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猫先生へ。(3)

(3)だったっけ?
そして、こんなタイトルだったかなぁ…?
っていうか、そもそもこういう「シリーズ」を書いていたかどうかという記憶すら実はすでに曖昧…。ひどい話で申し訳ございません。(T_T)

これが(3)だとして、(1)(2)が何を書くためのものだったのかもすっかり忘れてしまったのですが、それでもとにかく、猫先生に(たぶん)その(3)(くらい)を書くつもりでそのままにしていて、しかも、そこで書こうとしていた内容(だけ!)は、しっかと覚えてたのです。

これ、実は昨日の(イッセー尾形氏の)話とか、一昨日の(散髪後の)話とかとも繋がるのですが、ひとことで言えば、私、

 「井上陽水になりたい!」

のです。

昔からそう考え、Facebookなどでもそんなことを書き、でも、誰からも理解されずに生きてきました。

井上陽水のベストアルバムを聴くと、玉置浩二や奥田民生が、あるいはPuffyのベストを聴けば、彼ら・彼女ら後進が、陽水先輩の前で極めて自由で、気負いの無い陽水氏が彼らの「良さ」を存分に引き出しているような印象受けるのです。そして、いざ陽水氏のパートが来ると、そこでは圧倒的な力量! 私も、こんな「先輩」になりたいなぁとつくづく思うのです。

「アメリカン・ユートピア」(トーキング・ヘッズ)のデイヴィット・バーンもそうです。このおじさんを信じて付いていけば絶対に楽しいことがあるのだろうし、自分を解放させることができる。そんなことを思わせることのできる許容量。
そして、昨日のイッセー尾形氏にしても、もう、この、閉塞した時代の5歩も6歩も先を飄々と歩んでいるような印象がするのです。(そんな彼が漱石に注目したいうのは然りだと思います。)

で、私もそんなアラ還になりたいのですけれど、こないだ散髪した後の人相は…。(涙)
まだまだ修行が足らんのですな。

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アラではありませんが、今日の晩ごはんです。