我能く人を愛すれば、人も亦た我を愛す。勇往向前。
8月30日は、江戸時代の儒学者、伊藤仁斎
の誕生日です。
江戸時代前期の儒学は、いくつかの系統に分かれていました。
・朱子学(大義名分論・君臣父子・理気二元論)→保守的
朱子学は江戸幕府にも保護された「官学」でした。
・陽明学(知行合一)→革新的
陽明学は、幕府に禁令を出されたこともありましたが、大塩平八郎や松下村塾のメンバーらが学び、後の明治維新の原動力の一つに。
・古学(孔子・孟子の思想に回帰)→原理主義的
朱子学や陽明学など、孔子や孟子の思想の新たな解釈に反発。論語や孟子などの原典に向き合うことで、その真意を解明しようとしました。
など。
伊藤仁斎は、このうち古学の学者でした。同時期の古学者には山鹿素行がいます。
1、悩める前半生
伊藤仁斎は寛永4年7月20日(1627年8月30日)、京都の豪商の家に生まれました。
仁斎は幼い頃から学問に長けており、読書家でもありました。
その結果、中国語にも通じ、中国語の小説を難なく読破するほどだったと言われています。
学問に長けていた仁斎は、当時高給取りだった医業の道を歩むことを期待されます。
しかし彼は、かねてより関心があった儒学の研究者になることを選択、研究に没頭するようになります。
これが何と16歳の時(!)でした。
しかし、そんな仁斎が30歳にさしかかる頃、ある異変が現れます。
息子、伊藤東涯によれば(当時まだ東涯は生まれていませんでしたので、仁斎本人からの聞き取りか?)、
「驚悸寧からざる者、ほとんど十年ばかり、首を俯し机に依りて門庭に出でず。付近の里人、多く面を識らず」とあります。
つまり、10年ほど机に向かって俯いたまま、ほとんど外出しなかった…ということですね。
これは、鬱病かそれに近い症状と考えられます。
しかし、彼は、10年の歳月をかけ、禅や儒学の本を読み続け、自分の生き方の答えにたどり着きます。
まずは
「天地の間、皆な一理のみ。動有りて静無く、善有りて悪無し。蓋し静なる者は動の止まるのみ。悪なる者は善の変ぜしのみ。」
存在するものは動くことをその基本とし、いわゆる静とは動きの止まった状態にすぎず、存在するものは本来善であり、悪とは善がゆがんだ形にすぎない。
そして仁斎は、孔子の言う「仁」とはすなわち「愛」であると考えます。
「仁の徳偽るや大なり。然れども一言以て之をおほえば曰く、愛のみ。」
仁ほど大切なものはない。では、仁とは一体何か。一言で言えば「愛」である。
彼は、人間の善性への信頼と、仁とは概念的な物ではなく、愛という実体を持つものだ、と考えたのです。
そして、「愛」に満ちた彼の後半生が始まります。
2、「愛」に基づく後半生
仁斎は、寛文2(1662)年、36歳の時に京都の堀川に私塾、「古義堂」を開きました。
師弟関係においても彼の「愛」の精神は徹底されました。
仁斉の塾の特色は、「科条を設けず」「督察を厳にせず」。
塾生に対する態度は、「厭怠の色なし」。
塾生たちは茶菓子を持ち寄るようなアットホームな雰囲気の中、自らの研究成果を持ち寄ったり、自由に意見を述べて討論するという、塾生中心の教育法がとられていました。
仁斎はそれを穏やかに見守り、問われれば答える、というスタイルでした。
今で言うアクティブラーニングに近いですね。
仁斎の人徳に惹かれて集まった塾生は、延べ3000人を数えたといいます。
また、40歳にして初めて結婚します。
44歳の時に生まれたのが伊藤東涯。
最初の妻とは死別し56歳で再婚、東涯を含め、2人の妻との間に合計8人の子をもうけ、大家族に囲まれて幸せな私生活を過ごしていました。
彼の遺した言葉に
「我能く人を愛すれば、人も亦た我を愛す。」
自分が本当に人を愛していたら、自然と人は自分を愛してくれる。
「仁者は常に人の是を見る。不仁者は常に人の非を見る。」
仁徳を備えた者はその人の良い所を見ようとする。
仁徳を備えぬ者は人の欠点ばかりいつも見ようとする。
とあります。
何か、はっとさせられる言葉ですね。
また彼は、
「勇往向前、一日は一日より新たならんと欲す。」
勇気をもって前に進め。
今日は、昨日までとは違う新たなる日を望んでいる。
「天地といへども過ち無きこと能はず。いはんや人をや。聖人もまた人たるのみ。」
天地(神々)ですら過ちを犯すのだ。
人など過ちを犯して当然ではないか。聖人でさえ人である。
とも述べています。
彼の愛と寛容、そして自らの葛藤を克服した内面の「勇気」を感じさせられる言葉です。
彼の思想は多くの塾生や東涯をはじめとする息子たちによって、「仁斎学」として受け継がれました。
古義堂も、明治時代の1905年まで、その仁と愛の教えを広め続けたのです。
学校ももう新学期。
人に厳しく当たりそうになった時、或いは人との関係に悩んだ時、少し仁斎の思想に耳を傾けてみてはどうでしょうか?
そしてそれは誰にでも言えること。
先生方、保護者の方々、全ての方がこの考えを持ち新たな1日を歩みだせば、もっと学校にも心地よい環境が生まれるのではないかな、と考えます。
8月31日の悩める君に、悩める全ての人に、閉塞感漂う社会に、今一度仁斎の教えを。