あなたの短歌よみます!!第6回(連作編)
2024年10月27日(日)に、Xのスペースで「あなたの短歌よみます!!第6回(連作編)」という企画を行いました。
一首一首で読むことには少しずつ慣れてきて、「じゃあ連作を読もうとしたらどうなのだろう?」と思ったので、企画してみました。
募集のポストにリプライを頂いた5作品を鑑賞しました。
この記事はその文字版です。
「Claude Monet」楼瑠
あなたは、休日に小さな美術館に赴きました。入場料を支払い、少し暗い展示室に入っていきます。
そこには、7枚の絵が飾られていました。あなたは絵を順番に鑑賞していきます。
クロード・モネ1840年生まれの、印象派を代表するフランスの画家です。
印象派とは、19世紀後半のフランスに発した絵画を中心とした芸術運動であり、当時のパリで連続して開催することで、1870年代から1880年代には突出した存在になった。
モネの代表作『印象・日の出』(1872年)は印象派の名前の由来になった。
しかし、この絵の頃は、まだモネの光やあざやかな色彩はまだ見られないようです。
これから、作品はどのように変化するのでしょうか。
作品名は「モネのアトリエ舟」です。
モネのジヴェルニーの自宅であるガドゥボワール池に錨を下ろした小さな舟に座って描かれました。
この作品を見ていると、あなたはまるで水晶体の中にセーヌ川が流れ込んでくるような、そんなみずみずしい感情を抱きました。
作品名は「ジヴェルニーの積みわら」です。家の南に広がる牧草地に積み上げられた麦わらの山を描きました。三つの積みわらの後ろには、ポプラ並木がみられます。この作品では、日常的な風景に明るく降りそそぐ光を、明暗の強いコントラストで表現しています。
1891年5月、モネは「積みわら」の連作をデュラン=リュエル画廊で発表し、大成功を収め、連作の時代に入ります。
作品名は「ロンドン国会議事堂」です。
モネは1870年に普仏戦争を避けるためロンドンへ亡命し、それ以降1904年まで数回にわたりロンドンを訪れ、テムズ河岸のホテルに滞在しました。この作品は、その対岸の病院からの視点によって国会議事堂を描いた連作のうちの一作品です。
霧がすべてを覆い尽くし、まるでゲームに出てくる迫力満点な魔王城だとあなたは感じました。
作品名は「モナコの港」、1884年の作品です。モナコの港の眺めを描いており、前景には大きな帆船が描かれています。夜明けの朝焼けが美しく照らされた港の風景です。
絵を描くのは孤独な作業です。ひとり港に向かい、黙々と筆を動かしたことでしょう。
それを想像した時、あなたはふと、モネの有名な作品「日傘をさす女性」を思い出しました。風の強い夏のある日の妻カミーユ・モネと息子のジャン・モネの散歩姿が描かれている作品です。
絵を描き終えたモネが帰る家には、あの白いワンピースを来たカミーユが待っていてくれたのかもしれません。
作品名は、「プールヴィルの崖」作品です。
フランスの海辺の避暑地、プールヴィルの断崖を散歩する2人の貴婦人。海には無数のヨットが浮かんでいます。淡い色彩と大きな筆のタッチで、断崖から雄大に広がる景色が描かれています。
あなたは、雄大な景色からフランスの風を感じます。意識はすっかりフランスに飛んでしまったかのようです。
ルノワールはモネと同じ時代を生きた画家です。
ピエール=オーギュスト・ルノワール。1841年生まれで、1919年に亡くなりました。
モネは1840年生まれ、1926年に亡くなっています。
ふたりはともに印象派の画家でフランス出身です。
同じ時代を生きた画家として、フランス郊外に一緒にデッサンに出かけたり、家族ぐるみのお付き合いもあったそうです。
この作品のタイトルは「ラ・グルヌイエール」です。この作品に描かれているのは、水上のカフェのある水浴場「ラ・グルヌイエール」です。
パリに程近い、ブージヴァル近郊セーヌ河畔の新興行楽地にあります。
1869年夏に友人であるルノワールと共に赴き、イーゼルを並べ描いた作品で、ルノワールも同じタイトルの作品を残しています。
展示は以上で終わりです。あなたは光や色の表現を追求して描かれたモネの世界を見ることで、モネ自身の心象風景を追体験したような気持ちになり、美術館を後にしました。
「Cloude Mnet」について全体を通して
背景を調べるのが楽しくなる、しっかりとした連作だと思いました。
