日本で、夫婦別姓を選択したときのこと。
数年前、都内のある区役所に婚姻届を出したときのこと。窓口で「苗字はどうしますか。変更を希望されますか」と聞かれたわたしは、しばらく質問の全体像を理解できず、戸惑っていた。そして「え、苗字の変更って希望制なんですか!?」と返しながら、あれ、苗字って、結婚したら自動的に男性側のものに変更されるんじゃないの? と思っていた。でも数秒後には、いや、わたしが知らないだけで、実は苗字の変更をする際には、女性側にこういう質問(確認)をする工程があるのかなと考えはじめていた。
すると、また思いがけないことを言われた。「いえ。国際結婚の場合、夫婦別姓が基本なので、苗字を変更されたい場合は、また別の届けを出す必要があるのですが、どうされますか」と。
この記事をお読みの方で、夫婦別姓にご関心がある方には呆れられるかもしれないけれど、わたしはその時点で夫婦別姓について考えたことはなく、もっというと、ジョンに出会うまでは<結婚願望は一切ないのに、別の苗字になるとしたらどんな苗字がいいか考える時間を楽しむ>みたいな人間で、具体的には「2文字で濁音がない苗字」とか、「縁起の良さそうな苗字」とか、「自然にまつわる美しい苗字」などを理想的としていた。
しかしなんの因果か、わたしが結婚しようとしている相手(台湾人)の苗字は漢字一字で、わたしの下の名前とつなげると、どうにも日本人ではない印象になる(中国人か韓国人みたいになる)。一発で読める日本人は限りなくゼロに近いだろうし、日本にいるにしても台湾に行くにしても、なんにしてもいちいち説明が面倒になりそうなことだけは察しがついた。
でもわたしは、いろいろ含めて楽なほうを選びたかった。というのも、当時(コロナ禍まっただ中)の国際結婚は超・国際的スタンプラリーを延々に続けない限り配偶者ビザに辿り着けず、双方のお役所系の手続きをジョンが翻訳しながら地道に進めているという状況で、実際、あの日も区役所にわたし1人で行っていて、もはや面倒なことはすべて避けたいという思考になっていた。
そしてとにかく、国際結婚の場合、苗字をどうするのがベストか、知りたかった。仮に今後海外で暮らすとき、ジョンと苗字が違うことで面倒なことが増えるくらいならジョンの苗字にしたいし、そう手間が変わらないのなら、変更しないほうがいいかもしれなかった。そこで、わたしは「どっちが楽ですか」と聞いてみた。すると窓口の人は「一概には言えませんが、いずれにせよ、国際結婚で苗字を変えたい場合、まず『外国人との婚姻による氏の変更届』を出す必要があります」と言い、続けて「それをすると、日本で登録されている公的な書面などで、氏名を一つひとつ変更する必要があります」と言われた。その先のこと(わたしがいずれ海外に住むときのことなど)には触れられなかったけれど、とにかくその時点でくらくらしてしまったわたしは、迷うまでもなく夫婦別姓を選択した。わざわざ苗字を変えるメリットが感じられなかった。
その夜のこと。ジョンに電話して、「婚姻届、とりあえず受理されたけど、苗字が違うことになった」旨を伝えると、「面白いよね、日本って。海外の多くは、夫婦別姓、選択制が基本ですよ」と言われ、ようやく、自分が日本のルールしか見ていなかったことに気がついたのである。むしろ、日本における国際結婚は、基本的に夫婦同姓が認められない(夫婦同姓は世界共通だが、国際結婚は例外という話)と思っていたよ……。
しかし、苗字の話はそこで終わらなかった。今でこそ夫婦別姓になっている台湾の苗字事情について、ジョンはこんな話をしてくれた。
「僕のおばあさんは10年くらい前、95歳で亡くなったけど、蒋介石(しょうかいせき)の時代に結婚して、父のほうの苗字をつけていました。男性優位の時代だったから。それは結婚すると、苗字が2つつながる感じでした。『鈴木高橋』みたいな」
なるほど。苗字が男性側のものになるというのは、男性優位という考え方のもとにあるのか(考えたこともなかったけど……)。それにしても、苗字が2つつながる、とは?
「えーと、それは、『高橋りか』さんが鈴木次郎さんと結婚した場合、『鈴木高橋りか』になるということ?」
「はい。それで、子どもは『高橋』になります」
これはこれで知らない世界の話である。でも、いずれにせよ台湾には日本と似たような<戸籍>もありながら夫婦別姓になったということで(今から25年くらい前に)、目が覚めるような心地がした。そしてこの話の流れで、お墓の話になった。
「お墓はどうなるの?」とわたし。
「独立ですよ。死んでも、一人ひとり個人主義。まあ夫婦は、壺を2つ並べて、もできるよ」とジョン。
つまるところ、日本のように<先祖代々>みたいな概念ではないらしい。まあ、今は日本でもお墓のあり方もいろいろ変わってきていると思うので、もはやなにが普通、みたいなこともないのかもしれないけれど。そしてジョンはこう続けた。
「僕が亡くなったら、僕に火をつけて、パウダーになるよね。そしたら樹になる、みたいなのがいいなと思っています」
どうやら、樹木葬をイメージしているらしい。その場合、わたしも樹木になるのか……? いや、この先のことを自由に考えられるのが、個人主義ということか。
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