インターネットで日本彫刻史研究が少し進んだ話
先日、福島県西会津町の鳥追観音如法寺様の三十三応現身像の調査会に参加させていただいて、いくつか報道にも載りました。なかなか報道だと、詳しい顛末を押さえきれていないので、ここに私の知る部分をまとめておこうと思います。一応お寺には許可いただいてますが、その他の個人名は、載せていいか悪いか分からないし、登場人物が多すぎると、内容が分からなくなるので、その辺は新聞記事をご参照下さい。
不明仏像、早大で発見 鳥追観音(西会津)の観音三十三応現身像:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet (minyu-net.com)
2023/09/03観音三十三応現身像の成り立ち解明へ 鳥追観音如法寺で学術調査 福島県西会津町 | 福島民報 (minpo.jp)
鳥追観音(西会津町)の仏像 SNSきっかけで発見(福島)(KFB福島放送) - Yahoo!ニュース
鳥追観音「観音三十三応現身像」を早稲田大学の教授らが調査【福島県】|福島中央テレビニュース|福島中央テレビ (fct.co.jp)
最初は、「ころり三観音」のポスターの写真を見て
ことの始まりは、会津の「ころり三観音」中田観音弘安寺 立木観音恵隆寺 鳥追観音如法寺の写真が載るポスターをインターネットで見て、中田観音弘安寺、立木観音恵隆寺は、共に、国重要文化財の御像ですが、鳥追観音如法寺の前立観音様は、南北朝期の御像だと感じられるのに、未指定の御像で、これは何でだろうかという疑問からです。
すぐに家族で如法寺様に拝観に行きました。拝観すると、遠目で拝見しても、やはり南北朝時代の御像。「是非、機会があれば調査させて下さい」とお話させていただきました。
その後しばらくした2017年、如法寺様からご連絡をいただき、福島県立博物館の学芸員さんもご一緒して、調査させていただく機会を得ました。その時は、御前立の観音様だけを拝見するのかと思って行きましたら、現住職様も見た事がなかったという秘仏の観音様(県指定文化財)も下に降ろされて、不動、毘沙門(県指定文化財)も、徳一像も三十三応現身像も全部見て下さいと言われて、二人でオタオタしてしまったのを覚えております。
前立観音様は、よく拝見して、写真も撮って、体幹部の前後の材を二本の束でつなぐ独特な内部構造も確認して、下に落ちていた南北朝時代特有の派手な天冠も見つけて、やはり南北朝時代の院派の仏師の製作の御像と確認しました。(その後、町指定文化財にしていただきました。)
そして、学芸員さんと、秘仏観音様(県指定文化財)と不動明王、毘沙門天(県指定文化財)を拝見して、最後に三十三応現身像を拝見しました。私はこの像の年代がなかなか分からないなと思っていたら、
学芸員さんが「これ至徳って読めるのでは?」と銘文を見つけられたのです。(ここ大事)私では、あの読みづらい「至徳」の文字は読めませんでした。そして、南北朝自時代の末期の至徳(1384~1387)と言われれば、確かに、執金剛神の造形や、彩色、神像様の像の巾子冠とかの造形で、南北朝でいいんじゃないか、ということになりました。私だけで見てたら、江戸時代かなと思っていたかもしれません。
三十三応現身像という珍しい御像だとすぐ分かったのは、すぐ近くのお寺で東日本大震災の折に梁から落ちて壊れてしまった室町時代の明徳の三十三応現身の像を、応急修復ボランティアで直していて、その時調べたから。その後に新潟で、江戸初期の板絵の三十三応現身像を調査したりもしたというご縁もあったからでした。そうでないと何の像かも分かりませんでした。色々繋がるものです。
その後、元県博の先生を交えてちゃんと調査して、町指定文化財にしていただき、町がホームページに報告を載せてくれました。(ここ大事。2019年)
https://town.nishiaizu.fukushima.jp/soshiki/10/7064.html…(西会津町HP)
そして、その情報をTwitterにつぶやいたら、愛知県の大学の先生が、「私が大学に居た時に論文に載せたお像が、この像と一具だと思われます」とのメールをいただいたのが、次の展開の始まりです。(ここ転機)東京の早稲田大学の会津八一記念館に6体が収蔵されていました。
この中の一体のお顔の中に、はっきりと「至徳元年 九月廿七日 造 大和朝春」(至徳元年=1384)と書かれていました。そして、この銘文を参考にすると、如法寺像の銘文も同じ内容が記されているのが分かりました。
会津と東京に分かれていた御像が一具の像だということが分かりました。
今回、如法寺様の方から、たくさんの専門家の先生がたに依頼されて調査を行い、御像の写真も専門家に依頼して撮っていただくなど、大掛かりな調査会を企画されました。(これは驚きました)
2023年4月に早稲田像の6体の調査を行い、その後、9月に如法寺像の21体の調査を行いました。
その中で、如法寺像の迦楼羅像の頭部内に、同じ内容の銘文が発見されました。こちらの方はしっかりはっきり読めます。
この三十三応現身像というものはとても珍しい御像で、光背につけるものはもう少し古いのがありますが、単体の彫刻としては、如法寺様の御像が、銘文から製作年の分かる御像の中で、今のところ日本で一番古いものになります。
まだどこかに、残りの6体が残されているはずです。見つけたいものです。
インターネット上のSNSで情報が繋がる中での発見になりました。
それぞれの場所で、それぞれがしっかり調査して、その情報があがって繋がり、研究を進めることが出来ることが分かりました。
御仏像の写真はなかなかネット上に上げることが難しい場合もありますが、自治体の指定有形文化財の写真や情報だけでもネット上に全て上がると、だいぶ日本彫刻史の研究は進むような気がします。
そんな顛末から、冒頭の記事のような、調査会と大きな発見になりました。
今後、調査結果と写真を載せた報告書がまとめられると思います。乞うご期待です。
今回、如法寺様の方で、様々な先生にご依頼し、また、調査に学生さんまで参加させて、後進の育成まで見据えた調査会を企画されたことに、頭が下がります。そして、この調査会中の懇親会で、数年計画の大きな計画も持ち上がり、今後が楽しみです。