赤枝朋嘉

産婦人科医。神様に感謝。夢の続きを語らせてください。 人生の2ndシーズンが始まります。

赤枝朋嘉

産婦人科医。神様に感謝。夢の続きを語らせてください。 人生の2ndシーズンが始まります。

マガジン

  • 聖蹟桜ヶ丘という街が大好き

    何とも良い感じの聖蹟桜ヶ丘という街をゆっくりじっくり紹介できればと思います

  • Life is beautiful

    幸せな人生とは長生きすることそして素晴らしい仲間と時間を共有すること。 壁の向こう側には新しい世界が待っている。ハンデこそ自分レベルアップのチャンス。

  • 私をUTMFに連れてって

    コロナで中止となったUTMF2020。 エントリー権は翌年に持ち越しとなりましたが、その間に肺癌を告知され左肺の一部を摘出、絶体絶命のピンチ、でも諦めたくない!! わたしはUTMF2021スタートラインに立てるのでしょうか? その挑戦の記録です。

  • 共に生きる

    あと何年生きれるんだろう。肺がんと戦うのではなく共存スタンスで前向きに生きていこうと思います。毎日のうつりゆく感情や気持ちを忘れないよう物語仕立てで綴ります。ストーリーを盛り上げるための演出が大げさになることもありますがご了承ください(笑)。

最近の記事

オトコの半身浴〜ガンダム風呂編〜

最近読んだ本に老化は病気だと書いてあった。 老化という病気にかかると癌になったり血圧があがったり致命的な状況に追いやられるという。 老化を病気と捉えたその考えは実に斬新である。 つまりは老化しなければ、癌にもなりづらいということである。 老化したものは若返らないけれど、老化を遅らせ現状維持を心がけるそれがとても重要だと。 その方法、、、のうちのひとつにサウナ、とあった。 僕は無類のサウナ好きである。 一人でサウナに行く時には7分×5セットは必ず完遂する。 こん

    • フーフーフーフー フーフーフーフー フーフーフーフー ハーーーッ ハーーーッ♪

      写真と題名を見て、、メロディが頭に乗ってきた人はすごいです。 僕の勝負曲(パワーソング)。 ペッパー警部かこれか。笑ピンチの時、辛い時、自分を鼓舞する時、思わず知らず知らずのうちに口ずさんでしまう曲がパワーソング。 高校でラグビーはじめるまではピンチの時いつも頭の中をペッパー警部がグルグル。 『わたしたちこれからいいところ〜♪』この歌詞だけを永遠にリピート。 なぜだかはわかりません。 少年時代の僕にとって想像力を掻き立てられました。 このフレーズが僕の青春を支え

      • あ==UTMF2021エントリーはじまりますね

        いよいよですね。 まだ詳細はわかりませんが、、 僕にとって人生最初で最後のUTM挑戦が半年後に迫ってきました。 とりあえず体が火照ってきたのでかるく走ってきます、いや、早歩きしてきます!!笑

        • 誰にどの順番で伝えるか問題

          Facebookには1000人近くもの友達がいる、Lineにも相当数の登録がある。 でもほんとに親しい人はどれだけいるだろうか。 僕が病気のことを告白した時にしっかり耳を傾けてくれる人は?? 癌の告知を受け、人生あと数年かもしれない、そう考えた時、、 いままで仲良くしてくれたことのお礼ぐらいはしっかり自分の口で伝えなきゃいけない、元気なうちに。 手術の日が決まった。4週間後。 僕は学生の頃ヨット部に所属していた。当時のヨット部はまさに黄金時代、周りの学校からも一目

        マガジン

        • 聖蹟桜ヶ丘という街が大好き
          0本
        • Life is beautiful
          5本
        • 私をUTMFに連れてって
          4本
        • 共に生きる
          4本

        記事

          遅かれ早かれ

          これまでの人生で僕に大きな影響を与えてくれた先輩が何人かいます。 そのうちの一人の先輩がFacebookの投稿を見て心配してくれて、食事に誘ってくれました、十何年かぶりに。 先輩と僕は、大学時代の先輩後輩。 昭和な日本社会では学生時代の先輩後輩は王様と奴隷並みの関係。 先輩の言うこと絶対。 超ドSな先輩&超ドMな後輩という立場で学生時代を過ごしました。 粗相があって先輩の家で座布団1枚で寝かされたこともありました。 でもその頃はそんな無茶苦茶な仕打ちが嬉しくもあ

          遅かれ早かれ

          僕がリーダーとして実践してきたこと

          僕がまず闘ってきます 成果を勝ち取ってきます そしてその成果をみんなで分かち合いましょう でも成果が得られるのはたぶん10回に1回ぐらい 僕が闘っている間に受ける非難や困難はうまくスルーしてください だからその間僕を信じて支えてください 必ずあなたを幸せにします 待っててください

          僕がリーダーとして実践してきたこと

          運動再開してみた

          術後1ヶ月もすぎ、、 何からやろう。 まずは散歩から。 僕のパワスポ『高幡不動』まで走って(歩いて)行ってみよう!! 久々にランニングウエアを身にまとい、ランシューを履き、ストレッチ。 軽めのジョグから、、 ガーミンをつけて画面はでっかく心拍数のみ表示。 心拍数がガンガンあがる。 平常心拍数は60ぐらいですが、あっという間に160笑。 とりあえず、1キロは走り続け、、 1kmのラップタイムは8分50秒。。自分でも驚きました、かなり必死に走ってるのに、、

