とりあえず、駅までの道
ちょっと早起きをした朝だった。というのも昨夜寝落ちしたからで、今は朝の5時半だった。8時までのごみ捨ても余裕で行けるぜ~とのんきにごろごろしていたが、ちょっと待った、空がきれい、朝焼けだった。カメラを取り出してぱしゃぱしゃとやる。太陽を反射してみずみずしく光る向こうのビルが鮮やかだった。朝の空気はいつも、清潔にしずかだ。定められているみたいに。そうあるべきみたいに。
劇と展示の企画「手のひら共和国」が終わった。長いのか短いのか、生活にしてはずいぶん長く、製作にしてはずいぶん短く、それは私の毎日を占めていた。すっぽりと、というにはどこか希望に満ちて、何も変わらず、というにはまちがいなくたしかな喪失感があった。
ことの始まりは、深夜に送ったダイレクトメッセージ。「一緒に展示会をひらきませんか?」。そのひとは、友達の友達みたいなあまり近くはない距離感で、大学の食堂で見かけたら、会釈混じりに手を振るくらいの間柄だった。深夜テンション特有の、不思議な思いきりで送ってみて、数日後に会って話すことになった。そこから、このあいまいな企画が立ち上がった。こちらに来てからはじめて主催する企画、はじめての展示会。1年ちょっとぶりの舞台でのお芝居。はじめてご一緒するもえのちゃん。首を絞めない程度のタイムリミットを定めながら、のんきすぎる私たちは風呂敷を広げ始めた。
劇と展示をどっちもやろう。そのことは、私たちを追い詰めもしたし助けもした。たぶんいまの私は、もえのちゃんと劇だけを一緒にやろうと思わなかったし、展示だけを一緒にやろうとも思わなかったんじゃないかと思う。どっちもやりたかったし、そのどっちもをもえのちゃんとやりたかった。風呂敷を広げていくには両方の要素が必要だった。
準備の課程では、展示のほうに追いこまれた。各々の展示エリア、ふたりでつくる額縁の壁、音楽室エリア、こども部屋、秘密の部屋、宮沢賢治エリア、会場のぼんぼりみたいな照明をいかした月と海のエリア。
自分のスペースには、写真と短歌を中心に展示をした。電車にまつわる短歌の辺りにつり革をつくって吊るしたり、手づくりZINEを置いたり。
企画本番の4日前に、商店街の地図もつくった。ちょこちょこ書いている脚本の登場人物たちがひとつのまちに住んでいたら、という妄想の見える化である。方向音痴で地図に弱く、地図をかくのも不慣れな私。でもたまらなくわくわくしていた。
「なつやすみの窓」と題して短い映像も上映した。夏休み、私が自分のカメラでおさめた映像をつないだものだ。撮っていたはずの私自身、ひとつなぎに眺めてみると、懐かしいような、新しいような、泣きたいような気持ちになる。
ふたりの共同製作作品、額縁の壁。私はなんとなく、直接的でないが決定的な乱暴さ、みたいなものに興味があって、というかたぶんこわさとか乱暴さがない空間の暴力性というものに気づき始めていて、壁一面に額縁を飾るというアイデアはその感覚にぴたりと合った。ひとつひとつが残酷なわけではない、加害性がある絵はたぶんそんなに描かないから。でも、集まるということはやさしく圧だ。説明しない丁寧でない、立ちはだかる、そんな圧。きっと乱暴で、きっとかわいくて、きっとおもしろい。もえのちゃんの思っていたことはたぶん同じではないけれど、とにかくふたりともそれをやってみたくて、企画の1ヶ月前くらいに大量の額縁を買い込んだ。そこからはひたすらに描く、書く、つくる、刷る、貼る。額縁の壁はそうしてできあがった。
宮沢賢治さんエリアは私たちのオアシス的な場所になった。岩手県を共通の故郷にもつ私たちは、そろって賢治さんが好きだった。上演も、当初は「双子の星」をやろうかと思っていたのだ。そっけなくさみしく澄んだ星空とか、無骨な電柱、水、光、反射、陰り、アジアンリボンの線路を走るちいさな列車。賢治さんの見ていた、見たかった世界を想像し描いてみることは、すごく自分たちのためだった。たのしかった。
部屋のカーテンをはがしてL字型に部屋の角に吊るし、秘密の部屋のエリアもつくった。ひみつきちみたいな、ひっそりとあたたかい光が点る空間。ひとりきりになれる空間。
