去りゆくものへの餞──『鎌倉殿』33回。

大河ドラマではときに、はっと目をひくような役者さんに出会う。例えば『平清盛』の窪田正孝さんだったり、『龍馬伝』の佐藤健さんだったりする。さかのぼれば、『毛利元就』の森田剛さんも私にはそうだ。
『鎌倉殿の13人』では、頼家役の金子大地さんがそうなった。私にとってはこれまで、歴史の教科書の文字の並びにすぎなかった頼家が、実に切なく、愛おしく、立体的に浮かび上がった。最後、善児に太刀を抜いた姿は息をのむほど気高く美しかった。

『愚管抄』という史料では、頼家はかなり凄惨な殺され方だったと伝わる。ただ鎌倉時代のことなので、それが嘘か本当かは確かめようもない。『吾妻鏡』もそうだけれど、史料に残されていることとと実際に起きたことが必ずしもイコールではないことは、頭の片隅に置いておかないといけない。
『鎌倉殿』ではおおむね、人物の最期は史料に沿っていると思う。しかし頼家の最後は、大胆な創作だった。猿楽という雅な空間を用意し、泰時という幼馴染をそこに据える。これらの「粋な創作」はわずか23歳でこの世を去った頼家への、製作陣からのはなむけだったように感じられ、個人的にはとても良い創作だったのではないかと思う。
惜しむらくは、ラストの善児のくだりが少し、くどかった。トウのセリフは「この時を待っていた」だけでも良かったと思う。とどめを刺すところも匂わす程度におさえ、そのぶん、もう少し頼家に尺を割いても良かったのでは。善児はひっそりと裏稼業をこなしてきた人物なので、ひっそりと送り出したほうがしっくりくる。このへんは逆に、製作陣の欲が出てしまったかもしれない。もう少し、頼家にフォーカスしてあげたかった。


本編に話を戻すと。
作中、頼家の父・頼朝は「万寿(頼家)の守り神となるように」と義時の息子に「金剛」の名を授けた。その後も頼朝は、万寿に「金剛を大事にしろ」と伝えている。が、長じてからは頼家は泰時を遠ざけてしまう。以来、33話までふたりが顔をあわせるシーンは描かれなかった。
頼家は時房に、「鎌倉殿のためと言いながら、みな、腹の中では己の家のことしか考えていない」と言った。頼家の数々の言動の根っこには、これが常にあったのだろうと思う。事実、宿老が13人になったのも派閥争いの結果。誰も頼家のことを考えてはおらず、頼家はそれを敏感に感じ取っていた。だから、力でねじ伏せようとする。安達景盛の妻を奪おうとしたのも、御家人に対する力の誇示があったのだろう。が、頼朝のもとで鍛えられた御家人たちは、19歳の若者にどうにかなるほど容易くはなかった。何より、母・政子が目を光らせている。
病に倒れたタイミングも間が悪かった。目が覚めてみれば、信じたい、共に歩きたいと願った妻が殺されている。もうひとり、信頼を寄せていたはずの義時によって。
ものごとが好転するタイミングはいくつかあったのに、それらはことごとく頼家の手から溢れおちていった。哀しいかな、頼家自身の手で逃してしまったものもあった。その象徴が、守り神であったはずの金剛(泰時)を遠ざけてしまったことのように思う。

その泰時は、修善寺まで駆けつけ、頼家に「逃げてください」と懇願した。
そこには、北条の家どころか泰時自身の保身すらもない。だから頼家は、泰時が北条の家のものにも関わらず会ったのだろう。ましてや頼家にとって泰時は、かつて傍から遠ざけ、「頼」の一次も奪った相手。それでもただ一心に、頼家に「生きろ」と言ってくれる。
『鎌倉殿』でここまでの「無償の忠義」は、頼朝と安達盛長だけだった気がする。
泰時は頼家が望めば、彼の忠実な金剛であり続けたと思う。頼家にとって、そのことに気づいたときにはもう、遅すぎた。ただ、泰時が最後まで自分の「金剛」でいてくれたことは、せめて、頼家の武家の頭領としての尊厳を守ってくれたはずだとも思う。


それにしても以前、「わかってあげることも大事」と頼家のことを言っていた時房があっさりと頼家を見限っているあたり、その「軽さ」はパパ・時政譲りなんだろうか、と思ってしまう。
この回では、時房を通じて義時の孤独と苦悩も描かれた。
ただ私は、いまだに義時のめざす鎌倉が見えない。「鎌倉あっての北条」がいつの間にか「北条あっての鎌倉」にすり替わり、源氏嫡流にもさほど執着がない。「禍根となる芽を摘む」ことを理由に一幡の命にはこだわるのに、善哉はそのまま。じゃあそれは比企を滅ぼすことが目的だったからと思えば比企の出の妻(比奈)とはそのままでいいと思っている。非情なのか甘いのかよくわからない。
三谷幸喜さんは義時を「現実主義者」と評していて、なるほどそのとおりだと思ったのだけど、私にはそれに加えて「場当たり的」に見えてしまう。問題が起きたら対処する、また問題が起きたら対処する、その繰り返しで、「鎌倉幕府の運用を安定させるにはどうしたらいいか?」という長期的ビジョンがない。とりあえず幕府にとって邪魔な存在は殲滅だ、としかなっていないから、そこここに禍根の芽を残してしまっている。
義時はどうしたいんだろう。
それとも、どうしたいかすらわかっていないんだろうか。
でも、人間ってそうだよな、そんな先のことなんかわからんよな、という気もして、つい、義時の心情に目を凝らしてしまう。非情な決断をしながら、悪になりきれない義時。

そもそも頼家が修善寺に追放されることになったのも、時政とりく(牧の方)が全成を焚きつけたことが遠因。全成といいせつ(若狭局)といい、せつとの間の一幡も含め、頼家が少しずつ心を開きかけた相手が次々と死んでしまったのは、北条家のせい。北条家、なかなかの悪(ワル)。
それもこれも、「勝つためならなんだってするんだよ!」という時政が象徴するような、場当たり的万歳な北条の血の濃さ。なので、時房だとてあっさり頼家を見限る。唯一「承服できない」と抗い続ける泰時は、性質が北条よりも母の八重寄りなのかもしれない。
前回の32話、泰時が義時に「おかしい」と詰め寄るとき、首を小さく2回傾げる。直感で「おかしい」と思っていても、まだそれを上手く言葉にできない。でも言わずにはおれない、彼の若さ。坂口健太郎さんが上手い。
目の前で頼家を喪った彼がこれからどんな経験を経て後世に名を残す名宰相となっていくのか。そこには必ず、父・義時との関係があるはず。『鎌倉殿』の終盤は、そこも見所になるのかもしれない。



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