黄色いズボンの男のひとから得た教訓とフェルトのルームシューズ
このフェルトのルームシューズに出会ったのは、もうかれこれ30年前になります。
当時、冬休みになると南チロル・アルトアディジェ州の山で休暇を過ごしていました。
第一次世界大戦までオーストリアーハンガリー領だったこの地域に住む人たちは、見るからにドイツ系タイプで、背が高く、彫刻みたいに堀の深い厳しい風貌の人が多く、30年前はほとんどの人がドイツ語を常用しており、イタリア語がうまく話せない人もたくさんいました。(現在は普通にイタリア語を話します)雄大なアルプスのドロミティ山脈の麓、色とりどりで、まるでおとぎ話に出てくるような中世の街並みが続きます。
イタリア人と聞くと、明るくオープンな人柄をイメージする人も多いと思いますが、この地域の人は、一般に表情や話し方も生真面目で、初対面の日本人と話しているような雰囲気です。
初めてこのフェルトのルームシューズを見た時のことは今でもよく覚えています。
宿泊していたホテルの人が、プライベートスペースで使用していたこのルームシューズは、フェルトの素材感が優しく温かそうで、赤や青の縁のベルベットがとてもおしゃれで、すぐ目に留まりました。自分がミラノから持ってきていた旅行用のスリッパがひどく味気なく見えて、私も欲しいな、と思ったものです。
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話はそれますが、ミラノはもちろん、イタリアのほとんどの地域で、玄関で靴を脱ぐ習慣はありません。特に伝統的な家庭では、家でもきちんと革靴を履き生活しています。スリッパを履くのは寝る前だけ。
ちなみに、我が家はコロナ禍前まで室内でも靴履きでした。私は、他人がいない限りスリッパを履いていますが、来客時は靴に履き替えます。スリッパのまま客を迎えるのは、ねまきで人を招き入れるみたいな感覚なのです。(コロナ禍で、家族もスリッパを履くようになりました。イタリアでもコロナがきっかけで習慣を変えた家庭は多いようです)
イタリアの生活で、靴を脱ぐ状況というのはないのですが、ほとんどの在イタリア日本人は、母国同様に靴を脱いで生活しています。ここだから本当のことを言うと(ってかしこまるほど重大な告白ではありませんが)、イタリア人は、人の家で靴を脱ぐのが嫌で仕方ありません。イタリアでは、靴もファッションの一部。特に女性の場合は、7センチヒールでばっちり着飾ったのに、靴を脱いだらバランスが崩れちゃう、なんてことになりますよね。
一度、日本人のお宅で、イタリア人女性がベルボトムのズボンのすそを折り上げていて、思わず微笑んでしまいました。よほど高いヒールを履いていたのでしょう。私も、日本人のお宅に招待される時は、靴を脱いでもおかしくない服を着るようにしています。
日本では、自宅はもちろん、旅館や料亭や寺院、時にはオフィス、地方の博物館等でも靴を脱ぎ、スリッパに履き替えますが、私の知り合いのイタリア人ほとんどが、スリッパを履くのを嫌がります。他人が使ったスリッパを履くのが嫌なのです。
靴下を履いていてもイヤ。夏で靴下を履いていない時は、もう絶対にイヤ。
人の下着をちょっと借りる、って感じかもしれません。
というわけで、私の連れ合いは、日本ではスリッパを履かず、靴下または裸足で歩きます。
「あっ、どうぞ~、その外人さん、スリッパお持ちしますよ~」旅館で親切な仲居さんが、スリッパを足の前に置いてくれたりすると大変。「あっ、ありがとう」と上ずった声をあげ、まるで他人の下着をはくようにギクシャクとスリッパに足を入れ、人がいなくなったとたん脱いでしまうのです。
親切な日本人の皆さん、スリッパを履いていない外人がいたら、放っておきましょう。
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さて、話がそれてしまいましたが、そんな「靴文化」のイタリアでも、アルトアディジェ地域では、家では靴を脱ぎスリッパを履きます。友人の家に呼ばれても靴で室内に入るのは失礼、と日本同様の習慣があります。
山のホテルのオーナーが履いていたフェルトのルームシューズ。
「それ、とても素敵ですね」と言うと、その地域で作っていて、素晴らしい品質だから、と勧められ、どこで買えるかも教えてくれました。
翌日、うきうきと買いに行きましたが…びっくり!
