気づきと感謝と今後のこと
こうどう‐げんり〔カウドウ‐〕【行動原理】
行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など。
朝っぱらから京都へ向かう電車内、まったく結論が見えないままこの記事を書いています。
今週の自分を思い返しているのですが、私はこの1週間、奇行を繰り返していたように思います。
noteを読み返しても普段ではまずしない行動、書かない言葉を並べており、なぜ自分がこんなことをしたのか、今の私にはさっぱりわかりません。
といっても、読み返して嫌な感じはしない。
心を偽って書き残したというわけでは無さそうです。
本能で回答するなら「ただ、そうしたかった」それしか浮かばないのですが、自分の中ではあまりにも奇行なため、自分が自分に理屈を求めてきます。
で、昨夜「なぜ?」を問いながら爆睡したところ、夜中に左脳が頑張ったようで、今朝になって各記事に隠れた裏テーマのようなものが見えてきました。
行動している最中は決して計画していたわけではなく、イノセンスな自分に従っただけなのですが、後付けで理由を考察してみたいと思います。
まず、
『「書ける人」との比較は無意味』
こちらの記事ですが、テーマは「説得」です。
読み手の考え方に変化を与えることを目的としています。
論理自体は滅茶苦茶だと思いますが、読み手に対して仕掛けると言う点で、普段の独り言とは違います。
次に
「アーバンBBQ」
この記事を書いた翌日、打ち合わせでBBQ主催のクライアント先に私のnoteの存在をバラしてしまい、ほとぼりが冷めるまで下書きに戻しております。
こちらのテーマは「内輪ネタ」
記事の内容もそうですし、記事内で尊敬するnoterさんの一人である、ティコさんへの呼びかけもしています。
公共の場に出す記事でありながら、大半の読者を置いてけぼりにするという、普段ではしない行動をしています。
翌日の「チャリ残」は普段通りの記事を書いて、その次の「石に浮かぶ世界」は、宵越しのnoteを書かない私が珍しく日をまたいで構成を考えた記事です。
テーマは「表現」とでもしておきましょう。
日常だと思っていた世界が知らないうちにズレている、その感覚を読み手に感じてもらうにはどうしたらいいかを、私なりに考えて表現しました。
次の日は「拝啓 朱祥さま」です。
こちらは、前日に朱祥様よりいただいた、ありがたいお手紙へのお返事記事です。
内輪ネタでありつつ、一応他の人が読んでも「石のはなしだ」ということは、伝わるように書きました。
テーマは「井戸端会議」
井戸端会議は各々の都合で出たり入ったりする会話ですが、途中から入った人でも何となく話の内容は追える、そんな内容になっています。
そして「画像で一句の会」『24時間以内に会員数が4倍になった我が「一句の会」会報Vol.1』こちらのテーマは「呼びかけ」です。
これは、本当に自分でも訳がわかりません。
発起人となって何かをやろうと呼びかけるなど、我が人生を振り返っても、ただの一度もない。
そんな大それた話ではありませんが、それでも自分の中にいた、新しい人の発見に驚いています。
しかも皆さんほんとに活動してくださるものですから、嬉しくなって、枚方あたりで初のマガジンまで作ってしまいました。
そして昨日の記事「フラれた先にあったもの」
こちらも、普段は使わない卑猥な言葉を使うという点でチャレンジだったと思います。テーマは「直感」
今までの私は、卑猥な言葉が頭に浮かんだとしても、文字にする前に無意識に編集していたように思います。
それをせず、そのまま直感で思いついたままに書く。
読み手を離れ、直感と本能をそのまま文字に残す試みです。
私はコレが苦手で、誰にも読まれない前提の日記でも上手くできません。
けれどなぜかこの日は書こうと思えたのです。
卑猥でなくとも、怒りや皮肉、優越感など、自分にとって「清くない」カテゴリに入る感情は、なかなかストレートに出せない。
これって私だけなのか、あるあるなのか分かりません。
けれど書けないままでいるよりは、書けた方が表現の幅は広がると思います。
自分語り満載の内容になってしまい恐縮です。
けれど振り返ってみると、この、いつも通り何も考えずに書き始め、書き上げた直近1週間のnoteが、もしかしたら文章表現の幅を広げる私なりの挑戦だったのではないかと思うのです。
書いている最中は間違いなく苦し紛れです。
裏テーマなんて考えてませんし、ネタ出しに困ってやりたい放題した結果でしかないのですが。
困りきって追い詰められて、普段と違う行動に出た結果、私の中にずっとあった「私はこういう人間だから◯◯は書けない」「文章とはこうでなければならない」という壁が、随分低くなったように感じています。
4ヶ月ほどnoteを書き続けてきて、なぜこのタイミングでそんな貴重な挑戦ができたか。
それはきっと、こちらのマガジンのおかげです。
私が何か変なことをしていても、それを、まばたきするより容易く、かつあっという間に打ち消すほど、面白いことをしている人が集まるマガジンに出会えたおかげだと思のです。
意味不明な言葉を並べても、なんのはなしですかと魔法の呪文をつぶやけば、どこからともなく現れたコニシ木の子さんが受け止めてくれる。
自分でもよくわからない記事を公開するってかなり抵抗がありますが、とりあけず投げておけば、確実に帳尻を合わせてもらえる確信がある。
私にとってこれほど心強いことはありません。
さらに、私がどれだけ変なことしてても、裏路地なので目立たない。
ちらっと表通りの人に見られても「あぁ、例のマガジンか」と勝手に抽象化してくれるため、変なことを書いている個人が薄まっていくのです。
しかも、受け取る側のコニシ木の子さんが「じゃんじゃんやれ」と言ってくれる。
イタい私を見てみぬフリせず、スキを押して下さる方がいる。
えっ天国?いや、道場?
なんのなはしですかって、究極のブレインストーミング。
そんな気がしてきました。
私は来週から、とある講座を3ヶ月間受講します。
noteを書く時間は大幅に講座に回すことになるため、短く、苦し紛れの記事がさらに増えるのではないかと危惧しています。
けれど、溺れゆく人が切迫つまって泳ぎを会得するように、苦し紛れであっても書き続けていれば何かがスパークするかもしれない。
そんな予感を感じさせてくれる1週間でした。
一句の会の会長に就任したこともあり、noteから完全に消えるつもりは、今のところありません。
が、向こう3ヶ月、出ては消える蜉蝣のような立ち位置でnoteに向かう可能性はあります。
貴重なラスト1週間に気づきを与えてくださった「なんのはなしですか」の先輩方、主宰のコニシ木の子さんに、心から感謝しています。
ありがとうございます!!!!
また、3ヶ月後に人が変わったかのようにとあるスキルについての営業を開始する私のことを、見捨てないでいてくださると幸いです。