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包丁供養

 十月上旬の夕方であった。豚肉でピカタを作ろうと厚みのある肉をまな板に置いて包丁の背で叩いていると、柄がグラグラしてきた。
 どうしたのだろう?と軽く持ち上げた途端、刃が床に落ちた。
 柄を見ると、刃の根元を止めていた金具が折れている。落ちた時の衝撃で刃先も少し欠けている。
 ああ、とうとうお釈迦になってしまった。十年前にホームセンターで購入し、長年愛用していた包丁。
 ここ数年はさすがに切れ味が鈍っていたが、毎日使う包丁を「切れなくなったから」と安易に買い替える気になれず、せっせと研いで使い続けていたのに。
 けれど、感傷に浸る時間はない。仕事を持つ主婦の夕食作り。気を取り直し、三年前の母の日に娘がプレゼントしてくれた高級包丁を箱から出して洗い、調理を再開した。
 豚肉の筋を叩いて伸ばし、下味をつけ冷蔵庫に入れると、下ごしらえを無事に終えたからか包丁のことが気になり始めた。

「不吉な出来事の暗示? もしかして縁起が悪いことなの?」
 敷地内同居で仲良く暮らしてきた義母が他界して間もない時期だったこともあり、これ以上の不幸は…急に落ち着かなくなった私。
 急いでパソコンを立ち上げ、インターネットで検索してみた。
「包丁・折れる・刃が欠ける・不吉」と打ち込むと、思いがけず「単なる劣化である」「10年以上使っていたなら大切に手入れしたもの、潔く処分しましょう」「包丁が壊れる夢は不吉の前触れという説があるが、実際に経年劣化で壊れたなら関係ない」など、私の不安を拭う記事が多くて安心した。
 更に色んな記述を読み進めると「処分する包丁はきちんとご供養を」というページを見つけた。
 すると今度は「ご供養をしないと祟られるのだろうか?」と別の不安が生じた。なんと小心者なのだろう。
 一度「包丁供養」という文字を目にすると、それが必要だと思えてくる。    業者にお願いするのが一番安心できるのではないかと、配送業勤務の従弟に聞くと「刃物は送れないんだよね」との返事。
 こうなると、どうしてもこの包丁をご供養する方法が知りたくなった。
 そこで親戚であるお寺の住職、CにLINEを入れ、聞いてみるとすぐに電話がかかってきた。
「どうしたの、包丁、壊れたのか?」
「うん、豚肉の筋を伸ばすのに叩いていたらポキッと柄から刃が落ちて」
「怪我は?」
 おっちょこちょいの私をよく知っているCの質問は当たり前であった。ご供養の仕方を聞いているのにそこを心配されるのが少し残念だったが、怪我はしていないと言った。
「そうか。じゃ自分でできるご供養を教えてあげるよ」
 Cに教えてもらった通り、私はキッチンペーパーを数枚出し、その上に欠けてしまった刃を置いてお酒とお塩をかけた。そこに柄を重ね、再度お酒などをふりかけて包み、輪ゴムで止めた。
 そのまま半月ほど、この包丁が活躍した台所に置いて、その後自治体指定に従って燃えないゴミとして出せば良いとのこと。
 Cは「肉や魚を調理して食べるのもある意味『殺生』だからね。昔の侍も刀が折れた時は同じように供養をしたんだよ」と言っていた。
「ええっ? 私、人なんか斬ってないのに」
 笑いながら言ったが私はよく自分の指も切る。それも殺生になるのだろうか?
 新しくおろした包丁はセラミック製で切れ味もよく、使い勝手がいい。
 Cに教えてもらったご供養を始めて一か月近くが経つ。キッチンペーパーに包まれた包丁の刃と柄は、台所の蛇口の横に置いたまま。
 不燃ゴミ回収日も近づいてきたが、十年もの間家族の食事を作るためお肉やお魚、野菜、果物などをせっせと切ってくれた包丁を捨てる気持ちになれない。
 そろそろ捨てなきゃ、と考えながら、サラダ用の胡瓜を切っていると左の親指も一緒に…。
 絆創膏を貼りながら「これはもうご供養が終わったお知らせか」と思い、不燃ゴミの水色の袋に厚紙で包んだ包丁を入れた。


※数年前に文章教室に提出したエッセイです。
 この作品はその後、近隣町村で毎年発刊している町民文芸誌に寄稿させていただき、日の目を見ました。
 ちなみに写真は作品中に出てくる「折れた包丁」実物です。

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