母のいないこの世を生きる。

今年、母が亡くなった。
治療しにくい場所に居着いたがん細胞を
消し去れなかった。
希少がんと言われた。
2年弱の闘病の末、旅立った。

葬儀の日は、私の誕生日だった。

母は、快活な人だった。
ご近所さんに「どちらの娘さん?」と聞かれて名前を名乗ると
「あぁ、お母さん元気な方よね」とか
「明るいお母さんよね」とか
「面白いお母さんよね」とか
ご近所さんお墨付きの明るい人。
そしてとても優しい人だった。

苦労もたくさんしてきた人だった。
だから、人にも優しくなれたんだろうなと
娘という身近な立場から見てもそう思えるくらい
優しく温かく、元気で明るい母だった。

記憶の中には
母の笑顔、孫をあやす変顔
私を叱る怒り顔、必死で隠そうとする泣き顔
いろんな顔の母がいるけど
圧倒的に笑顔の母が記憶を彩っている。

私の初めての出産は
母にとって「初孫」との出会いになった。
それはもう、誰が見ても分かるくらいに可愛がってくれた。
長女はすっかりおばあちゃん子になり
私の2度目の出産で入院した時は実家に滞在し、
夫は広いベッドでひとり寂しく寝ていたそう。

そんな長女も、母を看取る時
未就学児ながら意味が分かっていて
「ばば、いかないで」と泣きながら看取った。

母はそんな人だった。

亡くなって半年以上経ち
遺品整理も殆ど済み
実家は、母の気配や明るさがなくなり
母の持ち物が減ったから家が広くなり
母によって手入れされていた庭は荒れ放題になった。
母の存在の大きさを改めて感じる。

残された実家の父と
未婚の兄妹。
母が居なくなって、何を感じているんだろう。
聞けないし、聞かないけど。

私はまだ「母のいない世界」を受け入れられていないけど
受け入れられるようになりたいと考えている。

母が生きているこの世に
母から生まれてきた私は
生まれてからずっと「母が生きている世界」を生きてきたけど
「母がいない世界」を
これからも生きていく。
まだ200日ちょっとしか生きれてないけど。
先は長い。

幸せになるよ。
お母さん、ありがとう。
大好きだよ。
あなたの娘に生まれて、本当に良かった。
たまには夢に
会いに来てください。

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