頑丈そうな山の靴が並ぶショーウィンドーの隅に置いてあったフェルトのルームシューズは、立派な靴と間違えたのではないかと思うほど値段が高かったのです。
スリッパには高すぎる…残念だけど諦めました。
ミラノで、毎朝、スリッパから靴に履き替える時、そして、毎晩、靴を脱ぎ味気ないスリッパに履き替える度に、山で見たフェルトのスリッパを、ベルベットの光沢を想い出し、日が経つにつれて、取り返しのつかない失敗をしたような気がしてきました。
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まだ独身だったころ、日本から遊びに来た友達とローマで数日を過ごしました。ある朝、一足先にロービーに降りてソファーに掛けていると、こちらに向かって歩いてくる男のひとが目に入りました。
確かな足取りでこちらに来るその人を見て、なぜかドキッとしました。
「あっ」
栗色の髪に澄んだ知的な目。私の大好きな優しそうな甘い顔。真っ白いシャツに黄色いズボンを履き、背筋をピンと伸ばし歩く彼は、目が合うと、ふっと微笑み、なんと私の隣のソファーに掛けたのです。
「ご旅行ですか?」と英語で話しかけられ(ずしんと心を打つ素敵な声)、「はい、ミラノに住んでいます」とつたないイタリア語で答えると、その男のひとは、世界中の小川のせせらぎがそこに集中したかのような爽やかな微笑みを浮かべて、私の瞳をじっと見つめました。
その途端、私の心臓は自衛隊の起床ラッパのように大きく鳴り響き、同時に、気をつけの姿勢で立ち上がっていました。
「Arrivederci(それではまた)」という自分の声を聞きながら「おいおい、なぜ逃げ出すの」と心の中の声。男のひとは、ちょっと驚いた表情で、とても残念そうに(と私には見えた)「Arrivederci」と私の瞳じっと見つめながら答えました。
後ろ髪を引かれる、という表現を考えた人は、その時の私と同じような経験をしたのだと思います。まさに、後ろに引き戻らせそうな力を感じながらその場を離れたのでした。
何十年たっても覚えているあの朝の情景。私が立ち上がった時の男のひとの表情。あの時、きちんと大人の女として彼と話していれば、もしかしたら、私の人生は変わっていたかもしれない。
(もちろん何も変わらなかった可能性の方が大きい)
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その数年後、味気ないスリッパを見ながら、あのフェルトのルームシューズを、ベルベットの光沢感を想像しながら、ある日ふと、あの黄色いズボンの男のひとを想い出したのです。
二の舞を演じるなかれ。(人生の失敗から学ぶ教訓)
翌年の休暇で山に行った時、迷わず赤いベルベットのルームシューズを購入しました。
それ以来、ミラノが猛暑となる7/8月を除いて、このルームシューズをいつも愛用しています。ホテルのスリッパのペラペラ感が嫌で、旅行にも持っていきます。
セナレス渓谷で育つ地元の羊毛を使用し、石鹸と水と圧力で作られるこのルームシューズは、驚くべき品質でほぼ永遠に保ってしまいます。底と甲の部分も縫い合わせるのではなく、フェルト化する際に一体化しているので型崩れもしません。
それでも「もうそろそろ変えようかな~」と思う時は来るので、7/8年毎に新しいものに交換し、現在使用しているのは4代目です。
若き日の苦い経験、黄色いズボンの男のひととは縁がなかったけれど、このフェルトのルームシューズとは一生付き合うことになると思います。
サイトが開設したら(4月中旬予定)、写真のルームシューズをお買い上げいただけます。
地域の羊毛から、水、石鹸、蒸気、圧力だけを使うエコロジーで伝統的方法で作られた、イタリアの美しい日用品です。一度ご使用をいただいたら、その品質の素晴らしさをお分かりいただけると思います。
(このルームシューズを作る職人さんの物語は、また追って書きます)
ご興味のある方は、商品案内をお送りしますので、お気軽にご連絡ください。
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