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[report]『ハニワと土偶の近代』(東京国立近代美術館)

※ タイトル画像 斎藤清《ハニワ》(部分)福島県立美術館 蔵


開催情報

『ハニワと土偶の近代』
場所:東京国立近代美術館(東京都千代田区)
開催日:2024.10.1.tue-12.22.sun
入館料:1,800円(一般)

内容:
出土遺物を美的に愛でる視点はいつから芽生え、いつから美術作品のなかに登場するようになったのか。
なぜ、出土遺物は一時期に集中して注目を浴びたのか、その評価はいかに広まったのか、作家たちが遺物の掘りおこしに熱中したのはなぜか。
本展覧会は、美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を、明治時代から現代にかけて追いかけつつ、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探る。
(展示室内「ごあいさつ」より抜粋・編集)


登場人物メモ

  • 野見宿禰のみのすくね
    『日本書紀』に登場する、ハニワ作りの土師はじ臣の祖と伝わる人物。相撲の神様でもある。

  • 松浦武四郎(1818-1888)

  • 河鍋暁斎(1831-1889)

  • 蓑虫山人(1836-1900)
    本名は土岐源吾。ミノムシみたいに生活用具一式をかついで全国を放浪した明治の画人。

  • 乃木希典まれすけ(1849-1919)
    軍人(陸軍大将)。明治天皇崩御の同日、自決を図り殉死。
    天皇を鎮護するハニワとイメージが結び付けられた。

  • 五姓田義松(1855-1915)

  • イサム・ノグチ(1904-1988)

  • 岡本太郎(1911-1996)

  • 花井久穂(?)
    東京国立近代美術館主任研究員。当展担当。

単語

  • 土偶どぐう】縄文時代に作成。小型で女性形が多い。魔除け、自然の恵、子孫繁栄などを願ってつくられたとされる。

  • 埴輪はにわ】古墳時代に作成。大型の素焼きの土製品で、人、家、動物などの形をしている。聖域として区画し、死者の魂をしずめるため作られたとされる。

  • 万世一系ばんせいいっけい】永久に一つの系統が続くこと。多くは皇室・皇統(天皇の血筋)についていう。(『新明解四字熟語辞典』三省堂)

  • 【国家総動員法】昭和13年(1938)4月1日、第1次近衛文麿内閣の下で、国家総動員法が公布され、5月5日施行されました。国家総動員法は、国家総動員を、事変を含む戦時に際し「国の全力を最も有効に発揮せしむる様人的及物的資源を統制運用する」ことであると定義し、国家総動員上必要と認められる事柄について、政府が広範な統制を行えるよう定めました。(国立公文書館)


章構成覚書

東京国立近代美術館の足下には、先史・古代の遺物が眠っている。1979年10月から1980年5月の地下収蔵庫の新設に伴う発掘調査の際、縄文時代の住居から近世の都市遺構まで、遥か昔の人々の生活跡が密集・重複する形で出土した。現在、出土品は国立歴史民俗博物館の収蔵庫に移されている。「原始古代から近世に至るまでの歴史資料をぎっしりと詰め込んだ土の中の収蔵庫」が近現代美術の地下収蔵庫に変わったのだ。

展示室キャプションより

◆ 序章 好古と考古 ー愛好か、学問か?
「好古」「考古」「美術」が重なり合う場で描かれた出土遺物
描き手の「遺物へのまなざし」を追体験しつつ、「遺物の外側に何が描き込まれているか」に注目
蓑虫山人みのむしさんじん:文人画の形式。中国風の調度品とともに。
五姓田善松ごせだよしまつ:リアルな陰影と空間
「日本」のルーツを探したいという「純粋な日本」志向の手前で、「異」なるものが混じり合う、近代の入り口付近の地層。
古と近代が出会う違和感。

◆ 1章 「日本」を掘りおこす ー神話と戦争と
「万世一系」の歴史の象徴
日清・日露戦争後の国内開発→古墳の破壊と発掘の急増
 →各地で出土した遺物が皇室財産として選抜収集
 →上代の服飾や生活を伝える視覚資料としての出土品
1937年 日中戦争開戦 「日本人の心」に源流を求める動き
1940年 皇紀2600年 奉祝ムード高まる
単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、戦意高揚や軍事教育にも使役される。

1-1 考証と復古
明治政府の古墳保存行政:「万世一系」の天皇の系譜を体現するため陵墓を調査
出土遺物から「古代の沿革を徴するもの」を選抜。上野の博物館に買い上げ収蔵の権限が与えられた。→帝国博物館へ
日清・日露戦争後の国内景気の活況、鉄道路線の拡張など、開発に伴う埋蔵物の発見も増加。
帝室博物館に選抜された考古遺物は、考証の知となり、近代の画家たちの古代イメージの創出を促した。