階段のふもとにはこども部屋。かつて私たちが読んでいた絵本を置いて、私の部屋のどでかきりんやくじらたちも連れていって。秘密の部屋にもこども部屋にも、ミヒャエル・エンデの「モモ」を置いて、ひっそり共通項をつくったりもした。気づいた人はいないだろうけど。
月エリアは、会場のまるい照明を海に浮かぶ月に見立てて、その真下に月がうつる水面をつくった。あのまるいお月さまがあるから、あの建物はやわからかく素敵なんだと思う。月を、そして海を囲むように、フライヤー撮影のアザーカットやふたりの文章や絵、写真、約1ヶ月のあいだつけ続けた交換日記を並べた。お客さんに絵や文章をかいてもらうノートも置いたりして。
音楽室エリアは、会場備え付けの電子ピアノを中心に、お客さんふくめ自由に音を出せる空間をつくった。グロッケンやタングドラム、ウクレレなど、ふたりの楽器を持ち寄った。
ふたり芝居の脚本はふたりで書いた。奇跡みたいなつくりかたができたのだ。ちょっぴりそれぞれで書いて持ち寄ってみよう。初期の段階でそう言い合ったら、ふたりとも同じシーンを書いてきた。それが、お互いの台詞をひとつも消さずに綺麗にぴちりとはめられたのである。今回はこのつくり方でいけるかも、と、Googleドキュメントを共有し、書きたいときに書きたいシーンを書いていくことにした。私たちのお芝居は、そうやってできあがった。菖と珠子というふたりの女の子は、帰ってこないルームメイト「とんぼ」のことを、忘れたり忘れられなかったりしながら待っている、かもしれないし、もう待ってはいないのかもしれない、なんて思ったり思わなかったりしながら暮らしている。一見ややこしいけど、事態はすごくすっきりしている。つまりその、ただ、3人だったふたりの、いまの暮らしのお話である。
「勘違いしてるうちに、春になっちゃうよ」というタイトルは、わたしのメモ帳から発掘したもの。さみしそうでのんきで必然ぽくて、気に入っている。
わたしのひとり芝居「合わせ鏡から帰った日」は、高校最後の春休みに一度上演したもの。少し書き足したり書き換えたりして、改変バージョンで連れてきた。
「あの子」をうしなった1人の女の子もくじのもとに、1本の電話がかかってくる。受話器の向こうから、聞き覚えのない声が聞き覚えのあることを話してくる。いたかもしれないあの子と、あったかもしれない時間のこと。友だちとも恋とも呼ばなくてよかったあの頃と、やっぱり生きてるわたしの話。
忘れられちゃうこと、忘れちゃうこと、忘れられないこと。記憶と向き合うこの3つのかたちを、それぞれの場所でゆるしたかったんだと思う。多少のところは、都合よくたっていいから。
バイト先の素敵な人たち(もはやきょうだいのような)が来てくれた。今度共演するお兄ちゃんも。彼らはギターやカリンバやウクレレなんかを演奏してくれた。歌も歌ってくれた。いろんな楽器の音が重なったりしながら、演奏は続いた。みんな笑っていて、それは普段なら交わらないコミュニティに生きる私の大好きな人たちで、その人たちが目を見合わせたりなんかしていて、音楽に揺れながらのっていて、こんな奇跡みたいな夜がほんとうにあるんだなあと思った。
始めてみて、進めてみて、終えてみて、すごく自分の性に合っているんだろうなと思った。なにかをつくるということが、自分の生活にもたらすプラスのリズムを確かに感じたし、絵が描けない日は文章を描いて、ZINEの入稿に肩が凝ったら声に出して台本を読んで、前に進むための「なにか」ができる状況は(何をしても前に進める状況は)とても私を助けてくれた。スケジュール的にも気もち的にも、割と追いこまれていることは多かったが、そのおかげで「考えすぎる」という枷を外してお芝居ができたし、心地よく物語の生活のなかにいられた。若干の深夜テンションでの大学生活は、いつもよりのんきで腑抜けで無防備で、よく笑う私だった。いまもそれをいい意味で引きずって、前よりちからを抜いて学校にいられている。自由であること、追いこめること、好きなことをひたすらできること、苦しさすらも好きなことにまつわるということ。
