEMO #褒められてうれしかったこと

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