調べると必ずもとになる絵が出てくるので、「これは美術館ごっこができる」と思い、このような鑑賞方法にしました。
最後にルノワールが出てくるのが憎い演出だなぁと思いました。
素敵な作品を鑑賞させて頂き、ありがとうございました。
「青の時代」藤代ちさめ
「五月雨よ蝶々となって」という始まりが美しい一首です。 「見てきてよ」は何を見てくるのか。なぜ主体は待つことしかできないのか。
一連を読みましたので、この連作は恋の歌だという事が分かっています。
私(主体)は待つことしかできないと思っている。これ以上何かをしても、良い方向には向かわないと分かっている。
私は何を知りたいのでしょう。
もしかすると主体自身もよくわかっていないのかもしれません。
ただ、まだ何かがあるとこの時点では信じたいのかもしれないと思いました。
後戻りのできる恋とはなんでしょうね。まだ想いが深くない時点、引き返せると思っている時点でしょうか。
これは、無かったことにはできない想いだと主体は思っています。
自分の体を傷つけて、装飾を施す。痛みを感じないようにちゃんと冷やして。
バチン!という大きな音と共に刻まれた想いは、まるで一生のものになってしまいそうです。
この歌で、はっきりと失恋したことが明かされます。「捨てなくちゃ」なので、本当は捨てたくないんですよね。
まだ、捨てられない思い出たち。
並んでいるものは、随分とかわいらしく、でも本気を含む恋だったのでしょう。
恋が終わってしまうと分かっていても、主体の「君」への想いはなくなりません。 相手に届けられない想いを、歌に込めます。
どれだけ私は君を好きなのか。好きだったのか。
届かない、届けられないと分かっていて詠む恋の歌は、自傷行為にも似ていると思いました。
「ヒロインに~」の歌にあるように、もしかしたら作中主体が詠んだ歌かな?と思った一首です。
主体の感情はすべて君への想いに向かっているようです。
「地の底」「さだめ」という大仰ともいえる言葉が物語っています。
「一等星」の光は、過去の光が地上に届いています。主体は、もしかしたら過去にまだ二人の想いが通じ合っていた頃に手を伸ばしているのかなと思いました。
こちらも作中主体が詠んだ歌かな?と思った一首です。
主体の中に恋心は生きています。「絶望の世界」とまで言っている主体。高温の炎に包まれながら、眠ります。
まだ落としどころを見つけられていない恋の一連の終わりに、相応しい一首だと思いました。
「青の時代」について全体を通して
「私」が一人称で語っているストーリーものと読みました。
好きな歌は、「捨てなくちゃ~」のお歌です。
具体的で等身大な感じがしますよね。高校生さんでしょうか。結構なラブラブさんだったのでは、と推測できて、微笑ましくもありました。
私の君に対する想い、恋心は終わっていなくて、でも君に対しての恨みの感情は感じはしませんでした。
6首目でも言いましたが、まだ落としどころを見つけられていない恋心の動きを描いた一連だと思いました。
「甘ちゃん」納戸青
「反逆の心」という言い回しが好きです。
自分のアンバランスさに気づいている歌と読みました。
「ココアシガレット」は2首目のたばこにもつながっているのかなぁと思いました。
恐らく未成年の主体。「反逆の心」と言いつつ、たばこを吸うほどの大胆さはないようです。
高校生らしく、タピオカミルクティーをたしなんでいます。
頬の中にタピオカを溜めて、ぷくっとさせている様は、いかにも幼い子どもめいていますね
しかし、本人は現状にしっくりこない感覚を持っているのだろうと読みました。
「生活は百も承知さ」という言い回しが面白くて好きです。
恐らく親の庇護下にいる主体が言う「生活」は、まだ曖昧なものなのではないでしょうか。
お金を稼いだり、家事をしたり、自分の生活を自分で保つ実感をまだ知らない主体。
コーヒーをブラックで飲んでちょっと背伸びをしてみます。
苦さを体感することで、何かを知ったような、許されたような感覚になっていると読みました。
「まだ毅然とは反対の意味で」が、不思議な言い回しだと感じました。
制服が出てくることで、高校生くらいかなというのがほぼ確定しますね。
しっかりしたいと思っているのに、真っ赤で目立つソースを付けてしまううっかりさを持つ主体。
「消せない」と言っているので、うっかりでは済まされないことだと主体は感じているのかなと思いました。
もやもやと日々を過ごしている主体が頼るのはスマホです。
でも「答えは出ない」。
