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工藤あゆみさんのイラストからイタリアのカフェまで

「Memories of Italy - イタリアの想い出」(30年以上イタリアに暮らす私が、生活のなかで出会った「美しいふつうの日用品」を紹介するコレクション)の準備を始めた時、すぐに、イタリア在住の美術作家、工藤あゆみさんのことを思い浮かべました。

あゆみさんの事を初めて知ったのは、たしか「はかれないものをはかる」(2018年・青幻社)が刊行された時だと思います。

人かどうぶつかよくわからないキャラクタが、俳句くらい少ない言葉で、人の心の奥底にある、明るいものや暗いものをさらっと引き出すあゆみさんの作品をみて、ドキッとしました。

アートは、ドキッとするかしないかだと思うのです。

恋と同じ。
どんなに理性と道理にしたがっても、ドキッとしない時はしないし、
どんなに理性と道理にしたがっても、ドキッとしてしまったらもう後戻りできない。

その後、ご縁があり、あゆみさんのご主人の彫刻家工藤文隆さんにお会いしました。
文隆さんは、人の中の、きれいな部分がするっと外に出てきたみたいな、美しい彫刻作品をつくられます。

そんなお二人と、いつか何か一緒にできれば、ずっとそう思っていたのです。

「Memories of Italy - イタリアの想い出」が縁結びとなって、そんな念願がついに叶いました。

あゆみさんがこのプロジェクトのために描いてくださった「今日の愛が余ったら、貯めとこ」をイメージイラストに、「エスプレッソの香り」をコンセプトイラストに使用させていただくことになりました。

「今日の愛が余ったら、貯めとこ」は、ご紹介するコレクションの「貯金箱」のイメージからヒントを得て描いてくださったのではないかと思います。このサイトでご紹介する商品はすべて、私の想い出の小さな愛と、作り手の物語の小さな愛が重なったものばかりなので、「今日の愛が余ったら、貯めとこ」は、まさに「イタリアの想い出」にぴったりのイラストです。

そして「エスプレッソの香り」…
やっぱり、イタリアと言えばエスプレッソですよね。

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社会がグローバル化した今、イタリアでのカフェの習慣をご存知の方はたくさんいると思います。
でも30年以上前にイタリアに来た時、イタリアのカフェの飲み方は、私にはカルチャーショックでした。

まず、本場のエスプレッソの量の少なさと濃さには随分驚きました。(日本の某有名カフェのエスプレッソの半分から1/3くらいかな)
でも何より一番驚いたのは、飲み方です。

バールに入り、カウンターでカフェをオーダーし、目の前にエスプレッソが置かれ、それを飲んで、小銭をカウンターにおいて、外に出るまでの時間は、短い人で1分、長い人でも3分というところです。カプチーノをオーダーする人で30秒増し、ブリオッシュ(イタリア風クロワッサン)も頼む人で、さらに30秒増し。とにかく早い。

座る場所がない、又は座れても狭くて不便なバールがたくさんあります。(私の来た頃は、ほとんどのバールがウナギの寝床タイプでした)

コーヒーを飲むのは一種の楽しみで、ゆっくり味わうものと思っていた私に、イタリア人のカフェの飲み方は、まるで義務で果たす苦行みたいに見えました。
「何をそんなに焦っているのだろう?」

そんな私が、イタリア人顔負けの「イタリア式カフェ道楽人」になるまで、多分1年もかからなかったと思います。

最初に自分の変化に気づいたのは、日本から来たビジネスマンとバールでカフェをいただいた時でした。

カウンターの前に立ち、ビジネスマンの好みを聞きます。
「エスプレッソは本当に量が少なく濃いのです。ルンゴと言って少し量を多くしてもらえますよ?もしくは、マッキアートと言って、ミルクを少し入れてもらうことも可能です」
「ありがとう。でも普通のエスプレッソを試しましょう」