1-2 紀元2600年
考古遺物であるハニワそのものの美の称揚
神武天皇即位2600年国家イベント
「仏教伝来以前」の素朴な日本の姿としてハニワの美が語られる
戦争を背景とした国粋的な高揚

1-3 モダニストたちのハニワ愛好
戦時中、単純な抽象形態で構成されたハニワは、抽象絵画への厳しい統制をすり抜けるための通行手形となった。

古代への憧憬は否定的な精神かも知れない。現代に生き得られない者の悲しい心かも知れない。

現代の藝術と古代藝術とを結びつけることが本質的に間違っているのかも知れません。現代の藝術は古代藝術、即ち自然を否定するところに始まって居るのかも知れません。

難波田なんばた龍起たつおき『自由美術』創刊号 「古代藝術への憧憬」

「ハニワの芸術的本質はその「円筒性」にある」(蓮實重康はすみしげやす『やきもの趣味』への寄稿より)

1-4 神話と戦争と
1938年4月 国家総動員法公布→ハニワも戦意高揚に動員される
「表情の明るさ、単純素朴さ、清らかさ」「涙を流さず悲しみをこらえる」
空ろな眼をしたハニワの美は、戦時を生きる人々の感情と結びつき、共感を集めていくという危うさをはらんでいた。

◆ 2章 「伝統」を掘りおこす ー「縄文」か「弥生」か
1950年代 日本中の「土」が掘りおこされた時代
敗戦で焼け野原→復興と開発
皇国史観に基づく歴史記述の脱却と克服ー歴史の読み替え
ナショナリズム(戦中)からインターナショナリズム(戦後)へ
戦後日本の文化的シンボル「縄文的/弥生的」の二項対立の「伝統論争」
1956年頃 岡本太郎「縄文土器論」(1952年) →建築界へ 民衆的荒々しさ(縄文)
 縄文:土地所有、社会階級の文化がなく、戦後民主主義に相応しいイメージ
 弥生:わび・さび → 封建的、奴隷的
「歴史の修復」悪しき近代を切り離し、近世以前と現代のバイパス手術を試みる誘導操作

2-1 「歴史」の修復
終戦後、刷新された歴史教科書
古代神々の物語に代わり、石器や土器、ハニワなど出土遺物の写真が登場
敗戦で歴史を喪失→登呂遺跡の再発掘
平和国家としての日本の再出発を強くイメージづける
1947年 帝室博物館(皇室の美の殿堂)→国立博物館(国民の財産)に改称

2-2 クラシック=モダン
西洋のモダンアートの延長戦上に、自国の遺物を捉える。
「インターナショナルな観点からナショナルなものをながめようとする視野」(花田清輝)
戦中のモダニストたちの「前衛は日本にあった」という主張と地続き

2-3 現代の目
過去の眼と決別し、戦中の「ハニワ美」の記憶を忘却する。

2-4 原始にかえる
1955年 「メキシコ美術展」(東京国立博物館)の影響
悠々とした古代イメージ→荒ぶる原始たる怪物風のモチーフ
1970年 大阪万博 単純な進歩を問い返す
戦後復興が一段落を迎え、人類規模の資源に立ち返ろうとする

2-5 土から都市へ
1950年 国土総合開発法→観光道路の整備→遺跡の観光地化
戦後の復興→都市で生きる人々にとって「土」は懐かしいものへと変わった。
戦中の記憶はアスファルトの下に埋蔵されていく。
発見と同時にすぐに失われていく土への複雑な郷愁。

3章 ほりだしにもどる ーとなりの遺物
1970〜80年代 特撮や漫画などでキャラクターが量産
1966年『大魔神』
イメージの極端な偏り
サブカルチャーでは先行するイメージがコピーされ、「ミーム」となって増殖しやすい。そのとき、与えられる意味合いも継承される。
ex)武人ハニワ=勇ましい主人公、踊るハニワ=愛らしい同胞、土偶=恐ろしい敵、土器=不可解な呪物…
縄文時代や古墳時代の文化が「日本人」のオリジンに位置づけられるという自覚を、私たちがほとんど無意識のうちに植え付けられている。
「ハニワと土」という問題群は、私たちの身の回りに埋蔵され、今日へと連なっている。

関連サイト

↓  TOKYO ART BEAT 【埴輪(はにわ)入門】後藤美波
 明治大学文学部教授・若狭徹氏に聞く7つの疑問

↓ 映画『掘る女 縄文人の落とし物』
 東京都写真美術館、シネマ・チュプキ・タバタなどで上映予定
 東京国立近代美術館・担当研究員などスペシャルゲストによる上映後トークイベントもあるらしい。


