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悲しみの正体とは

私は毎月、なぜか悲しみに暮れる日があります。
それは、娘の月一の通院日。

それ以外は忙しくても、「自分の好きなことをやり、好きな人に囲まれて幸せ!」と忙しくしながらも楽しく暮らしています。

なんで、この日だけこんなに悲しいんだろう。
案外自分の思い込みで苦しいだけかもしれない。

そんな気がしたので、ここに振返ってみます。


不同視弱視

娘は不同視弱視という、片眼の視力障害があります。

不同視弱視とは、遠視・近視・乱視に左右差が強いためにおこる、片眼の視力障害です。
片目の視力は正常に発達しているため、生活上に不自由はなく、周囲からは全く判りません。片眼性の弱視であるため、屈折異常の弱い眼の視力は良好であり、片眼ずつの視力検査や屈折検査で発見します。

日本弱視斜視学会

子どもが生まれるまで、生まれつきの目の障害があるとは知らず、小さい子が眼鏡をかけているのを見ては、なぜこの子達はこんなに小さいタイミングから眼鏡をかけているんだろう、と疑問に思っていました。我が子がなってみて初めて知り、「うちは両目弱視で。。」「うちは斜視で。。」と周囲の友人達からも声を聞くことで、様々な目の障害があることを知りました。

幸いだったのが、3歳児検診。

コロナ禍で危うく3歳児検診が飛びそうになり、しばらく目の異常さには全く気付かず。ただ、少し落ち着いたタイミングで集団検診を受けることができ、弱視が発覚。そこから治療がスタートしました。


治療の日々

治療については、眼鏡をかけ、見えている目にアイパッチを貼り、見えていない目で生活をします。

このアイパッチが曲者。
保育園に行っている間はなんとかつけてくれるものの、それ以外の時間は嫌がります。絵をかいたり、シールを貼ったりしてやる気を引き出そうとしてみるものの、私の目を盗んではすぐはがし、未だに毎日つけるつけないの攻防を繰り返しています。(皆さん、どうやっているのでしょう、、?)

さらには、アイパッチを貼った上で、字拾い、塗り絵、ビーズ通しなど、様々な訓練をする必要があります。

その訓練を続けるのがなかなか難しく、色々調べたうえで任天堂switchとマリオカートを買って手抜きをしようとしたこともありました。(結果的に、娘が全然マリオカートにはまらず効果なしでした)

幸いだったのが、娘が塗り絵好きだったこと。

保育園でも延々と塗り絵を書いていられる様子で、家に帰ってからも夜寝る前には塗り絵。塗り絵の山で処理するのが大変なほど描いていたので、最近はずいぶん上達しました。

先生からの厳しいダメ出し

そんな感じで日々を過ごし、月一の通院日には視力検査をして先生と方針を話します。
その時に塗り絵も見せながら話をしますが、先生から返ってくる言葉がなぜか異様に厳しい。ここをはみ出さないで!という言葉で、半ば説教のように厳しい日も。

娘の塗り絵を毎日見ている私からすればちゃんと成長していると思っていたし、保育園の先生からも塗り絵とっても上手!と言われていたので、そんなレベルの高い事言わないでー!と半ば悲鳴を上げたい状態。

その場で反論できるはずもなく、その月一か月の子育てをダメ出しされているような気分になり、次第に病院へ行くのが憂鬱になっていきました。


勘違い・・・?

そんなある日、先生がカルテをまじまじと見て、言った一言。

「そうか、まだ4歳か。4歳だもんねー。」

えっ?
カルテ、あるよね?

そのあと、塗り絵上手だねー!と急に褒めだした先生。
まさか、何か勘違いされていた???



娘はとても大きい子です。

3歳の頃、近所の公園に連れて行ったら、そこにいたおじいちゃんに、「かわいいねー、5歳かい?」と声かけられるくらいの大きさ。保育園では早生まれにしてクラスで1番大きく、いつしか成長曲線からもはみ出すようになりました。

ただ、発達段階は年齢相応なので、「カラダが大きいから、幼く見えて大変でしょ」なんて言われたこともあります。大きなお世話と思いつつ、娘の保育園や家の様子を見ても、とても良い子で立派に成長していると思うので、周囲の言葉は気にせず娘には色んな形で日々声をかけ、できたことをほめるようにしてきました。

だからこそ、病院で言われたことに衝撃を受け、また大きいから勘違いされたのか、ととっさに思いました。

先ほどの言葉に「大きいからもっとできるかと思ってた。ごめんねー!」といった言葉が続けば、「そうなんだ!」と思って笑い話で終わったはずです。ただ、そんな言葉はなく急に態度が変わったため、ただただ混乱するのみ。結局真相はわかりません。

毎月なぜかこの通院の日に悲しくなるのですが、きっとこの「なんだかよくわからないけど、急に態度が変わったこと」が不安となり、疑心暗鬼となり、謎の悲しみにつながったのだろうと思いました。



でも、本当にここに悲しむ要素はあるのか、と改めて考えると正直疑問を感じます。もしかしたら、すべて自分の思い込みかもしれません。

大きいから勘違いしたのかもしれない、ということも、今までの経験から自分が勝手に想像したこと。

事実だけを並べると
「4歳か!」と言われた日から、塗り絵を褒められるようになった。
それ以上でもそれ以下でもありません。

先日の検診では、「視力上がってきていますよ!」と言われ、塗り絵をみて「とっても上手いね!ここをこうするともっといいよ!」と言われました。ここには、悲しくなる要素なんてどこにもありません。
もっと自信を持っていいはず。

そう考えると、自分の思い込みに捕われ、悲しみ、無駄に悩んでいる時間がもったいないとすら感じるようになりました。



毎日器用には生きられないし、過去には勝手な思い込みで苦しんでいたことが何度もあります。でも、思い込みをいったん排除し、事実だけを見つめると、モヤモヤや不安が払しょくできることがあるかもしれない、と娘の病院での出来事から思いました。

これからは時々自分に問いかけようと思います。

「その悲しみやモヤモヤ、自分の思い込みかもしれないよ」


最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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