見出し画像

ヴァルコネ大運動会〜ちったぁルールを守れ〜

「100m走は波乱の展開でしたが、気を取り直して次の種目に参りましょう!」
「種目は二人三脚よ。足はバンドで繋ぎなさい、外れたら失格よ。パートナーを探すにあたって種族の制限はないわ……好きに組みなさい」
100m走によって観客の熱気が高まった広場に、スクルドとヘルの声が響く。次の種目は二人三脚、パートナーとの息をどう合わせるかが重要となる競技だ。スタート前の選択が勝敗を決する可能性もある。

「では、選手の紹介に参りましょう!」
スクルドの元気な声と共に、選手たちが入場する。各々闘志を瞳に宿らせ、自分たちが頂点に立つ瞬間を既に脳内で描いている猛者達である。
「第1コースは天界最強の俺だ!」
これはスクルドの選手紹介の声ではない。やけに野太く、よく通る声である。
「ああっ!私が言う予定でしたのに!」
スクルドは遮られ悔しがっている。その姿を見ることもせず、豪快に笑っている男は、雷神トールだ。彼は先ほどの100m走で無様な姿を晒した為、挽回すべく出場を決定したようだ。
「さっきはASもLBも何故か出してしまったからな!今回は発動させずにスピードで勝負だ!」
トールはミョルニルをきちんと実況席に預けに来る。過去の失敗から学ぶタイプらしい。
「で、パートナーは誰なのよ」
「無論、俺と張れる者!戦の女神、スルーズ……」
「ウチと一緒に出んと!」
トールのパートナー紹介を遮る陰。彼と同じ金色の髪をした、機械の手を持つ元女神。シヴだ。彼女は今、トールの腕に絡みつき、離すまいと機械の出力を最大にしている。トールの腕がその異常な力に折れないのは、日々の訓練の賜物か。
「し、シヴ!?おれはお前とは出んぞ!スルーズと出る事になっている筈だ!」
シヴの勢いに若干たじろいだトールはすぐに調子を取り戻し、彼女を離そうと、その太い腕に力を入れる。だが、突き飛ばすような事はしなかった。万が一にもシヴを傷つける事のないよう、細心の注意を払っているようだ。シヴはその心を知ってか知らでか、ぐいぐいとトールに抱き着いていく。久しぶりに懸想する相手と触れ合えた喜びか、満面の笑みだ。
彼女はその顔をぐっとトールに近づけた。硬派なトールは「うっ」と呻くと、シヴの顔が近づいた分、後ろに下がる。
「スルーズに相談したら、ええよって言うてくれたもん!」
「なにっ!」
トールがスルーズを探して目線を動かすと、観客席にその姿を見つけた。彼女は何故かサムアップしている。そしてトールの腕に抱き着いているシヴも、何故かサムアップしている。乙女の取引が行われたようだ。
「とにかく!ウチはトールと出るんや!スクルド、ヘル、いいやろ!?」
「パートナーさえいれば何でもいいわ」
「二人で出てくださるなら大丈夫ですよ~」
スクルドとヘルの助け舟は期待できないようだ。
「ならばっ!」
トールは鋭く叫ぶ。孤立無援のトールは、即座にこの場から退却する事を選んだらしい。血管が浮き出る程、足に力を——
「よいしょ」
ガチャンと重い音。トールが自分の腕を見る。その顔が驚きに染まる。そしてすぐさま絶望の色に変わった。
二人の手と足は手錠で繋がれていた。
「これで、一緒に出られるなぁ!」
「シヴ!?すごく犯罪臭がしますが!?」
「大丈夫やって、ほら、足にもつけるさかい、文句ないやろ?」
「そういう問題じゃないわよ……」
スクルドとヘルの声はシヴには届かない、そして、絶望により砂塵と化したトールにも届かない。彼の硬派メーターが振りきってしまったようだ。
シヴは灰色になったトールを半ば引きずりつつ、スタート地点へと鼻歌と共に歩いていった。
「え、えと……」
スクルドは強烈な出来事に若干放心している。それを見たヘルは、ため息をつきながら原稿の先を読む。
