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誰にどの順番で伝えるか問題

Facebookには1000人近くもの友達がいる、Lineにも相当数の登録がある。

でもほんとに親しい人はどれだけいるだろうか。

僕が病気のことを告白した時にしっかり耳を傾けてくれる人は??

癌の告知を受け、人生あと数年かもしれない、そう考えた時、、

いままで仲良くしてくれたことのお礼ぐらいはしっかり自分の口で伝えなきゃいけない、元気なうちに。

手術の日が決まった。4週間後。

僕は学生の頃ヨット部に所属していた。当時のヨット部はまさに黄金時代、周りの学校からも一目置かれるほど強かった。

そんな黄金時代のメンバーたちは現在あらゆる分野で活躍している。

赤枝医院の副院長、相良武士もその一人だ。

名前が武士、まさにジャパニーズサムライのような男、僕が人生かけて信頼しているパートナーだ。

『肺癌』というキーワードを頭に放り投げると即座にヨット部の後輩の顔が思い浮かんだ。

直感で、、あいつにすべてを委ねよう。

人としても気が合うし、病気になる前から信頼の厚い呼吸器外科の後輩、前原に連絡をしてみた。

コロナ禍の中、大学病院はICUベッド確保、オペ制限を虐げられていたが、4週間後なら手術できそうだ、と連絡をもらった。

時間がない。

それまでに自分の口で伝えよう、お別れとまではいかなくても、術後自分の身体が不自由になる前に。

手術だけで終わるのか、抗がん剤をうつのか、僕のリアルな予後はどれくらいなのか。不安で不安で眠れない日が続いた。

睡眠不足はメンタルをさらに弱くする。

産後のお母さんたちもきっとこんな悪循環を経験されているのだろう。

当然、職場のスタッフ、訪れる患者さま、誰一人として僕の状況を知る由もなかった。

医者たる職業は、自分がどのような状況にあっても患者様を安心感で包み込むという任務をもつ。

院長たる立場は、スタッフの疲労困憊をいち早く察知しその膿を出すことに務めるという任務をもつ。

自分のことでいっぱいいっぱいだった僕にはその任務遂行は困難で、今にも全てのことから逃げ出したい気分だった。

それでも、徐々に病気のことを大切な人へ伝えていった。

ひとりひとり丁寧に、、これまでのお礼とそしてこれからも仲良くしてほしいということを伝えた。

たいていの反応は「癌」という濃厚な言葉の響きに驚き、セリフのような非現実的な語りかけに動揺し涙を流す。そしてそれを見て僕も涙する。

この世の終わりみたいな光景であるが、人と会って伝えていくにつれ、あるたしかな変化が僕の中で起きていた。

人に会えば会うほど、話せば話すほど、泣けば泣くほど、、

自分がメキメキ強くなる!!


話を聞いてくれた友人たちが僕の不安や恐怖をちょとずつ吸い取ってくれたんだ!!

そしてその隙間に勇気と希望を注入してくれてるんだ!!

絶対そうだ!!手術が近づくにつれて僕の精神状態は落ち着き、どんどん前向きになった。

最後に伝えるのはそう、、家族だけ。

妻、子供たち、、に伝えた。

妻は現状を知り涙を流すも気丈に振る舞った。

『あなたなら大丈夫』と。

子供たちは、癌という言葉に驚いたのだろう、、嗚咽まじりに泣いていた。

犬のモコが寄ってきて、涙ながらに伝えた僕の顔をずっとなめて慰めてくれた。

楽しい時、辛い時、疲れている時、いつでも無償の愛を僕たち家族に届けてくれる。

言葉は話せないが今回もモコに救われた。この子がおばあちゃんになって介護が必要になったらしっかり最後まで面倒をみてあげたい。モコより先に死ぬわけにいかない。

家族のパワーはすごい。

更に生きる気力が湧いてきた。


一番伝えずらい相手、、最後は母親だった。

明日話したいことがあると電話をした。

よそよそしい僕の態度に母はかなり警戒した。

母と会ったがなかなか椅子にも座らず、立ったまま犬とおしゃべりをして気をそらしていた。

話しがあるから椅子に座ってくれと懇願した。

やっと椅子に座る母、目は合わそうとしない。

『肺癌になってしまいました、4週後に手術をします。気持ちは前向きなので大丈夫、必ず治ってみせます。』

全身の力を込めて母へ伝えた。

母は目を合わさず、机を見つめていた。

自分が生んだ息子が癌になった、、

こんな告白をされたら母親はどんな気持ちになるのだろう。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、伝えないわけにはいかない。

あなたが生んだ僕が先に死ぬわけにはいきません、、だから必ず生還します。

老いた母親は涙ひとつ流さず僕にこう告げた。

『あなたは強い子、がんばりなさい』

とにかく母は偉大である。





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