[report]『英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―』(サントリー美術館)
※ タイトル画像 英一蝶《舞楽図》(右隻・部分)メトロポリタン美術館 蔵
開催情報
『没後300年記念 英一蝶
―風流才子、浮き世を写す―』
場所:サントリー美術館(東京都港区)
開催日:前期 2024.9.18.wed-10.14.tue/後期 10.16.wed-11.10.sun
入館料:1,700円(一般)
内容:英一蝶の没後300年を記念した過去最大規模の回顧展。
国内外の優品を通して、風流才子・英一蝶の画業と魅力あふれる人物像に迫る。
キャッチコピー:「この世は滑稽、だから愛おしい。」
※ 作品番号64 《舞楽図》表面のみ写真撮影可
※ 前期後期で展示替え多数
https://www.suntory.co.jp/sma/
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_4/index.html
主な登場人物
多賀白庵(?)
一蝶の父。伊勢亀山藩主・石川主殿頭憲之(とのものかみのりゆき)の侍医。岩佐又兵衛(1578-1650)
絵師。狩野安信(1614-1685)
狩野派の絵師。狩野探幽の弟。一蝶の師。菱川師宣(1618-1694)
絵師。菱川派の祖。松尾芭蕉(1644-1694)
俳諧師。一蝶の俳句の師。英一蝶(1652-1724)
絵師。松尾芭蕉に俳諧を学び、暁雲の号で句も残す。服部嵐雪(1654-1707)
俳諧師。一蝶と交流。宝井其角(1661-1707)
俳諧師。一蝶と交流。
章構成覚書
第1章 多賀朝湖時代(流罪まで〜47歳)1652-1698
京都に生まれ、15歳(または8歳)のとき、一家で江戸に降る。
狩野宗家の狩野安信に入門。
狩野派に基盤を持ちながらも、風俗画家として能力を開花させる。
俳諧の分野での活動
第2章 島一蝶時代(流罪中 47〜58歳)1698-1709
配流中の作品
1698年 三宅島へ流罪
1709年 綱吉死去にともなう将軍代替わりの恩赦によって江戸へ帰還
第3章 英一蝶時代(江戸帰還以降 58歳〜73歳)1709-1724
晩年期の優品や俳書
感想
年代順に画名毎3つの章で構成された展示。
基本的に写真撮影不可。
階段を下りた第3章冒頭《舞楽図》のみ、撮影が解禁される。
ず〜〜〜〜っと「待て stay」からの大作を前にして「ヨシ! ok,go」で、犬のように飛びかかってしまう。
『舞楽図』は伝統的な画題で、師の狩野安信も描いているそうだし、ネット検索すると俵屋宗達のがヒットしたりするのだが、英一蝶のは異界感漂う、夢と現が入り混じっているように感じた。
裏面は撮影不可。
表情豊かな唐獅子たちが、飛んだり跳ねたり遊んだり。
…こっち側って、いつ、誰が見るんだ?
メトロポリタン美術館からは《雨宿り図屏風》も里帰り。
この作品はとても好き。
こうだったら、いいのになあ、と思う。こういう場所があったらいいなあと。
トーハク本は前期のみだったので、見られなかった。見比べたかった、残念。
展示全体を振り返ると、ちょっと調子に乗りすぎちゃったり、悪ノリしすぎちゃってる人々を描いた作品が印象に残る。
悪ノリと言っても、ちびまる子ちゃんやカツオくんがやらかしてるような、たいして悪意のないものが多い。
それを「バカだねえ」と、愛ある目で見ているような。
↓ 「徒然草」の御室法師。
正直、全く、全然、他人事でない。うんうん、ちょっと調子に乗りすぎちゃったんだよね。こんな大事になるとは思わなかったんだよね。後から考えても、なんでそんな事したのか、自分で自分がわからないよ。
こういう時は、いっそ笑ってくれたほうが気が楽な気がする。
御室法師は、耳と鼻がもげてしまったそう。
これのポストカードがあれば、戒めとして飾っておきたかった。
晩年の作、印を上下逆に押してしまい「老眼逆印」と書き加えてある78《狙公・盃廻図》…間違えちゃってもいいじゃない、にんげんだもの。と、言っているよう。
吉原で幇間をしたり、牢に入れられたり、島流になったり、世の中の暗い面も沢山見てきただろうに、生涯を通じて軽やかなユーモアが感じられる。
このユーモアある目線、いいなあ。
英一蝶の絵を通して、違う時代の人々にシンパシーを感じた展示だった。