「第2コースは、ヘルブリンディと……嫌な予感がするわね」
ヘルが顔をしかめる。そこに現れたのは——
「連続で手錠ですか!?」
スクルドが叫ぶのも無理はない。現れたのはパートナーと自分を手錠で繋いだヘルブリンディだった。勿論相手はロキ。死んだ魚のような目をしている。
「ロキ、ロキ、ロキと二人三脚~」
美しいテノールの声でなんとも気の抜ける歌を歌うヘルブリンディ。それに合わせるかのように手錠がガチャガチャと鳴る。
「あ、の……なんで犯罪臭香る手錠を……?」
スクルドの問いかけにロキがうつ向いた顔を少しだけ上げる。
「俺が逃げないように、だってさ……」
「まあ、そうでしょうね……」
力なく言ったロキに、スクルドとヘルは同情の目を向ける。
「俺はさ、面白い事を見る事が好きなんだ。だから今回も、あの木の上で見てようとしたんだけどさ。そこにこの人が来て……アストロ・ロギアを……おかしいな、俺、人間でもエルフでも神獣でもないのに……なんでか……混乱してね……」
「愛の成せる事だなあ!それに、混乱して木から落ちたロキを、ちゃんと俺が受け止めたじゃないか!お姫様だっこで」
ロキは殺意を視線に乗せてヘルブリンディへと送るが、ヘルブリンディは最愛の弟と出られる喜びで意に介していない。そしてシヴと同じように、うなだれるロキを無理やり引きずって行った。
「ロキが見たことない顔してました」
「あそこの組には関わらない方が賢明ね。それに、いつもロキには手を焼いているし、たまにはああやって割を食うのもいいんじゃない。さ、次にいきましょう」
ヘルはロキを見捨てた。スクルドもこれ以上あの兄弟に関わると自分に被害が及ぶと考え、実況続行の決定を下したようだ。
「さ、さあ!連続で危なげな組が続いてしまいましたが、次にいきましょう、次に!第3コース!」
「クオリス様ああ!はあ……はあ……!!今日も麗しい、昨日よりも麗しいああああああ!」
「ガッデム!まともな組はいないんですか!?」
スクルドが思わず天を仰いだ第3コース。クオリスとソルティスだ。クオリスは大観衆に見られている環境に戸惑い、ソルティスはそれを眺めて「無理、尊い、死ぬ」と呟いている。ソルティスが常に鼻を啜っているのは、興奮で鼻からの血液が止まらない為であろうか。
「あの組は大丈夫なのかしらね」
「ソ、ソルティスはクオリスへの忠誠心が強いですから……れ、連携とかも安心ですね」
「スクルド、お前、顔が引きつってるわよ」
スクルドはぶんぶんと首を振り、努めて冷静さを取り繕った。
「あそこは置いておいて!次、第4コースです!ああ、これは大丈夫そう……ブリュンヒルデとサングリズルペアです!」
「人が多くねえか!なあ、ブリュンヒルデ!」
「そうね!皆さんに見てもらっているし、楽しませてあげましょう!」
「ちっげーよ!アタシたちが楽しめばいいんだよ」
サングリズルとブリュンヒルデが仲良く連れ立ってスタート地点に立つ。こちらは今までの組と打って変わって、きちんと足にバンドを着けている。
「ようやくちゃんとしているペアが来てくれて、私は嬉しいです」
「泣いてる場合じゃないわよ」
ヘルはスクルドに冷たく言い放ちながらも、黒のレースハンカチをスッと差し出した。
「あ、ありがとうございばしゅ……うう、コホン。じゃあ第5コースの紹介に……」
「双翼の!」
「誓い!」
次のコースの紹介にいこうとしたスクルドの声を遮って、サングリズル達が叫ぶ。見るとそこには、オーディンが厳重に保管している筈の、純白の羽を付けた2人が立っていた。
「改変者が出たわけでもないのにそれ持ってきますかね普通!?」
スクルドが実況席から身を乗り出して地声で叫ぶ。さすがのヘルも驚いているようだ。
「あなたたち、そんなものを持ち出して……許可は」
