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『虎に翼』と『光る君へ』──無自覚な傲慢さが世を切り開くのか。

(注)かなり辛口評になるので、この2作品のファンの方はここで「回れ右」です。 本題。 期せずして同時期に、私はこのふたつのドラマから離脱することを決めた。決めたというか、チャンネルを向ける気持ちがついに萎えてしまったということ。 そして期せずして、離脱の理由は似ている。 いずれも、主人公にまったく共感できないことなのだ。   『虎に翼』の寅子は世界は自分を中心に回ってるタイプの傲慢な性格で、『光る君へ』のまひろ(紫式部)は教養はあるものの知識に溺れるタイプの浅慮な人間である

    • 『光る君へ』ここまでの雑感。

      すっかりご無沙汰してしまいました。 昨年の『どうする家康』は、途中何話か脱落しかけましたが、なんとか最終話まで見届けました。最後まで、「製作陣が描きたい何か」のためにだけ人物が存在したなあという感じ。面白い試みや表現は確かにあったのだけど、それらは点々と点在するだけで一本の線にはならなかった。もったいなかった。 今年の『光る君へ』は、放送が始まって4ヶ月経ちましたが、今のところ離脱する理由もなく、惰性で見ている感じです。ちょっと言い方が悪いですが(汗) もともと私は平安時代

      • マイノリティを描くということ。

        『どうする家康』、なかなか評価がしづらい。 意欲作であることは認める。挑戦していこうという熱意も感じる。ただそれらは作品へ昇華できなければ意味がないのでは、という思いがどうしてもつきまとう。 前回までの一向一揆編には、吃音の家臣が登場した。しかし彼が吃音であることは、物語上、特に意味は持たなかった。 彼が「当たり前にそこにいる」こと、その彼の吃音を「誰も疑問に思わず受け入れていること」も、新しい取り組みではあると思う。しかし私からすれば、「わざわざ登場させたからには意味があ

        • 史実と創作のはざま。

          『どうする家康』への意見をネット上で覗き見ると、「史実と違う」という意見が散見され、それに対して「大河なんて史実と違うことはいくらでもある」という反論を目にする。 たとえば去年の鎌倉殿でも、頼家の散り際も重忠と義時の乱闘も史実にはないことだし、泰時と三浦義村の娘がずっと夫婦関係でいるのも史実にはない。なんなら義時には側室がいたけども、『鎌倉殿』の義時は八重さん一筋の純愛系だし人生後半においては恋愛めんどくさい子どもたくさんいてもめんどくさい、というタイプでどんどん人間関係が(

          家康、学ぶのは「今」じゃないのか。

          『鎌倉殿の13人』の時代考証を務めた木下竜馬さんは、公式サイト(この2月7日に閉鎖)で「当時の人間の感情を復元するのは難しい」と仰っていた。とても興味深いお話だったので、勝手ながら書き起こして手元に残しておいてあります。 それが以下。 ──歴史学って吾妻鑑とか古文書みたいなのがあって、そこからものごとを復元していくんですけど、人間の内面とか人柄ってかなり難しいんですよ、どうしても復元しきれないんだろうみたいなところがあるわけです。いわんや、このときこの人どう思ってたんだろう

          家康、学ぶのは「今」じゃないのか。

          『どうする家康』どうなる。

          今年の大河『どうする家康』がスタートしてひと月と少し。まだ、評価がしづらい。出てくるキャラクター、演出、脚本、すべてが私には過剰なてんこ盛りである。言うなれば、スポンジの何倍もの生クリームがデコレートされたケーキみたいなもの。一歩間違うと胃もたれを起こしそう。 あくまでも、私には、である。 前回の服部半蔵と本多正信の登場回について考えた。この回、半蔵率いる服部党の顛末が主で、主人公の元康(のちの家康)はほとんど出番がない回であった。 この服部党、スタッフに『平清盛』のメンバ

          『どうする家康』どうなる。

          映画『ハウルの動く城』と鎌倉殿最終章(主に『鎌倉殿』のこと)。

          昨日、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』を地上波で放送しておりました。好きな映画ではあるんですが、解釈の難しい映画というか、妙に釈然としないところが残るというか、そういう映画でもあるなあと、前から思っていました。 それで、youtubeで岡田斗司夫さんの解説動画を見てみました。この方の『千と千尋』の解説動画がすごく目から鱗で、もちろん宮崎駿さんの意図が本当にそうなのかはわからないところもあるんですが、それよりも宮崎駿監督の映画に、表層的な印象だけではなくその裏側には論理的に読み

          映画『ハウルの動く城』と鎌倉殿最終章(主に『鎌倉殿』のこと)。

          『鎌倉殿の13人』─ちょっと贅沢な望み。

          『鎌倉殿の13人』において、好きな回をあげてくれと言われたら、私は以下の3話を真っ先に挙げます。 ・第23話『巻狩』 ・第33話『修善寺』 ・第39話『穏やかな一日』 私は日本史のなかでも鎌倉時代〜室町時代が昔から苦手で、鎌倉幕府を開いた人物として頼朝のことは知っていても、その子である頼家や実朝へのイメージはほとんどありませんでした。いや、むしろイメージ以前の問題……ひどい歴史感。 そういう意味では、頼朝が死んだあとの『鎌倉殿』はどうなるんだろうと密かに思っていました。ひと

