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虫が苦手。
田舎で暮らすようになり幾分慣れたとはいえ、どれほど美しい蝶であろうと、種結晶サイズのアリであろうと、突然の遭遇はできるだけ遠慮したい。

この夏、我が家の玄関ポーチに一匹のクモが住み着いた。
このクモは、複数ある鉢植えの低木をまたいで巣をはった。

当然クモも苦手だが、こいつは鉢植えの上という、人間生活を邪魔しないポジションを取ったため、巣を壊すのも恐ろしい私から黙認された。

家の中でいきなり現れるクモとは違い、このクモは必ず鉢植えの上にいた。
突然の遭遇を強要されないことも、建築を許可した理由の一つ。


クモの見た目は苦手だが、巣はたいそう美しかった。
よく見かけるクモの巣のデザインに加え、中心に居座る本体から円周をひと回り拡げた四方に、テープのりを貼ったような長方形で密集した網目細工がある。

網目細工のある巣など、今までに見たことがなかった。このクモが人なら腕のいい職人に仕上がったに違いない。
下にある鉢植えへ水をやる際、巣にも水がかかると、突然のお天気雨に動揺する家主をよそにキラキラと輝くのだった。

クモは少しずつ大きくなった。
半透明の抜け殻を、裸眼でも見つけられるほどに成長した頃、このクモは私の中で少しだけ特別になった。
恐怖心から数秒しか見られないが、本体を彩るタイガースカラーも悪くない。

それは虫が苦手ではない家族も同様で、我々は外出前にクモを一瞥するのが習慣となった。
夕立の翌日は少しソワソワしながら、用がなくとも玄関に出た。


ある日、クモはいなくなっていた。
大風があったわけでもないのに、あの職人気質なほどに美しい巣も消えてしまった。
鳥にやられたか、うまく逃げられたろうか。
それともどこか、違う土地で獲物を探すことにしたのだろうか。

もしもクモと言葉が通じたら、出立前のクモに私は何と声をかけただろう。
肝心なこと緘黙症である私のことだ、気のきいたことは何も言えなかっただろう。

クモの行く末はわからない。ただ、何くわぬ顔をして同じ場所に巣をはるのではないかと、しばらくは巣のあった場所を一瞥する癖が抜けなかった。
そしてそのうちに夏休みが終わり、クモのいない日常が戻り、枝葉の中空に目をやることもなくなった。

この夏、私はこのクモのようにNoteを去った。
ニンゲンなので帰宅宣言はしたものの、他者から見れば帰ってくるかどうかなど、分かるものではない。
宣言しておいて言うのもなんだが、実際、戻ってくる確信などないままに、去った。

そのクモを待ちづづけ、お前の巣は確かにここにあったと、月曜日が来るたびに旗を立ててくれる人がいた。

今から発つとの知らせとともに、あからさまな餞別(サポート)の要求をしたクモに、激励と餞別をくれた人がいた。

何も聞くなと言うクモの願いを聞き入れ、多くの人が見送ってくれた。

何も言わず、ただ見にきてくれる人がいた。

そして、クモより一足早くNoteを去ったにも関わらず、枝葉の中空をずっと見守ってくれた人がいた。
その人は昨日、クモより一足遅くNoteに戻り、私が大好きだった調子で言葉を紡いでくれた。
どうやらその人も、裏路地に関心があるご様子。これは楽しみだ。楽しみでしかない。

私は、我が家のクモと比べようもないほどに幸せなクモだった。

ありがとう
ただいま
おかえりなさい

肝心なこと緘黙症である私には、気のきいたことは言えない。

ただ、私もあの日去ったクモを、いつまでも待っていられる人になりたいと思った。
何も聞かずにおかえりと言ってくれた、あなたのような人に。

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