「我が許可した」
ヘルの言葉に被せてきたのは、威厳のある低い声。長髪を風になびかせる男性は
「オーディン様!?」
スクルドがさらに身を乗り出す。オーディンは観客の方を一瞥し、実況席と向かい合った。
「折角の懇親会に、我がいないというのもおかしかろう……我も競技に参加する」
「ええ!? えっ!? うん!? ちょっと待ってくださいオーディン様……!あれ、待って、第5コース『オーディン&ユミル』ペアって書いてある……!」
「無論エントリー済みである」
「楽しそうだから僕も出るんだ~!」
オーディンの背後からひょっこり飛び出したのは、儚げな美少年だ。肌は透き通るように白く澄んだ赤い瞳の持ち主の彼は、以前世界を揺るがした巨人族の長である。
「まあ、そういうことだ。では、よろしく頼んだぞ」
「は、はいぃ……!で、ででで、では第6コースです」
オーディンに促された事もあり、一言一句すべてに噛みながらスクルドがマイクを握り直す。
「次は……この競技唯一のドワーフ族ですね!ニジです!」
「よろしくね」
ぽてぽて、という音が聞こえるような足取りで、小さな体のニジがスタート位置へ向かう。スクルドとヘルは手元の参加表をまじまじと見つめる。
「ニジ、お前、パートナーは?」
「ああ、えっと……まじんさん、おねがいっ!」
ニジが両手を握りしめ叫ぶと地面から使い魔の魔人が現れた。
「まじんさんと一緒に出ます!」
ニジは大好きな砂の魔人と一緒に出たいようだ。ルールとしてはギリギリアウトの範疇であるが、あまりに無邪気である事と、出場を取りやめさせようとすれば泣いてしまう事、そしてそれを見た砂の魔人がどんな行動にでるか予測不可能である事から、スクルド達は不問とした。足の無い魔人とニジは、手をバンドでつなぐことで妥協することになる。
「ようやく最後の組です……なんだか一気に疲れました」
「まだレースも始まっていないけれど」
「ヘル……それを言わないでください……私、もう、いっぱいいっぱいですぅ」
弱音を吐いたスクルドの身体が俄かに淡い緑の光に包まれた。回復魔法を受けた際に出る光だ。
「ああ……心の疲れはヒールじゃ取れませんね」
そう独りごちながら現れたのは、緑の服に身を包んだ慈神、バルドルだ。どうやらスクルドに回復魔法をかけたのは彼らしい。隣には100m走の際にいたずらに傷つけてしまったホズを従えている。厚い前髪から彼の眼は見えないが、その緑の瞳はいまだ濡れているであろう。
「先ほどは妹に頑張らせてしまいました。次は私たち兄が頑張らなければなりません。そうだよね、ホズ?」
「う、うん……そうだね」
「……グラースヒールしましょうか?」
「僕の心の傷もヒールでは癒えないよ」
兄弟の会話を横目に、スクルドはマイクを持つ。
「100m走に続き、二人三脚にも出場するんですね!次も1位を取れるよう頑張ってください!」
バルドルとホズはスクルドの応援の言葉を聞くと、穏やかな彼ららしく、優しい笑みを浮かべた。
「スクルド……ありがとうございます。今回は秘策を用意しましたので」
「待ってバルドル。僕それ聞いてないよ」
「秘策を使えばきっと勝てます」
「バルドル僕の話を聞いて!?」
「さ、ホズ。足を繋げましょうか」
「僕の声はもうバルドルには届かないのかな!?」
「大丈夫です。ホズは私に合わせてくれれば。兄の言う事を信じて」
バルドルは言い聞かせるようにホズの目をのぞき込む。
「心配でしかないけれど!?少しでもいいから教えてよ」
ホズのその必死なお願いにバルドルは一瞬思案顔をするが「確かに何も知らずにというのは可哀そうですね」と言った。
「ヒントは『二人三脚と言えど、別に息を合わせる必要はない事』です」
そしていたずらっ子のようにウインクをした。