          運動再開してみた

          人生をふりかえったら悪いところばっかり見えてくる

          きっといいことひとつぐらいはしてきただろう。 周りを見渡しても、癌になった同級生なんてどこにも見当たらない。 なんで僕だけこんな目にあわなきゃいけないんだろう。 スピリチュアルな先生からは癌になるには理由がある、と言われた。 これまでの生き方を神様から問いただされているのか、それとも失うことで僕に何か気づきを与えたいのか? 河原を走ってる人をみたらこう思う。 『気持ちよく走りやがって羨ましい』 人生疲れて苦しんでる人をみればこう思う。 『五体満足しっかりやれよ

          人生をふりかえったら悪いところばっかり見えてくる

          UTMFとは

          まずUTMFとは =ウルトラトレイルマウントフジ 富士山の周り約160kmを制限時間46時間内で走りまくるレースです。興味ない人からすればアホくさっと思われちゃうかもしれませんが、僕にとっては浪漫終着地点なんですね。 富士登山から尻に火がつき、、 多摩ロードレース→ハーフマラソン→フルマラソン→ショートトライアスロン→ロングトライアスロン→遠泳→ウルトラマラソン→トレイルラン→UTMF挑戦!! ここまでようやく辿りついたわけです。 で、めでたく2020年、浪漫終着駅

          笑いの天才がそこにはいた

          すごく仲の良い友人から辛さmaxの告白をされたらあなたならどう慰めますか? 僕は余計なことを言わずにただただ相手の話しに耳を傾けます。 今回のこと、仲良しの友人には直接伝えなきゃと考え、、 僕「実はさ、肺癌になっちまったよ」 友「えっまぢで、ちょっまって、ありえないわ、、 できることあったら遠慮なくなんでも言ってよ!!」 お互い涙ぐみ、優しい言葉のマシンガンで僕を包み込んでくれます。 これが通常の有難いパターン。 ほんと最高だなぁ〜天才だなぁ〜て思った切り返し

          笑いの天才がそこにはいた

          ひとりでは抱えきれない真実

          死刑宣告を受けたかのような顔つきだっただろう。目的もなくそこらじゅうを歩きまわった、ただひたすらに。 まずはカラダの中で今起こっていることを自分なりに整理して理解して、、 誰に伝えよう。 誰にも言わず何事もなかったかのように過ごしてみようか。 多摩に住んでから都心でお茶をすることなんて滅多になかったのでゆっくりできるカフェすら思い浮かばない。 行き当たりばったりのお店はコロナでどこもテイクアウトメニューばかり。 自動販売機でいろはすを一本買い、車中のシートを思いっきり倒し

          ひとりでは抱えきれない真実

          忘己利他

          いままでできなかったこと。 それは自己肯定感を高めることなかなか自分を褒めるのって難しいですよね。 人から、すごいね〜とか褒められても、、 「いやいやまだまだです」 とか言ってませんか? あんまり自分に厳しいと自分が拗ねちゃいますよ。 たまには自分で自分を褒めるくせをつけましょう。 そして毎日、自分で自分をハグしてみてください誰かに包み込まれているかのような安心感が得られるはずです。 自分を凄いって認めたらその時点で終了、伸び代がなくなったも同然。 そんな偏

          忘己利他

          遮二無二

          僕は元々カラダが弱く、川崎病も患っていたので心臓にも障害があって幼い頃から病院通い、運動制限があって体育は見学ばかりでした。 人って制限されると、その抑制が外れた時めちゃくちゃハジけませんか? 僕のお母さんはあまりうるさいことを言わない人でしたがコーラだけは飲ませてくれなかったので、、 お小遣いは全部と言えるほど瓶コーラに費やしていました。笑飲んでいる現場をお母さんに見られたらヤバイのですべて一気飲みです。笑 今でも特技は?と聞かれるとコーラの一気飲みです!と答えます

          遮二無二

          突然の告知

          『赤枝先生、これは肺癌ですね』「えっ、僕のことですか?」 それは突然の出来事だった。 そのあとの行動はあまり記憶にないが動揺を隠そうと必死に取り繕っていただろう。結果を説明してくれているお医者さんも必死だ。何かを僕に語りかけているようだが何も聞こえてこない。 僕も医者の端くれとして、肺癌の予後が悪いことぐらいは知っている。 帰りの道中、iphoneを握りしめ勇気をもって”肺癌、予後” でググる自分。 そこにちらりと見えた文字列、、 「全体の5年生存率は20%未満で

          突然の告知

          自分のこと

          僕は1971年生まれの49歳です世田谷で育ちました 母が女手一つで育ててくれました 思春期はフラフラ不安定でした いつしか医者を目指し1浪して大学へそして産婦人科医となり 銀行からたくさんお金をかりて開業しました 仕事は大好きいつも寝不足 でもとても幸せな毎日でした 休みの日は愛犬家族友人と過ごします ずっとこの幸せが続きますように、、 先日「肺がん」の告知をうけました 辛すぎました 自分の命が有限だとしりました 毎日乱降下するこの気持ちに題名をつけて記

          自分のこと