関連書籍

  • 『埴輪は語る』若狭徹/著 ちくま新書 1576
    ISBN : 9784480073853

  • 『芸術新潮 2024年10月号』新潮社(2024年9月25日発売)
    特集:国宝・重文ぜんぶ盛り!はにわのひみつ
    ISBN : 4910033051046
    雑誌コード:03305-10

  • 『東京人 2024年11月号』都市出版(2024年10月3日発売)
    特集:tokyo古墳散歩
    ISBN : 4910167251145
    雑誌コード:16725-11

※ ↓ 追記

  • 『蓑虫放浪』望月昭秀 田附勝 著 国書刊行会
    ISBN : 9784336066817

感想

この秋のWはにわ展の一つ。
こちらは"ハニワへのまなざし"がテーマで、ハニワそれ自体の展示はほとんどない。
オリジナルが展示される「はにわ展」は、トーハクで10.16-12.8開催予定。

こちらの展覧会、大変情報量が多く、堀りはじめると底なし沼であります。
すでに大変長文になっているので、極力、簡潔に感想を述べたい…と思うが、短くなるのか、これ?

ハニワ自体は3世紀〜6世紀に作られ(人や動物の形のものは5世紀頃)、7世紀頃に前方後円墳の消失と共に姿を消している。
再び姿を現すのは(少なくとも記録に残っているのは)幕末〜明治頃。
古物の蒐集や研究に熱中する好古家たちの記録に現れる。
ただ、このころは埴輪についてあまりよくわかっていなかったようで、松浦武四郎の依頼で河鍋暁斎が描いた埴輪作成想像図はかなりあやふや。(暁斎、また武四郎に無茶振りされてるー、フフフ…)
このころから、政府の古墳調査が始まり、少しずつわかってきたようだ。

その後、展示はハニワが「皇紀2600」年や戦時中の戦意高揚に使役されていく時代へと流れる。
このあたりは、全く知らなかったので驚いたし、悲しい気持ちにもなった。
現代の私にとって、ハニワのイメージは「はに丸」や「どうぶつの森」のハニワや LION の指サック<はにさっく>といったカワイイイメージで、他には1950年代の「縄文ブーム」は聞いたことあるよくらい。
ハニワのあの2つの穴の目が「子が戦死しても涙をこぼさない」と言われるのはショックだった。

…『あの目を見た人は忘れられない。ハニワの目を見て世界の人達は「日本を見た」と云ふ』宇野三吾「輪の國」

ハニワは造形もシンプルで、中は空洞。
眼は二つの穴だし、どのようにも解釈できそうだ。
中に火を入れれば怒りに燃えた眼になりそうだし、水を入れれば涙がこぼれるだろう。花を入れれば…

わー!素敵!岡上淑子作品がリアルになったみたいだ。

振り返ると、この花器の実物があった!

宇野三吾《ハニワ形花器》滋賀県立陶芸の森陶芸館 蔵
花を生けたところが見たい!

気が付かなかったが、こちらも実は花器。

2-60 岡本太郎《顔》川崎市岡本太郎美術館 蔵
前衛いけばなの花器として構想された作品。
3体のうち1つは父・一平の墓碑になっている。
脇のパネルを見てビックリ
そこにお線香を立てるんだ?!

この先の映像で勅使河原蒼風氏が「花器と花とでひとつの芸術的造形が誕生する」と話している。
難しいと思うが、花を生けたところが見たいなあ。
宇野三吾《ハニワ形花器》は、季節ごとに、いろんな方が生けたのを見てみたい。

その他、見どころも、印象に残った作品もたくさんあるのだが、一番好きだなあと思ったのはこちら。

武者小路実篤《卓上の静物》たましん美術館 蔵
縄文土器が好き過ぎて武蔵野に移住してしまった武者小路実篤。
静物の取り合わせが面白い
ニンジンとジャガイモで、夕飯に土器でカレー作っちゃいそう

好古家のまなざしが、一番シンクロする。
「いやぁ〜、好きですね〜」と目を細めて一緒に眺めたい。

0-04 蓑虫山人《陸奥全国古陶之図》(部分)弘前大学 北日本考古学学習センター 蔵


ぬいぐるみお泊まり会

ところで、こんな楽しそうなイベントもやっていますね!
10月20日まで応募受付中のようです。
対象が中学生以下なので、残念ながら私は参加できませんが…

(本人じゃなくても)美術館にお泊まりなんて『クローディアの秘密』みたいで、ワクワクします。


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