「ようやく!ようやく全組が揃いました!やっとレースが始められる……」
「レースさえ始まってしまえば終わるまであと少しよ。今回もスタートの合図はヴォルフガングに任せるわ」
スクルドとヘルはあまりに自由奔放な出場者たちのお陰で疲労困憊している。
銃を携えたヴォルフガングは、実況席を通り過ぎる際に一言二言ねぎらいの言葉をかけ、定位置へ立った。
「今回はきちんと一発だけ打つさ」
長い銃身を空に向ける。

『On Your Mark』

乾いた銃声と共に各組が一斉にスタートを切った。
「ゴッデスミサイル!」
唯一スタートと同時にスキルを発動したのはシヴだ。何故かゴールに背を向けて自身の腕を猛スピードで放っている。
「ああっ!ヘル見てください!」
「見てるわよ……なるほど、スキルの反動を利用したのね」
最大出力で繰り出された腕の反動により、トール・シヴ組は宙に浮いたままゴールへと吹っ飛んでいく。
「こっこれは早いですよ!このままゴール……あれ?」
スクルドの興奮気味な実況は途中で疑問符に変わる。
「まあ、そうなるわよね。2人分の体重を一発のスキルでゴールまで持っていく事なんて、できるはずがないわ」
ヘルの言葉通り、トール・シヴ組は10m程進んだところで失速、次の瞬間には完全に地面に落ちてしまった。
「完全に止まってしまいましたね。体の向きを変えるところからなので、かなり遅くなりそうです」
「その間にほら、次の組が来たわよ」
ヘルに促されスクルドが顔を上げると、トール・シヴ組の後ろの組が目に入った。
「ヘルブリンティ・ロキ組ですね!」
スクルドの声にロキが反応する。
「こうなったら1位を獲って面白くしてやろうじゃないか!」
「うんうん、ロキはかわいいなぁ。いいなぁ。とてもいいなぁ。星達も喜んでいるよ。今日は吉兆の星が……」
「ヘルブリンディ、口より足を動かしてくれないかな」
「ロキのお願いとあらばいくらでも!」
2人は猛スピードで足を動かしつつ、猛スピードで口を動かしている。その声に、手錠の擦れる金属質な音が被っていた。
「なんだかんだ言ってあの2人、仲がいいのよね」
「ヘルブリンディのデレデレした顔にはちょっと不安がありますがね……さあ、ヘルブリンディ・ロキ組を抜ける猛者はいないのでしょうか!ああっ!オーディン様・ユミル組、クオリス・ソルティス組が来ていますね!その後ろからは……!?」
「何かしらね。猛スピードで1人……いえ2人……? 何か引きずっているのかしら……?」
オーディン達に肉薄せんとばかりに高速で近づくのは
「バルドルです!」
スクルドが興奮して身を乗り出す。
「ホズを!ホズをっ……! 引きずっています!」
「はぁ!?」
さすがのヘルも驚きの声をあげる。そこには、バルドルがホズを引きずり1人で爆走、砂埃を豪快に立てている姿があった。引きずられているホズはしかし、怪我はひとつも見受けられない。彼の身体が時たま体が緑に発光しているのが確認できる。
「バルドルが!ホズに絶えることなくヒールをかけています!」
それは捨て身の強行突破であった。二人三脚はどれほど息が合おうと1人で走る時よりスピードが落ちる。だからこそ、パートナーを犠牲にし、1人が心置き無く走る事で他の選手を出し抜こうとしているのだ。
「妹に続いて1位をとらねばならぬのです!今の私は慈神ではなく鬼神!この時のためのグラースヒール!あってよかったグラースヒール!」
「バルドル絶対ヒールの使い方間違ってるって!僕、ちょ、やめ、止まっ」
「ホズ!頑張りなさい!」
「無茶言わないでよ!」
オーディン・ユミル・クオリスは、その捨て身の進撃に思わず振り返る。無論、ソルティスはクオリスを見ているのに夢中なので振り返りもしない。
「バルドル達の新たな面が見られましたね……」
「新たな面というか、上下関係がわかったわね」
スクルドとヘルが戦慄しているように、他出場者達も脅威を感じたようだ。
「あの者達に抜かれそうであるな」
「僕としてもそれは嫌だなぁ」
オーディンとユミルは滑るように進んでいる。お互いの息があっている上、2人とも周りにバレない程度に浮いて移動している為に、がむしゃらに足を動かさずとも進めるのだ。
「オーディン、僕、もうちょっとパワーアップした方がいい?」
「パワーアップ……? ぬぅっ!」
聞き返したオーディンが珍しく驚いた顔をした。その視線の先には体を変容させ始めたパートナー。
「待て。ユミル、『あの頃』のユミルになるつもりではなかろうな」
「え、なるけれど」
あまりにも邪気のない赤い目が「オーディンの役に立てる」とキラキラ輝いている。
「今からでも止めてもらえないだろうか。汝が『あの頃』の……創世神の頃のユミルになってしまうと、我と汝を結束しているバンドがちぎれる。さすれば失格は避けられないだろう」
「あっ!そっか!でも、もう止められないよどうしよう!」
