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ひと口のパスタ

大学2年生19歳。
現在、ふたつ上の姉とふたり暮らしをしている。
6人きょうだいの上ふたり。1年前、上京したての私にとってその安心感は本当にありがたく、もし姉がいなかったら、と考えただけでもおそろしい。姉がいてくれてよかったと思う。

ふたり暮らし。
洗濯物も、料理も2人前。8人前だった暮らしからはずいぶん減ったが、1人前とはやっぱり違う。安心感も、気遣いかたも、慣れたようでどこか探り探り。ふたりで暮らすということは、ご飯も2合炊くし、ハンガーも2倍必要ということだ。電気代も水道代も多くかかるし、ティッシュペーパーやシャンプーも、ひとりのときより早くなくなる。

ちょっと前、姉とけんかになりきらないけんかをした。疲れているときは若干冷戦になるものの、思いのぶつけ合いみたいなエネルギーはお互いあんまり持ち合わせていないので、議論はあっても言い合いは久しぶりだった。

天気のいい日だった。その頃私はちょっと(無自覚だったのだけど、私にとってはたぶんすごく)不安定で、それも原因不明の不安定で、客用の洗いたてのシーツを干そうとして汚れてしまったところで何かが限界をむかえ、ぼろぼろ泣き出してしまった。普段だったら内心舌打ちで洗い直せるのに、自分でもよくわからないまま泣けてしまって、最初は自分の涙に笑えていたのに、上手に泣き止めなくなっていって、ああでもとりあえず、そうだもう1回洗濯しなきゃ、えっとどうしよう、まずは、の繰り返し。そんな私を最初は心配していたけれど、やがて少しいらっとしながら「いったん落ち着きなよ」と姉は言う。もっともだ。もっともなんだけど、休むのって、立ち止まるのってこわいんだよ。「きつい時は休んだらいいじゃん」と姉は言って(現に本調子でなかった姉はベッドに寝転んでいた)、「休んじゃだめだよ、ふたりとも立ち止まったらだめなんだよ」、床に座りこんで洗濯物をいじりながら私は言う。「どっちかは動いていなきゃ、ふたりで止まって、その間にたまっていく生活、それを取り戻すのがどれだけ大変か考えるとこわいでしょ、ふたりでおちていったらこわいんだよ、なんのためのふたり暮らしなの」

普段、姉とは違うかたちで気を張る私。学校もバイトも休めない私。行きたい、の前に、休めない。具合が悪くても、気持ちが落ち込んでいても、やるかやらないかなら、やるを選ぶ。やらない自分、やれない自分が何よりこわい。
私とは違うかたちで気を張る姉。人に頼るのが苦手で甘え下手な姉。休みたい、というよりも、動けない、瞬間がある姉。そしてそんな現状を把握すると立ち止まって、状態が整うまで眠れる姉。
近いようで背中合わせで、似ていて、でも違って、だから上手に労り合えない。

ふたり暮らしはままならない。


私は大げさに感動しながら暮らすようにしている。自炊して偉いね、ちゃんと洗濯回せたね。何も特別なことじゃないから、誰もほめてくれないから、自分で自分を大げさにほめる。不恰好だけどいい感じじゃん。できてるできてる、おいしいおいしい。大げさに美味しがる。そんなにおいしいわけじゃくても、そうやって自分のご機嫌を取る。でもそんなことをしなくても、姉のパスタはすんなりおいしい。食いしんぼうの姉だから、ちいさなひと口しかくれないけれど。

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