「死にたい」って、誰に言えばいいんだろう?
あ、いや、まだ死なないですよ。安心(?)してください。
口癖のように「死にたい」「死にたい」といってしまう私のような人間が生理的に嫌いな人も少なくないことでしょう。ゴメンナサイね。
「妻」もそう。
彼女が一番の「被害者」だったはずだ。だから私は家を追い出された。
「死にたい」と、妻に言ってはいけない。妻に言ってはいけない。妻に言ってはいけない。……。
だけど、カウンセラーの「もじゃ」に言っても、
「そっかぁ。死にたいって思っちゃうのかぁ」
「死ぬ場所も決めてるんですかぁ」
といつもの人吉弁で言われるが、最後には、
「でも、死んじゃダメだよ。死んでも何も良いことないよ。」
とか言われてしまう。なんじゃ、それ…?
学生の頃付き合っていた彼女は、
「私、今、こじかさんと一緒に死んだっていいよ♪」
と笑いながら話してくれた。昨日みたいな濃い青空の下でも。
私は彼女のことがとても好きだった。
とつぜん彼はうつむいてしゃがみ込んだ。
「えっと、お腹痛い? だいじょうぶ?」と七森。「ちょっと横になる? 病院いく?」
そう聞きながらも、返事が返ってくるまではなにもできそうになかった。少しして、「大丈夫です」と彼がいった。
「おれは、大丈夫なんで」
なにかまいってしまっているんだ、と七森は思った。自分と彼を重ねた。こういうときの「大丈夫」って、「大丈夫」じゃないと思うから、七森はいった。
「つらいことがあったなら、話を聞くよ。話を聞かせて? 僕もきみに話すから。ひとに話すのがまだしんどいなら、ぬいぐるみが話を聞いてくれる。みんな、やさしいんだよ」
やさしすぎるんだよ、白城は思う。傷ついていく七森と麦戸ちゃんたちを、やさしさから自由にしたい白城は、ぬいぐるみとしゃべらない。(『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前粟生/2020年/河出書房新社/p.102)
自殺願望のある若い子が、SNSとかで同じようなことを呟いてる人と出会って、一緒に死んじゃったり、片方だけ死にきれずに生き残ったり、あるいは騙されて殺されちゃったり、そんな事件があるけれど、そりゃぁ、
「うん、一緒に死のうよ」
って言ってくれる人としゃべりたいよね、って、思うよ。(でも、私は結局「もじゃ」のように説得力の無い言葉で引き止めようとしちゃう。)
「幸せそうな女性を見ると殺してやりたくなった」
って、こないだの小田急線の事件。
毎日、人のnoteを見てるとさ、恋愛とか家族とか仕事とか病気とかでいろいろと「悩み」を抱えている人ばかりで(って、でも、それでも「幸せ♪」なのかは知れませんが…。σ(^◇^;))、とにかく、
「「幸せそうな女性」とか簡単に言うなや!」
「お前だけが、ひとりで世界の不幸を引き受けてるみたいなこと抜かすな!」
と思ってしまうのです。(と書きながら、ひょっとするとこれを読んでくださっている方の中には、「こじかさん、あんただってそうやん!」ってお思いの方もおられるかも知れない。でもね、たぶん違うんですよ。私は、他の方たちもみんなそれぞれに「悩み」を抱えていることは理解しているつもり。そして、自分だけが一番不幸だなんて思ってないつもり。ただ、そんな苦痛に対する耐性が弱いんですよ、私は。だから死にたくなる。それだけのこと。甘えですな、要は。)
…と、ここまで書いているところで私の短歌仲間(?)から、「今朝のNHK短歌の受賞作が良かったから」と言って知らせてくる。
全身できみを抱き寄せ夜だった
きみが木ならばわたしだって木だ(大森静佳さん)
こんなステキな偶然がときどきあるから、なかなか死ねないのです♪