オーディンの隣に禍々しい紫を纏った巨人が現れる。以前世界を揺るがした巨人そのものの姿。オーディンとユミルが相対すると、以前死力を尽くして戦った2人の姿と重なった。
その時、2人の間に何かが落ちた。見るも無残なちぎれたバンドであった。
「オーディン様・ユミル組失格です!」
観客からは最高神&創世神の最強ペアが失格となったこの大番狂わせに咆哮が上がっている。
「さて次は……そういえばニジはどうしたんでしょう」
「あそこよ」
「あそこって……まだスタートから10mも行ってないじゃないですか!」
スクルドの言った通り、ニジは砂の魔人の手に乗りながらゆっくりと進んでいた。ニジ自体は魔人の手をぺちぺちと叩き「早く走って」とお願いしているようだが、砂の魔人は首を振っている。
「スピードを出してニジが怪我をしたらどうするんだ。安全運転で行く」
どうやら砂の魔人は周りが思っているより過保護らしい。
「あそこの組は置いておきましょう。日が暮れるわ」
「じっじゃあ、今ヘルブリンディ・ロキ組に続き、第2位を争っている2組を見ていきましょう!」
無論、この2組はクオリス・ソルティス組とバルドル(・ホズ組)だ。
クオリスは若干息を上げつつソルティスを見て、
「頑張りましょう。ヘルブリンディ達が遠いわ。ゴールまでに追いつかないと」
と言う。ソルティスはそれに対して、
「かわいい。最高だ。白魚の肌に流れる、宝玉の汗。ほんのり上気した頬。少し潤んだ目はさらなり。髪なびく様、いとをかし。少しばかり開いた口より見ゆる妖艶な紅は、はた言ふべきにもあらず」
と小さな声で、早口に答える。クオリスと密着しすぎたことにより、脳内のシナプスがバグを起こしているようだ。話す言葉は危なかれど、表情は「王女を守る近衛兵の精悍な顔」を保っているあたり、彼女のプロ意識が垣間見える。
その2人の隣に並んだのは、息も絶え絶えのバルドルだ。さすがに2人分の体重を動かし、且つ、絶えずヒールを打ってきた事で体力が枯渇してきたらしい。ふらふらと走っている。ホズはこのレースが終わるまでは気を失う事でどうにか自分を保とうとしており、今はされるがままである。
「さすっ……がに……疲れまし……た……。無念です……」
ふらりとバルドルがソルティスに向かって倒れていく。ソルティスはクオリスと足が繋がれている為、瞬時に避けることが出来なかった。彼女は次の瞬間に来るであろう衝撃に備え、目を瞑る。その時、ソルティスの肩に腕が回され、引き寄せられた。バルドルはソルティスと激突する事もなく、そのままホズと同様仲良く地面に伏した。
「大丈夫だった?ソルティス」
ソルティスを引き寄せたのはクオリスだった。
「クオリスさバッッッ!」
ソルティスは守ってくれた主人の名前を呼ぼうとしたが、その瞬間に鼻から大量の血を噴き出した。クオリスの過剰摂取にて、ソルティスの体内器官が暴走、血液を過剰に作り、脈動を早め、血管が膨張、そして血液全てを鼻に向けて放った。ソルティスの鼻からは噴水と評しても過言ではない量の鼻血が出続けている。
「そっ、ソルティス!? ちょっと、救護班はどこ!? 早く来なさい!」
クオリスが動転している中、リュミエィルが医者とナースを引き連れてやってくる。
担架の上で気を失い、それでも血を流し続けるソルティスは、幸せそうに笑っていた。これが、後に歴史に刻まれることとなる〈近衛兵衂事件〉である。
「えと、クオリス・ソルティス組はソルティスの競技続行不能により、棄権です。あと、バルドル・ホズ組も——」
「待ってもらおうかな」
スクルドの、2組の棄権を伝えようとする言葉を遮るものがあった。
敵の鮮血を浴び、泥にまみれたその姿。抜けるような青空と対称的な紅の人物は、普段は見えない翠の瞳をスクルドに向けた。
その片腕には死力を振り絞った慈神をしっかりと抱きかかえている。
血に塗れた「それ」は、凄絶な美しさであった。神により作られ偽りの神は、この場の誰よりも神々しく、見る者の目を奪った。
「バルドル、よく頑張ったよ」
紅の神は呟く。
「絶えず魔力を消費し、絶えず体力を消費した」
血が流れ、緑の髪があらわになる。
「次は僕の番だ」
大きく息を吸う。
「皆の者!この名を覚えて帰ってもらおう!僕は……」
大音声で観客の気を引いた。静寂の広場の隅々まで声が届く。
「僕達はホズとバルドル!満を持して登場した我らを、しかと目に焼き付けよ!」
裂帛。会場全てを揺るがす程の熱量。観客は一瞬静かになり、その直後ホズの気迫に呼応し、吠えた。
ホズはそれすらも耳に入らないようだ。その細い右肩に、バルドルを担ぐ。
「なっ何をしてるのですホズ!私を引き摺っていきなさい!私がしたように!」
「バルドル、僕はこう見えても猟神だ。君一人を担ぐ力は、ある。さあ、1位を獲るよ。勝負はこれからだ」
「担がないでください!降ろさないと──」

