がむしゃらに、生きる。
2024年の2月に、母が亡くなり
ほぼワンオペの子育て、完全ワンオペの家事
人付き合いはご近所さんや子どもたちのクラス関連だけで
数少ない友達は疎遠になった。
そのくらい、家のこと家族のこと
それを取り巻く環境にしか目を向けないように生きた2024年。
ご近所さんや、母のママ友と
お母さんってこうだったのよ~とか
お母さんはこんな人だったよね~とか
こんなに母のことを考えたことはないくらい
母のことばかり考えていた。
自宅のリビングには
母の写真を飾り
子どもたちも、母が大好きだったから
毎日母に向けて絵や手紙を書く。
窓の外を見ると
母が歩いてた風景を思い出し
母に形見で貰った指輪を眺めては、後悔と感謝と
これからの不安な気持ちを巡らせる。
それも、自分の中で折り合いが付いたのか
窓の外に母はいない。
私が幸せに生きるのが母の幸せ。
(だって、私も娘の幸せが自分の幸せだもん。)
母を思い出すのが母の供養で
記憶の中に母は居てくれている。
そう思って、ここ1ヶ月くらい
気持ち的にも変化して折り合いがついた。
年始に、バラエティ番組かな?
八百屋を辞めるおじさんが
小さい頃にお母さんを亡くされたという話をしてて
「母ちゃんに褒められたくて頑張ったんだ」と
そう語る姿を見て、急に涙が出た。
大人になると褒められない。
年中無休の家事育児をしてもお礼なんて言われない。
社会人時代だって、役職があるんだから
これくらいやって当たり前。
仕事を部下に振っても、役職のある人がやってください
失敗は許されない。
できて当たり前。
そのおじさんも、そんなこと言ってた。
「当たり前」の家事育児をしているのを見てる母が
母だけが
いつも褒めてくれた。
一言余計で、よく喧嘩していた母が
「あんたは、本当によくやってるよ」
「あんたは、ちゃんと取り組めてて偉いよ」
お母さんに褒めてもらって嬉しかったんだ。
もう、褒めてくれるお母さんは居ないんだ。
お母さんの声はもう聞けないんだ。
そう思ったら、折り合いが付いたはずなのに
降り出しに戻ってしまった。
無理に折り合いは付けない方がいいんだろうけど。
そんな今日。
去年の1月7日は
母と最後に遠出をした日。
母の病院に付き添った。
県外だから車で片道2時間。
帰りに、疎遠だった親戚の家に寄り、
最後の挨拶をした母。
月に一度、
その病院に行っていて
計6回の通院、次の月で最後のはずだった。
次の通院は、もう出かけられない状態で
そのまま旅立ったから
1月7日が最後の遠出。
1月3日生まれの母が
先生に、歳とっちゃったよーって話してたのも思い出す。
来年は年女だから頑張らないとね、と先生が言うのを聞かないフリしてた母の顔も。
母の誕生日、最後の遠出の日。
年始は毎年思い出すんだろうな。
お母さん、元気にやってるかな?
こんなグズグズな娘でごめんね。
会いたい。会いたいよ。