[report]特別展『はにわ』(東京国立博物館)
※ タイトル画像《埴輪 踊る人々》東京国立博物館 蔵
開催情報
『挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」』
場所:東京国立博物館 平成館 特別展示室(東京都台東区)
開催日:2024.10.16.wed-12.8.sun
入館料:2,100円(一般)
※ 中学生以下無料
内容:挂甲の武人が国宝指定50周年を記念し、全国各地から約120件の「はにわ」が空前の規模で集結。
東京国立博物館では約半世紀ぶりに開催される埴輪展。
※ 撮影不可マークを除き撮影可
単語
【挂甲】小札をあわせた形式の甲。
【靫】矢入れ。(東博と相川考古館の武人が背負っている)
【胡籙】馬上で使うのに適した矢入れ具。(シアトル、国立歴史民族博物館、天理参考館の武人が右腰に提げている)
【鞆】弓の弦から腕を守るための防具。
【蓋】貴人の権威にを示す威儀具。
関連ページ等
↓ 2023年3月の特集の動画だが、今回の展示と重複するハニワが多い。
↓ ほぼ日刊イトイ新聞の「はにわ」展記念のコンテンツ
↓ 関連というほどではないが、神奈川県公式観光サイトでデジタルスタンプラリーをやっている。以外とお近くに遺跡や古墳があるかも?
「第1章:原始・古代の時空旅」の開催期間は、2024.10.4-11.10 。
章構成覚書
プロローグ 埴輪の世界
古墳時代の3世紀から6世紀にかけて埴輪が作られた。
「埴輪 踊る人々」修理後初のお披露目
第1章 王の登場
国宝の副葬品で古墳時代を概説し、埴輪が作られた時代と背景を振り返る。
古墳時代:ヤマト王権(政権)という政治的な結合体ができた。
近畿地方の大王を中心に、日本列島の東北地方南部から九州にかけて各地の王が連合を組んだ。
埴輪は王の墓である古墳に建てられ、古墳からは副葬品が出土する。
副葬品は、王の役割の変化と連動するように移り変わった。
セクション1 東大寺山古墳
古墳時代前期(3〜4世紀)王は司祭者的な役割。宝器を所有。
青銅製の鏡、腕輪形石製品などが副葬。
セクション2 江田船山古墳
古墳時代中期(5世紀)王は武人的な役割。武器・武具を所有。
短甲を各地の王に配った。
耳飾り、装飾的な馬具、国際色豊かな品目。
セクション3 綿貫観音山古墳
古墳時代後期(6世紀)王は官僚的な役割。豪華な馬具や装飾付大刀を大王から配布した。
ヤマト王権の中央集権的な性格が強まる。各地の王や中小豪族を官僚制的に編成。
副葬品では馬具が目立つ。挂甲が主要な武具となる。
第2章 大王の埴輪
ヤマト王権を統治していた大王の墓に立てられた埴輪は、大きさ、量、技術で他を圧倒している。
天皇の系譜に連なる大王の古墳は、時期によって築造場所が変わる。
その出現から消滅にかけて時期別に見ることで、埴輪の変遷をたどる。
セクション1 奈良盆地の前期大王墓
箸墓古墳、佐紀陵山古墳、馬見古墳群
・鏡や石製品などの副葬品の定型化
・古墳祭祀の普及
セクション2 大阪平野の中期大王墓(撮影不可)
世界文化遺産:大阪府の百舌鳥・古市古墳群(倭の五王の陵)
セクション3 淀川流域の後期大王墓
今城塚古墳(継体大王の陵)、五条野(見瀬)丸山古墳
・大王墓が単独で築かれるようになる
・近畿地方以外にも埴輪生産が広がり、多彩に展開する。
第3章 埴輪の造形
埴輪出土の北限の岩手県、南限は鹿児島県。
各地域の高い水準で作られた埴輪や、独特な造形の埴輪の紹介。
6世紀 仏教公伝→ 近畿地方で埴輪作りは低調となる→見本となる大王の埴輪がないので地方は独特な発展を遂げる
セクション1 円筒埴輪
埴輪の誕生から消滅まで存在した埴輪の主役。
大量に立て並べられる。
本来は飲食物を捧げるための土器。
セクション2 形象埴輪 ー 家・船・器材
4世紀前葉〜器物や動物(鳥)をかたどった形象埴輪の出現
家形埴輪:地域の高い人物の住まい、倉庫など王が収めた集団に関わる建物を表現
船:亡き王の魂を運ぶ、儀礼空間である古墳へと渡る象徴
武具、威儀具:儀礼の場を飾る、邪悪なものが寄りつくことを防ぐ or 葬られた死者が悪いことをしないよう封じ込める