という会話をしている間に、私たちの後に入った客がもうカフェを飲み終わりかけています。

無事、私たちの前にカフェが置かれ、その約30秒後、私はカフェを飲み終わり、さて行くか、と思いながらビジネスマンを見ると、なんと、まだお砂糖を入れてくるくるとかき回しています。
その後、2センチくらいしかないカフェを数分かけて飲むビジネスマンの横でそわそわする自分に気づき、粗野な野蛮人になったような気がしたものでした。

イタリアに慣れ過ぎて、数年ぶりに日本に帰った時に驚いたこともありました。

数人でのビジネス昼食が終わり、ウェイターが「食後はコーヒーでよろしいですか?」と聞きました。
「うん、僕はコーヒー、はい僕も。私も。私も」と皆が一斉に答えました。

その時の、私の驚き。

イタリアでカフェを頼む時は、こんな風になります。
「僕はカフェルンゴ、縁ギリギリまでね。僕は、マッキアート。ミルクは熱くしすぎないでね。僕は、サンブーコのコレット。私は、ドッピオ。大きいカップに入れて」

カフェ1つにも、オリジナリティーを忘れず、他人には同調しないイタリアン魂。

イタリアで「郷に従って」生活していたら、食後はエスプレッソのみ(1分で飲む)、カプチーノは朝のみ(食後にカプチーノは飲まない)、食事をしながらコーヒーを飲むのは論外、アメリカ式の量の多いコーヒー(ちなみにイタリアではカフェアメリカ―ノと呼びます)はカフェとは違う飲み物…が習慣になってしまいます。

ただし、これはあくまでも「イタリア式カフェ」で、欧州の習慣というわけではありません。

欧州の中でカフェアメリカ―ノを飲む国は多いし、食事の後にカプチーノを注文する西洋人を見たこともあるし、食事をしながらコーヒーを飲んでいる人を見たことさえあります。ただし、彼らはイタリア人ではありえない。それは、食堂でご飯にお醤油かけている人や、みそ汁の中に白米を入れている人が日本人ではない可能性が多いのと同じに。

カフェの習慣と言えば、「カフェ・ソスペーゾ」が日本でも話題になっていましたね。
これは、ナポリの習慣で、後で来る誰かのために、カフェ代金を払っていくことです。もともと、ナポリ人は、寛容で気っ風がいいので有名です。しばらく途絶えていたナポリの習慣が、コロナ禍でまた復活したという話題を読みました。

話しはそれるけど、やはりカトリックの国イタリアで、寛容さというのは人間の価値としてとても大切なことなので、コロナ禍では、スーパーで「食品ソスペーゾ」(誰かのために少し多く買い物し、出口前の専用スペースに入れる)があり、たくさんの食品が入っていました。

「何だ、このせっかちさは」と呆れるほどカフェを飲むのが早いイタリア人ですが、そこは多様性のイタリアだけあり、「カフェ堪能モデル」もあります。
テラス席に座り、僕は(私は)リラックスしているのだ、というオーラを体中から放出し、新聞を読みながら(最近は携帯を見ている人も多い)1時間くらいかけてコーヒーを飲んでいる人です。

いつか、イタリアに来る機会があればぜひ確かめてほしいのですが(もちろん、暇を持て余していたらですが)「カフェ堪能モデル」は、普通3パターンに分かれています。

1. ヴォーグ風、かっこいい人 (私を見て!感が漂っている)
2. 大学の先生、インテリ風、鼻の低いところに老眼鏡(新聞最低3紙)
3. スポーツ新聞を読んでいるに違いない存在感あるおじさん(つんつるてんに、腕にタトゥ)

ちなみに、私は、朝30分早起きして、犬の散歩の後、バールで新聞を読みながらカプチーノを飲むのを習慣にしていました。コロナ禍で、そんな習慣まで断ち切られてしまいましたが。

お気に入りのバールに座り、足元の犬にブリオッシュをせがまれながら、カプチーノを飲むあの至福感。
紙の新聞を読むか、空(くう)を見つめてぼーっとするあの時間。
それは、何物にも代えられない貴重な時間でした。

なんで、そんなつまらないことが、と思われるでしょうが、それがイタリアンカフェの真の醍醐味で、多分その時の私は、あゆみさんのイラストみたいな表情をしているのだと思います。

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