でもこの状況は、お金とか生活とか、そういうのから若干自由ないまの環境だからできることだというのはすごくわかっていて、だからあたらしく悩みなおしている。心地よさに出会えたから、あたらしく考えることができている。心地よく、好きなことと生きることについて。
今日は帰り道にパン屋さんで、マヌルパンなるものを買ってみた。マヌルとは韓国語でニンニクのことで、食べながら歩いていると想像以上にニンニクだった。こいつは明日の朝ごはんにしなくて正解だったなあと思う。クリームチーズとニンニクのペーストが塗られているそのパンはすごくおいしかった。それから家に帰ってお風呂にお湯をためて、穂村弘さんと東直子さんの「回転ドアは、順番に」をお風呂でちょっぴり読んだ。めっちゃいいなあと呟いて、うわあいいなあこまるーと思わず大きめの声が出た。お風呂からあがって、だいぶ涼しくなってきた窓の外から風を呼び込んで、髪も乾かさずごろごろとしている。課題をやりながらかたわら、こうやってちまちまメモ帳に文字を書いてみたりする。
確実に、日常に、戻ってきている。
寝る前に感想フォームを開いてみたら、大好きなあの子からうれしい言葉が届いていた。嘘をつかない、あまりにも正直すぎる、でもそれがかっこいい憧れの友人(友人と言うにはまだちょっと遠いけど、でもそう呼びたいので呼んじゃう)。「体調がよかったら行きます」と言ってくれたその子は、開演のぎりぎりに眠そうな顔で来てくれて、いちばん前で劇を観て帰っていった。その子らしい、譲歩も愛想もお世辞も全くないシンプルな言葉だけど、たぶん真実しか並んでいなくて、だからこそすごく嬉しい言葉が織り込まれていた。久しぶりに嬉しさから泣いてしまって、気づいたら眠っていた。
あなたたちは正しい、間違ってないよと、今回の企画に来てくれたいろんな人たちが言ってくれた。なにがどう正しいのか(なにに対して)、ほんとうに間違ってないのか、たぶん私はあんまりわかってはいなかった。でもたぶん、ほんとうの意味でそれをわかることはできなくて、できなくてよくて、わかったとしても、間違っていなかったとしても、間違っていたとしても、迷子になるときはなるもので、だから私はとりあえず歩いていたいなと思った。受け身じゃなくて、受け取りながら。嬉しかった言葉とか、悔しかったりほっとした時のほろりとかを、歩く意味じゃなくて、歩いていたい理由にしていたかった。
どこに行ってもほめられた「手のひら共和国」のフライヤー写真を撮影した日。もえのちゃんと、カメラマンのふうかちゃんと、3人そろって日焼けしたこと、焦げた肩がフレンチトーストみたい(?)だと言われたこと、うねるように青空を踊る凧のこと。なにか、みずみずしさみたいなもの。高架下の風のくるくる、公園でおじいちゃんがくれた海老カツサンド、こどもたちの王国。夜更かし続きの1週間、コンビニで印刷した大量の写真、いまここで通り魔に刺されたら、この写真たちが道にばらまかれて、たぶん物理的な走馬灯みたいに見えるだろう、なんて考えていた帰りみち、創作物で侵食される5畳のマイルーム、絵の具まみれの手のひら、なんかいつも笑っていたこと。記憶は有限だし、すべてを抱えては歩けない。私たちはつくるためにつくったし、置いてくるためにひらいた。いつか手のひらから、ちゃんとこぼれていく時間たち。でも確実に、いまの私が大事だと思えたもの。過去にやさしくなれない私でも、この時間は必要だった必然だったと、きっと頷けるし、頷きたい。
昔、同級生に、まつげの一部が白い子がいた。アルビノという症状を当時は知らなくて、ただぼんやりと、綺麗だなあと思っていた。今日、インスタに流れてきたその子の自撮りの写真を見て、あの白いまつげを思い出した。メイクもおしゃれも上手な子で、あの頃もかわいかったけれど、また一段とかわいくなっている。綺麗にカールされたいまのその子のまつげは、マスカラで黒く均等に塗られていた。