          『鎌倉殿の13人』─ちょっと贅沢な望み。

          キャスティングの妙──『鎌倉殿』48回

          凄いラストシーンだった。こればかりは見てくれとしか言えない。ただし、一年見続けた先にあるご褒美のようなラストシーンでもある。安易に「見ればわかる」とも言えない。そんな余韻に今も頭がぐるぐると考えている。 小栗旬さんと小池栄子さんは、義時と政子としてそこにいて、このふたりが48話かけて積み重ねてきた歴史と関係が、まるで雪崩を起こすかのように結実する。とにかく、この名優ふたりの数分間は映像にてじっくり堪能するのが一番だと思う。 私は後半、この物語を「父と子」にフォーカスをあてて

          キャスティングの妙──『鎌倉殿』48回

          『鎌倉殿』46話。

          実朝編を見ていて思うことは、結局のところ、頼家に関する始末のつけ方が、すべて尾を引いているのだなあということである。 鎌倉における絶対的主君は源氏であり、頼朝亡きあとは頼家だったので、少なくともあのとき、北条には「北条の都合で主君を強制的に排除した」という謀反の罪が生まれた。しかし義時も、誰も、このことに思い至らない。私が義時の行動に感じているもやもやというか矛盾は、おそらく全てここに帰結する。 義時の「身内にこそ厳しくしなければ、ほかの御家人に示しがつかない」の本質は、「身

          『鎌倉殿』46話。

          父と子、前進す?──『鎌倉殿』42話

          義時の行動原理がどこにあるのか、ずっと考えてきた。なんというか、彼の言動からはどうにも、目指す鎌倉の姿が見えない。 うーん。困った。 今回、実朝のそばにいる泰時は、義時に「どの立場でそこにいる」と問われ、「父上は義弟というだけで頼朝さまのそばにいた。私は従兄弟として実朝さまのそばにいる」と答えた。 この言葉をひっくり返せば、「自分と実朝は従兄弟という血縁関係でも近しいところにいるが、源氏と北条はあくまで主従であって、血縁関係があるからそば(=権力に近しいところ)にいられるだ

          父と子、前進す?──『鎌倉殿』42話

          施政者の萌芽──『鎌倉殿』41話

          初回から登場した坂東武者がまたひとり、『鎌倉殿』を去った。 実朝のよき心の拠り所として、そして皆にも愛された「最後の坂東武者」。頼家が死に実朝の代になって、時代が急激に変わっていくなか変わらぬ愛嬌の義盛公に安心しつつ、同時に変われない彼が時代から取り残されてゆく寂しさのようなものもあった。 敬愛する鎌倉殿に「忠臣」と呼ばれたことは、彼の誉れになっただろう。その鎌倉殿を「お飾り」と割り切る義時に討ち取られたことの怨念と、どちらが勝るだろうか。 義盛の着物を身にまとい、「和田義盛

          施政者の萌芽──『鎌倉殿』41話

          時房と泰時──『鎌倉殿』40話

          トキューサこと時房は、ちょっとずるい男である。 今回の話を見てそんなことを思った。 「和田どのを嫌いな人間なんかいませんよ」 もっとも効果的なタイミングで義時に言う。が、それは事態がおおむね収束した(と思われている)タイミングである。頼家のときにせよ、今回の和田にせよ、時政の件にせよ、義時のくだした処罰に反対するわけでもないのに、ふと「私は両方に寄り添ってますよ、本当はね」感を出してくる。 ちょっとずるい(笑) もともと、ちょっとわかりづらい人物ではある。愛嬌はあるし、人当

          時房と泰時──『鎌倉殿』40話

          和歌と鎌倉──『鎌倉殿』39話

           全編を通して、まるで和歌の世界をのぞいているような回だった。  史実でも和歌に秀でていたという実朝は、このドラマのなかでは泰時に淡い慕情を抱いていて、その気持ちをそっと和歌に忍ばせ泰時へ贈る。しかし坂東の武者の子である泰時には、歌の素養がまだ備わってはいない。「返歌を楽しみにしている」と主から言われ、なんとか応えようとするが頭を抱えるばかり。それを、従者の鶴丸は呆れたように──でもちょっと楽しげに──見ている。  思うに実朝は、泰時に和歌の素養がないことはわかっていて、そこ

          和歌と鎌倉──『鎌倉殿』39話

          対話──『鎌倉殿』38話

          義時がやっと、父の懐に飛び込んだ。それが、今生の別れというときにいたってようやく、というのが切ない。 頼朝のそばで政に関わるようになってから、義時は時政に、「時政の子」として心を開いたことがなかったような気がする。それもこれも、人の心に深く立ち入ることをしない=自分をさらけ出すことをしないという、義時の性質が起因しているように思う。それを前回は「他者に対して淡白」と書いたけれども、多分、さらけ出すことによってそれまでの関係が壊れてしまうことを彼は恐れているのだと思う。基本、人

          対話──『鎌倉殿』38話

          「最愛」の意味──『鎌倉殿』37話

          義時はどちらかというと、他者に対しては淡白なところがある。面倒臭いことには立ち入りたくない、という性分ともいえるだろうか。時政への「気のいい父ではあるが政の才はない」ところとか、継母りくの野心むき出しのところとか、ちょっと釘は刺してみるもののそこでやめて、あとは対処療法に徹する。 基本的に、「そこに何か問題があっても表面上はみんな上手くやっていければいいなあ」という、揉め事は苦手な、のんびりした気質の人なのだと思う。だから、人間関係が表面上、上手くいっていれば、そこに底流する

          「最愛」の意味──『鎌倉殿』37話