セクション3 形象埴輪 ー 人物・動物
鶏→船→犬、馬→人物
さまざまな素材でつくられた埴輪
6世紀 九州北・中部:石人石馬(石製表飾)
近畿地方:木製製立物
第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間
5体の挂甲の武人を史上初めて一堂に集め展示。
セクション1 国宝 挂甲の武人と兄弟埴輪
群馬県太田市や伊勢崎市の有力古墳に立てられた。
武装しているが、戦場ではなく儀礼に参加する姿と解釈される。
埴輪の彩色
製作地付近の土中に含まれる身近な成分を利用
赤:ベンガラ(酸化鉄)
白:白土(きめの細かい白い粘土)
黒:マンガンや磁鉄鉱(じてっこう)
灰:白土と黒色鉱物を混ぜたものなど
セクション2 国宝 挂甲の武人の関連資料
新旧国宝2体の「埴輪 挂甲の武人」が初共演
1974年国宝指定 東京国立博物館所蔵品
2020年国宝指定 群馬県高崎市の綿貫観音山古墳出土品(この中に「埴輪 挂甲の武人」が含まれる)
第5章 物語をつたえる埴輪
埴輪群像を場面ごとに紹介
セクション1 人の役割分担
明確に性別、職掌や階層が表現され、その人の役割が容易に理解できる。
まもる、はらう、はたらく、かなでる、したがう、すまう
セクション2 神聖な家形埴輪
古墳で行なわれた葬送儀礼と密接に結びつき、王の魂が住まう建物の役割を果たした。
棺となった埴輪
古墳の中心部に埋葬された王に従属する立場の人物が、埴輪棺に埋葬された。(と推測される)
セクション3 動物埴輪大集合
自由な造形意識がほとばしる生命の賛歌
親子の愛
子育ての様子を間見ることができる人物埴輪や動物埴輪。
親子埴輪は6世紀の関東地方に限定される。
エピローグ 日本人と埴輪の再会
江戸時代:考古遺物への関心が高まり、埴輪が注目される。明治時代から現代にいたるまで、埴輪がどのようにとらえられてきたかについて紹介
芸術家や一般市民など、幅広い層で埴輪が愛されるようになる。
感想
冒頭は、修理後初のお披露目となる《埴輪 踊る人々》。
お勉強寄りの内容は観客の集中力がある前半に。折り返し地点でドーンと『挂甲の武人』5体のステージ。終盤には疲れてても、おかわりしたくなる「かわいい」の大行進。ラストは東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」展に繋げる。
良い構成だと思った。
展示品のキャプションについたキャッチコピーのような一言も楽しい。
初心者からマニアまで、老若男女、幅広い人々が楽しめる展示。
ちょっとだけ考えてしまったのは、写真撮影可のメリット・デメリット。
写真撮影可は私にとってもありがたい。私も嬉々として写真を撮っている一人である。
だけれども、これだけ混雑している上にみんなが写真を撮っていると、かなり気が散る。
周囲の観客の位置と進行方向と圧を目の端に入れつつの鑑賞になり、「黒の無地の服着てくれば良かったな〜」とか、「裏側も見たいけど、そうしたら一緒に写っちゃうよね〜」など余計な事考えたり、いまひとつ集中できなかった気はする。
自分がもっとうまいこと鑑賞できるように鍛錬すればいいのか。
以下、特に印象に残った展示…
入り口で修理を終えた『埴輪 踊る人々』がお出迎えしてくれたのは、とても嬉しかった!
おかえりおかえり!きれいになったね!また元気な姿が見られて嬉しいよ!と、テンション上がる。
↓ 2022年10月から2024年3月まで行われた東京国立博物館所蔵「埴輪 踊る人々」の本格修理の様子や研究員による解説をまとめた動画。
上の動画で、左側の埴輪は右手が取れた状態で発掘されているので、もしかしたら両手を上げてバンザイしているのかもしれない、という話がある。
素人の私には、破片でこの姿↓が復元できるというのが、理解できない。
「はにわ」展を出たら、1Fの考古展示室へ。
お留守番の《埴輪 盛装女子》さんが、お出迎えしてくれます。
2024.10.1-12.22 東京国立近代美術館で開催している「ハニワと土偶の近代」も観に行くと、別の時代、別の目線の埴輪が見えて興味深いデスヨ。