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私の半生

初めまして、もっこです。ビジネス8年目を終えようとしています。大学院を出ているので、大学の同期たちは既に10年目…。30代という(いろんな意味で)一番脂の乗った大事な時期をどのように過ごすか考えてみた時に、これまでの自分の半生を振り返ってみることも大事なと思って、備忘録として書いてみようと思います。

幼少期

素麺を生業とする兵庫県の山奥で生まれるも、新宿・四谷で育つ。2つ上の兄を持ち、究極の反面教師でスクスクと成長。保育園のお遊戯会ではピーターパンとして空を飛び、小学校ではサッカークラブ、夏は水泳倶楽部、更に地元で野球チームに所属し、いつの間にかキャプテン。やりたい放題ではあったものの、この時からリーダーシップを執ることに目覚める。もの作りが好きで師匠はワクワクさん。

中学高校

中学でも野球は続けていたものの『プロへの壁は厚い』と覚知し、野球から引退。個人の鍛錬によって自身を昇華させるとの謎の決意により、高校から剣道部に入部。日々の朝練、夕練、素振り千本をノルマと科し、経験者を押しのけレギュラーに。先鋒・特攻隊長として都大会ベスト32まで導く。ちなみに中学では保険委員長、高校では生活委員長(風紀委員?)を経験。

大学受験

中学の時にアメリカの大学へ進学した先輩から話を聞き、インスパイアを受ける。ともかく『かっけぇじゃん』という理由から海外進学を決意。部活と両立をしながら、猛勉強。SAT(Scholastic Assessment Test)というアメリカの大学を受験する際のテスト(現地の学生が受けるようなテスト)で、1200点/2400点がアプライの基準だったものの、期限までに僅かに得点が足りず、断念。人生初の大きな挫折を味わい、打ちひしがれる。日本の大学進学に切り替えた直後、SAT1600点をたたき出し、大歓喜。『自分、出来る奴』という自信を得て、日本の大学に無事進学。

大学生活

四谷から八王子の大学まで2時間弱かけて通学。経営学部で経営・ビジネスを学んでいたところ、マーケティングに出会い、その面白さにのめり込む。学部屈指のマーケティングゼミに入室し、勉強に没頭。いつの間にかゼミ幹事を務め、海外志向の強いゼミのおかげで、中国、澳門、ベトナム、シンガポール、マレーシアなどへ旅する。部活はスポーツに疲れたため美術部へ。油絵・水彩・日本画・もの作りなど色々トライするも、最終的には陶芸に目覚め、陶芸歴14年となる。そして、いつの間にか200人を束ねる部長に就任。何とかこなす。

アルバイト

特にやりたいことが無かったため、大学1年時に派遣バイトに登録。派遣先は、叙々苑。ホールのバイトとして接客、品出し、掃除などを行う。1年後、派遣から直接アルバイトとして採用してもらい、バイト期間は6年に及ぶ。高級店に入ってよかったことは、高所得者層の人間と交わり、最高級の接客が学べたこと。他人に対する配慮、おもてなしの精神は今のビジネスでも確実に活きている。

大学院

東日本大震災で東京にいながら被災(家が半壊)し引っ越したものの、部屋が足りず家を追い出され、一人暮らしを始める。(もうちょっと遊びたい…)ではなく、『もっと学問と現場を繋ぐ研究がしたい!』との想いから大学院へ進学。広告論専攻の研究室に入ったが、小売業のマーケティング、消費者行動論などを研究テーマとして反吐を吐きながら研究に打ち込む(全然遊べない)。修士論文のテーマは『小売業のプライベートブランド戦略と高価格プライベートブランドに対する消費者の受容性』。難なく修了。

就職活動

研究をしながら就職活動に臨む。自身のマーケティングや経営学の知識を活かせるのでは?という考えからコンサルティング企業を志望し活動。しかし、就活仲間に『説明会に行くとプライベートブランドの付箋をもらえる』とのタレコミを受け、とある説明会に参加。のちに5年在籍することになる●●商会である。「街の電器屋さんのように中小企業を救う」「ITコンサルティング営業として社長に直提案」「やったらやった分だけ評価される」という話に惹かれ入社を決意。入社前研修の研修では、トップ3に入る。(なんだ、意外と社会人もやっていけそうだ)と過信は始まる。