「バルドル・ホズ組、失格です〜!」

「──足のバンドが外れるでしょうが」
「えっ」
スクルドからの失格宣言と、バルドルからの指摘に、ホズは目を白黒させる。下を向くと、担いだ事によりお互いの足から外れたバンドが地面に落ちている事が確認できた。
「ぼ、くは……」
ホズはだんだんと状況を理解し始め、顔が青ざめていく。
「『しっかり目に焼き付けてくれ!』ねぇ……」
「ふぐぅっ!」
ヘルがホズの啖呵を真似する。ホズは主に心に大ダメージを受け、そのまま地面に突っ伏した。
「『覚えて帰ってもらおう!』っていうのもかっこよかったですよ」
「はぐぅっ!」
スクルドが無邪気に褒めた言葉も、彼にとっては十分な攻撃力を持っている。ホズは地面に臥したまま耳を塞いだ。
「ホズ、どうしたのです。帰りましょう、『満を持して』」
「バルドルっ!もうやめて、恥ずかしいから!」
顔を上げたホズの顔は耳まで真っ赤に染まっている。きっと、髪に隠れた瞳も恥ずかしさで泣きそうなほど潤んでいるのだろう。そんな弟の頭を、バルドルは優しく撫でる。
「でも、格好よかったですよ。私を担いで走ろうとしてくれて。やはり君は私の自慢の弟です」
「バルドル……」
「さ、他の選手の方々に迷惑にならないよう、そろそろ行こうか」
「……うん、そうだね」
不本意な結果に終わった彼らの背に、その健闘を讃え観客から温かな拍手が送られた。

