クリスチャンと性
➀最も困難な戒め
しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。マタイによる福音書5:28
まず最初に強調すると、ポルノはクリスチャン界隈では罪である。これには当然自慰行為や妄想にふける事も含まれる。これは現代社会に蔓延る最大最強の罪であり誘惑であると言えるだろう。おおよそ男として生き男として育つ中でこの罪と無縁であった剛の者はどれだけいるだろうか。はっきりいって、私は無理であった。が、同様に申し開いておきたい。今は少なくともかつての様に、ポルノにふける様な習慣からは抜け出せている。ここらへんの内容については次回の記事で詳しく記していきたい。
一方でこの聖句の言う通り、完全に行えているかというとそれはやはり難しいと感じる場面は多々ある。アレコレ言うのも下品な話であるので割愛するが、やはり難しいのである。とはいえこの戒めはクリスチャンにとって極めて重要な戒めである為、その理由について記していきたい。
②あなたは姦淫してはならない。出エジプト記第20:14
旧約の時代からこの貞潔の律法と呼ばれる戒めは与えられていた。すなわち「あなたは法的に結ばれた妻の他には性的な関係をもってはならない」のである。が、旧約聖書というのはエライもので、実の娘との交わりであったり義理の妹との交わりの記載があったりなどとメチャクチャな記載が散見される。しかしモーセの時代から既にこの戒めは有効であった。この罪の誘惑に陥った為にその身を滅ぼした最も有名な例が、ユダヤの英雄ダビデであろう。
ダビデは非常に神に愛された偉大な国王であった。ダビデが向かうところに常に神の導きがあり、ダビデは周辺国家との戦争に連戦連勝し当時のイスラエル王国を最大判図まで押し上げた英雄であった。そんな神にも人にも愛されたダビデであったが、たった一度の過ちでその栄光の全てを失うのである。
ダビデとバテシバ
ダビデが罪を犯すときのことである。ダビデの勢いは正に絶頂にあった。ダビデ王が率いるイスラエル王国は周辺諸国であるスリヤ人とアンモン人と戦っていたが、ダビデはこのスリヤ人の軍勢の戦車兵700、騎兵4万を殺し、軍団長のショバクを打ち破った。そこでスリヤ人はイスラエル王国と和睦を結んだ。そこでダビデは残ったアンモン人に対して軍勢を遣わし、その都市を包囲させたのである。これまで、ダビデは常に戦場の先頭に立っていたが、これはダビデが初めて戦場に赴かなかった戦争であった。その時である。王宮に居たダビデがふと目を下にやると、ひとりの女がからだを洗っている姿が見えたのである。
さて、あなたは目を背けられるだろうか。なお聖書にはその女は非常に美しかったと記載されている。それがどれだけ強い誘惑であったかは想像に難くない。なおこの時代は一夫多妻制が認可されていた時代ではあった。そのためこのバテシバという名の女が独身であったならば、ダビデの罪はそこまで大きなものではなかったかもしれない。しかしこのバテシバは人妻であった。しかもダビデは其の事を知った上で、バテシバと寝てしまうのである。
秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。という聖句があるように、なんとバテシバはその一夜の交わりで妊娠してしまうのである。これは大いにダビデを慌てさせたことだろう。事実ダビデはその後この事実を隠蔽する様に動く。具体的には、バテシバの夫であるウリヤに命じて、妻と共に寝る様に命じるのである。しかし事はダビデの思うようには動かなかった。このバテシバの夫ウリヤは軍人であった。そして先述の通り、イスラエル王国は今はアンモン人との戦争の真っただ中であった。そこでウリヤはダビデにきっぱり宣言するのである。「今は戦争の真っただ中である。それなのにどうして軍人である私が戦友を置いて妻と共に寝る事が出来るでしょう」と。この返答はダビデを極めて苛立たせたであろう。その後ダビデは取り返しのつかない過ちを犯す。なんとウリヤを前線に送り、前線から彼以外の兵士を引かせウリヤを討ち死にさせるよう軍の司令官であるヨアブに命じるのである。これによってダビデの思惑通りウリヤは討ち死にした。そしてバテシバは正式にダビデの妻として迎え入れられる様になった。
読んでみたらわかるが、聖書は昼ドラで放送したらお茶の間が凍り付く程の人間ドラマに満ちている。先述の通り娘と寝たり、義理の妹と交わったり、これは本当に聖なる書物か???と感じる記述もあるが、人の弱さを含めてまた学ぶべきものがあるというものだろう。ダビデの例もそうである。
ダビデはその後ナタンという預言者に「豊かな人が自分の羊を惜しみ、貧しい人からその唯一の財産である羊を取ったらいかがでしょうか」という痛烈な皮肉を受ける。当初ダビデは自分の事とは気付かずに、そのような事をする人は死ぬべきであるとまで発言している。ナタンはそれに対し、「あなたがその人です。」という火の玉ストレートを投げ込むのである。
④最も大切な戒め
戒めには優先度がある。そして私はこの戒めを最も大切な戒めの一つに挙げる。ダビデの例は極端な話かもしれないが、クリスチャン界隈では、貞潔の罪の結果として起こるものとして、しばしば教訓的に引用されるものである。次回の記事では更にポルノ依存というトピックに焦点を当てて掘り下げて行きたいが、他の女性に情欲を抱く状態で健全な家庭生活を維持する事は可能なのだろうか??私はその事を強く疑問に思う。性的な罪は家庭を破壊する。極めて多くの夫婦関係が、不倫や浮気をきっかけとして崩壊してきたのを歴史はどれだけ見てきたことだろう。
今現在私は伴侶がおり、子どももいる。しかし今かつての様にポルノにふけるようになれば、この家庭関係が崩壊する事を強く確信している。もちろん世の中にはウチはそんなことはないという人もいるだろう。しかしそれはタバコを吸う人が全て肺がんになる訳ではないからと言って、タバコは全く危険ではないと言っているに等しい事ではないだろうか。私は妻がポルノや性風俗にふける夫を好ましく思う状況を想像する事は出来ない。
家庭は人間生活の最期の拠り所である。厚労省が実施しているストレスチェックシートがあるが、外部の環境で強いストレスを抱えていても、家庭が安らぎの場であれば高ストレス群にはならない。逆に家庭環境が荒れ果てていれば、人は自ずと強いストレスを感じる様に出来ている。
貞潔の律法は良い夫婦関係を保つ極めて大事な戒めであると私は強く感じている。そしてそれこそが、私達が幸せを得るための大事な一歩なのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?