主体としては宙ぶらりんのままこの連作は終わってしまいました。
「甘ちゃん」について全体を通して
高校生くらいの主体の心の移ろいを詠んだ連作だと読みました。
好きな歌は、「生活は~」のお歌です。上の句の言い回しが好きです。
読んでいる内に、主体に同化するというよりは、保護者目線になって、大丈夫だよ、と言ってあげたくなる作品だと私は感じました。
「甘ちゃん」でいられる時期は、いつかは終わりが来ます。
その時に、びっくりしすぎないように、この歌たちのように主体には違和感を思考していってほしいと思いました。
「命日」河原こいし
作者様からの、「無理に読まなくてもよい」というお言葉に甘えて、総評だけをお伝えした作品です。
また、一首一首を抜き出して語るよりは、全体で一つを表している作品だとも思ったため、全体を読んで感じたことをお伝えさせて頂きました。
ざっくりと流れを説明すると、父が亡くなり、その手続きをし、葬儀を済ませ、そして五年後の今になるという連作です。
「死んでせいせいした」で終わりになるような、単純な感情ではないのだろうなと思いました。
してくれたこと/してくれなかったこと、してほしかったこと/してほしくなかったこと。
一緒に生活していた時期が長いほど、それらは混ざっていくはずです。
いなくなっても、影響されたことは消えません。
他人として、客観的に観察することはできません。
どこかで感情が滲んでしまいます。
全部相手が悪くて、全部相手のせいで、そういう白黒はっきりしていれば、きっとこの歌たちは生まれなかったのだろうと思いました。
「父」という存在は、主体の中にはきっと否定的寄りに存在しているのですが、否定して終わりでは片づけられない。
片づけられなさ、揺れがあることで、この作品から人間を感じるなぁと思いました。
「白痴」畳川鷺々
言うかどうか迷ったのですが、言います。自慰行為の歌でしょうか。
もしそうだったとしたら、連作の一首目としてパンチがあるなぁと思いました。
違っていたらすみません。
保育園とか幼稚園が多いのか、家族で住んでいる人が多いのか。
「白痴のような笑顔をつくる」に不気味さを感じました。
このお歌も性的なものを感じました。
「あなたのおなか」が意味深ですねぇ。
パシフィズムは、「平和主義」のことですね。
枕木は鉄道のレールの下に横に敷き並べる部材です。
主体があなたに語り掛けているのかなと想像しました。
初読では、ただTVを見ているのかなぁと思いましたが、もしかしたらこちらも性的なコンテンツのことかしらと読みました。
下の句は、主体が思っていることをそのままの歌にしたという感じかなと思いました。
読みが難しいお歌だと感じました。
「今朝の」ということは、有罪の日もあるのかしら?
「あ、」が入るのが面白いですねぇ。
「不老不死だと信じてた」も面白いですね。
「キューティクル死す」ってどういう状況なんでしょうね。謎です。
この歌自体が夢みたいな感触だと思いました。
言葉をちぐはぐに組み合わせたみたいな印象のお歌です。
ここでもう一度「白痴」が出てきました。
不老不死の歌で「元恋人」になっていたので、主体はなにやら後悔しているのかしらと読みました。
このお歌だけ、正気に戻ったようだなと感じました。
逆に言えば、今までずっと夢の中にいたような歌たちだったように思いました。
「白痴」について全体を通して
タイトルが「白痴」なので、わからないまま受け取って、味わうのが正解なのかなという印象を受けました。
性的なことにも踏み込んで詠んでいる連作と判断しての読みだったのですが、見当違いでしたら申し訳ありません。
正直、私はまだまだこの連作を読みきれていないと思います。
もしも、「こういう読み方がある」、「もっとここを掘り下げられる」などなど、感想が生まれた方は、ぜひ作者様へお伝えして頂ければと思います。
おわりに
連作5作品を読ませて頂きました。
作品を寄せて頂いた作者様、ありがとうございました。
連作を読むという事は、自分なりの解釈をより一層求められるものなのだと感じました。
一首一首を読み解きつつ、全体としてどう感じるかを言語化するのは、大変な作業だと思いました。
ですが、連作に向き合って読み解こうとすること自体は、楽しい作業でもありました。
ぜひまた挑戦してみたいと思います。
読んで頂きまして、ありがとうございました!
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