最期の向き合い方
大切な人が、この世からいなくなってしまうと知った時、あなたならどうしますか。
ゴールデンウィーク、
私は実家に帰っていました。
祖母の顔が見たくて、今までは何度も帰る度に祖母の施設に出入りして顔を見せて「あんた、知ってる。」と薄れていく記憶の中、私のことを少しでも思い出してくれる祖母を見て私も喜んでいました。
少し前から母が「もうおばあちゃん、あかんかもしらへん。」と連絡をくれていて、母は説明下手なので、とにかく危ないから顔を見せに帰ってきて!と私は言われていました。
仕事などの合間をぬっていけたら良かったけれど、少し距離もあったので私は久しぶりにこのゴールデンウィーク、実家に帰って祖母の顔を見に行こうかと思いました。
今までと私の感情が違ったのは、私の中に祖母と会うことに抵抗があったことでした。
どう危ないのか母に聞いたところ、もう食べ物も食べられなくなり、水も取れなくなってただ呼吸器をつけて息をしている状態だと聞かされたのです。
"意思疎通ができない" という危機的な状況の中、私の母はとにかく会いに行きなさい、と私を急かしました。
"生きているうちに会っておいた方がいい" という母の思いと裏腹に、私の中にいる私の祖母は、私のことを知っていると言い、「あんた綺麗になったねぇ。」と微笑んでくれる、背筋がシャキッとして髪の毛がふわふわとした、明るいおばあちゃんのまま置いておきたい、という気持ちがありました。
何十年と連れ添った祖父をなくしてから一人暮らしになり、徐々に"記憶" という大切なものを失ってきた私の祖母の中に、いつも少しだけ私の欠片があったことが嬉しかったのです。
私はそんな祖母が好きだったのかもしれません。どんな状況でも、どんな状態になっても 私は祖母を愛していると胸を張って言えるといつも思っていたのに、実際は危機的な祖母を見たくないと抵抗している自分に気がついてしまったのです。
明るく聡明な祖母のまま私は記憶を止めておくのか、それとも、どんな状況であれ温かい手を握ることが最善なのか、その選択を迫られたことがとても苦しかったのです。
先日、迷いながら祖母の部屋へ入りました。
意識があるのかないのか分からない状態の祖母を目の前にして、それでも私はまだ迷っていました。
今のこの状況で、祖母とどういう風に向き合ったらいいのか私は考えながら祖母の手を取りました。
「いつもこうやってクリームを塗って、おばあちゃんの肌をツヤツヤにしているの。」と言いながら父と母は体にクリームを丁寧に塗っていました。
私も祖母の左手をクリームで綺麗に塗りながら「おばあちゃん遊びに来たよ。おばあちゃん分かる?」と何度も声をかけました。
"温かい手"
それだけでなんだか嬉しくて、おばあちゃん は今頑張って生きてるんだと思うだけで、意思疎通が取れなくても、何かおばあちゃんが私に語りかけなくても、大好きな梅干しをもう作ってくれなかったとしても、ただ生きてるだけで嬉しいと素直に思いました。
生産性を求められる この世の中で、何者かにならなければいけないような気がして ずっと生きてきました。
本当はこうやって息をしているだけで、この温かい手で誰かを救っているのかもしれないと私は祖母の手を握りながら考えました。
少し迷いは晴れるような想いで、私は祖母に別れを告げて部屋を出ました。
今、祖母の部屋を出てから1日と少したちました。
母から連絡があり、祖母がお空へ旅立ったようです。
今も私は少し迷ったまま目頭を熱くして、考えを巡らせています。
生きてるうちに大切な人にできるだけ会うことや、大切な人の好きな姿を記憶に留めておくこと…ここに正解はありません。
私にとって どちらが良かったのか、今もまだ迷いつつ、祖母のところに行く準備をしながら、落ち着くためにこれを書いています。
これを読むあなたは、どちらを選びますか。
大切な人の最後をどう向き合いたいですか。
どうお別れをしたいですか。
どういう記憶で止めておきたいですか。
そんな話をいつか誰かと交わしたいのです。
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