新卒入社

入社して3ヵ月は軍隊のような研修を受ける。”合言葉の暗唱”の連続に衝撃。院卒で同期より2個上だったことから”ニコさん”と親しまれ、何だかんだ楽しく研修を過ごすも、研修終了間近に複合機を売る営業であることを知り愕然とする。配属されてからそのノルマと激しい環境(書けない)に打ちのめされ、人生2度目の挫折を味わう。そもそも社会人力が欠如しており、社会ではこれまでの経験が必ずしも生きないこと、最後は自分で何とかしないと誰も助けてくれないことを知る。

転機

複合機営業の限界(付加価値提供の限界)を感じていた時、手を挙げたところ組織の欠員も相成り、通信ネットワークグループに無事転属。ビジネスフォン、ネットワーク、回線、セキュリティ等、ソリューション営業が色濃い通信営業となり、開花する。見込み客を発掘し、毎日5件以上の提案書を作り、提案、受注、納品、その後のケアまで全てを行う。自分が好きな商材を自信を持ってクライアントに提供することの素晴らしさに気づかせていただく。精神的追い込みを受け、慢性蕁麻疹に苦しむも、1年で回復。そして、年間賞に食い込み、最短で主任昇格を果たす。勢いで家を買う。

転職

自信を持って提供していたソリューションであったものの、会社都合・営業都合の提案が蔓延していることに気がついてしまう。営業力、コミュニケーション力を活かすことができ、クライアントへ真の価値提供が出来る仕事とは…と模索する。そんな時に出会ったのが人材紹介業(エージェントからの紹介で知った)。企業と候補者を繋ぎ、採用・転職のお手伝いをするという話を聞いて、直感的にこれだ!!と思い転職を決意。当時の役員からは人身○○だぞと罵倒される。ただ、自分の直感は大事にするタイプ。

2社目

基本的に大手人財紹介企業は分業型と言って、RA(リクルーティングアドバイザー/法人営業)とCA(キャリアアドバイザー/個人営業)が分かれるが、両面型という双方を担当するスタイルの企業が存在する。両者の声、要望、ニーズを聞き、マッチングさせるところに真の価値提供があるという確信から、現職を選択。企業の採用支援、採用コンサルティングをしながら、候補者にもお会いして日々マッチングに奔走している。

趣味の話

話はビジネスから逸れるが、多趣味である。あらゆることに興味があり、手を出す傾向がある。野球、サッカー、バスケ、ボーリング、ダーツ、ビリヤード、競馬など、大抵のメジャーなスポーツや遊びなどを経験した。芸術活動やYouTube配信などクリエイティブなことも多々やってきた。その中でも、やはり趣味と豪語しているのは、BBQと陶芸である。BBQは昔から好きで独学でやっていたが体系的に学ぶためにBBQインストラクターの資格も取得した(只今上級資格獲得に向け奮闘中)。料理が好き、という事もあるが、何よりも『人と人の出会いの場』を提供できることが何より良い。BBQというコミュニティへの参加を通して、喜び、繋がり、お腹一杯になって帰ってほしい。また、陶芸が好きな理由は、非確実性である。ただの土を成形し、2度の焼きを経て、窯を開けるまでどういう結果になるのか予測が不能なところが、未知の可能性とワクワク感を増幅させる。人にプレゼントして喜んでもらえることも大事。ここら辺の趣味についてはまた別タイトルで書きたいと思う。

これからの自分

営業として成果を上げることは大前提であるが、事業作り、組織作り、マネジメントに舵を切っていきたい。齢32にして、ゼロイチの発想、組織構築力、マネジメント実績があからさまに足りないていない。50代では組織コンサルのスペシャリスト、40代では○○事業責任者になっていきたいと考えているので、もっと自分に負荷が掛かるタフな状態で成長していかないといけない。趣味同様、やりたいことは沢山あるが、着実に成果を積み上げ組織に貢献することを第一とし、組織と共に成長していきたいと考えている。ちなみに60代では、自分の陶芸教室兼小料理屋を開くのが目標であるからして、しっかりと潤沢な資産を蓄えておきたい。

最後に

ありがとうございました。


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