「なんだか良い話になっているけれど、最初はバルドルがホズを引きずり回してたわよね?」
「へ、ヘル!それはもう言わないでおきましょう!なんだかんだ素敵な感じで終わってますし!」
「でも……」
「ああっとぉ!? 今1位はヘルブリンディ・ロキ組のようですよぉ!?」
わざとらしくスクルドが話を変える。ヘルはこれ以上言ってもスクルドに遮られると思ったのか、一つため息を吐くと実況に戻った。
「あら、ヘルブリンディ達のすぐ近くにトール達が来てるじゃない」
「ええっ!?あっほんとですね!」
兄弟ならではの息の合わせ方で、掛け声もなく順調に進むヘルブリンディ・ロキ組。それに肉薄するのはトール・シヴ組だ。序盤の失策を巻き返し、ここまで粘ったらしい。
「さっきは失敗してしまったが!」
「個の力は断然こっちが上やでぇ!」
こちらも掛け声はない。お互いがお互いを「最強」であると信頼し、自分の持てる限りの力で進む事で、奇跡的に足の動きを合わせているのである。
「ロキ、このままではまずいね。スピード上げるけど、ついてこられるかい?」
「アンタ俺を見くびりすぎじゃないか?」
ヘルブリンディ達は息のあった綺麗な走りでスムーズに歩を進める。一方、トール達はがむしゃらに、しかしながら互いの力量を信じて豪快に足を動かす。
「どっちが勝ってもおかしくない状況ですね……!」
「ゴールテープまであと5m……!」
スクルドもヘルも身を乗り出す。優勝はヘルブリンディ・ロキ組か。はたまたトール・シヴ組か。

その時、2組の隣をスッと何かがすり抜けた。
「え?」
スクルド達も含む全員が、思わず固まった。
ゴールテープを切ったその組は
「ブリュンヒルデ・サングリズル組……!」
スクルドがつぶやいた。純白の羽を背中に付け、足のバンドのみならず仲良く手を繋いでゴールした2人は、今はハイタッチをして喜んでいる。サングリズルの頭には奇麗な花かんむりが、ブリュンヒルデの頭には不格好で少し大きい花かんむりが乗っている。
「さっきまでいなかったじゃない……!」
ヘルの疑問にサングリズルが口を開く。
「いや、ブリュンヒルデと喋ってたらスタートの合図に気づかなくてよ。んでまあ、ずっと今までスタートの所で喋ってた」
「スタートの合図鳴らないわね、なんてサングリズルと話していたら、近くにお花があって……とりあえずお互いに花かんむりでも作ろうって」
「ね~」と2人で顔を見合って笑う。
「で、かんむり交換し合ったところで、『あれ?もしかしてアタシ達、レース出てたんじゃね?』って気づいて」
「それでここまで急いできたのよ」
また「ね~」と2人で顔を見合う。大変仲がいいようだ。
「ちょっと待った!」
その2人に異論が入る。声を発したのはロキだ。
「納得いかないな。この2人は飛んできたじゃないか。俺たちはきちんと地面に足をついてるのに、これは狡いと思わないか?」
その指摘に何故かヘルブリンディが感嘆の声をあげる。
「ロキ……!そんなに俺と優勝したいって思ってくれてたんだね!」
「待ってくれ、変な誤解はよしてほしいな」
ロキは抱き着こうとするヘルブリンディの顔を手で押さえる。そのまま実況兼審判のような形となったスクルド達に向き直った。
「う~ん、そうですねえ……ルールとしては『足をバンドで繋げる事』ってだけ書いてましたし」
「文面上では飛んでいっても問題はないわ」
ヘルブリンディ・ロキ組の異議申し立ては棄却された。
「トール達からは何かありますか?」
スクルドがトール・シヴ組に話を振る。それに対し、シヴは勢いよく首を振った。
「文句なんてあるわけないやん!トールとこうしてくっつけただけでウチは幸せなんよ」
「漢なら決着した勝敗にケチをつけることはせん!それよりも終わったなら早くこの手錠を外してくれ!」
「トールはウチとこのまま帰ろうなぁ」
「どこにだ!俺は天界に帰る!」
「ロキもこのまま俺と帰ろうか」
「嫌だね。1人で帰ってくれ」
「サングリズル、次はお花の指輪を作らない?」
「柄じゃねぇけど、ヒルデが言うなら構わねえよ」

かくして、二人三脚は

1位 ブリュンヒルデ・サングリズル組
2位 ヘルブリンディ・ロキ組
   トール・シヴ組
3位 ニジ・まじんさん組
棄権 バルドル・ホズ組
失格 オーディン・ユミル組
病院送り クオリス・ソルティス組

の結果で幕を閉じた。